見よこの空も敵の陣

第1話 新天地へ

 時刻は0010。

 僕は未だあかつきの来ぬ夜空にその翼を滑らせて居た。

 まだ目的地は見えない。

 自分の息遣いと自機の規則的な発動機音しかしない静かな夜だった_____



_____ここで事態を明瞭にするため時系列はややさかのぼる。


 転属が命ぜられたのは今から三日前の事である。


「竹中飛行士。至急司令室へ」


 課業前、朝食のサンドイッチをつまもうかと口を付けた時、突如として司令室に呼び出された。

 司令室からの呼び出しというのは決まって自分にとって都合の悪い事を言い渡される物で、この後何を言われるのかと思案すると、すこぶる機嫌が悪くなった。

 何とか顔に出さないようにクッと奥歯を噛み締めた後、鼻から大きく空気を吸って、口から息を吐き出した。


「...頑張んなよ」


 野田飛行士が朝刊から視線を上げて僕を一瞥したあとわざわざ大見出しを見せながらボソッと激励の言葉をこぼした。

 朝刊は『損害軽微 前線の空は万全の護り』という大見出しであった。


 「はぁ... ありがとう、野田さん」

 

 僕は食べかけのサンドイッチを置いて談話室を後にした。

 カツカツとブーツの音を響かせて司令室へと向かっていく。

 朝刊の大見出しからなんとなく何を言われるか予感が出来た。

 そして司令室に着く頃にはその予感は覚悟へと変わっていた。


「竹中飛行士、入ります」


「...入れ」


 重厚な扉を開けば何とも気まずそうな表情で椅子に座り込みながら葉巻を吹かす松浦司令官の姿があった。


「竹中飛行士は「省略、まぁ座れ」はい」


 いつもは形式張った要領で入室せねば小言を言う松浦司令官だが今日は違った。応接用の椅子に僕が腰掛けたのを見て、松浦司令官も灰皿を持って向かい合って座った。

 一本付き合えという暗黙の合図だ。

 僕も懐から煙草を取り出して吸い始めた。

 2人の間を紫煙がおおい、意図せずカーテンのような様相を見せる。

 じっと司令官を見つめながら話しを切り出すのを待っていたが、ただ煙を吐き出すばかりで、こちらに目もくれずあろうことか2本目に火をつけて吸い始めてしまった。

 仕方がないので自分も2本目を懐から取り出そうとするとようやく松浦司令官が口を開いた。


「突然で本当に申し訳ないが単刀直入に言って君には前線への転属を言い渡さねばならない。

私とてこのような事を通達したくはないが何せ上からの命令だ。

どうか理解して欲しい。

詳細は今手渡した辞令書の中に書いてある。

僚機りょうきを伴わない夜間飛行だ。

予定日までの間、君には休暇と外出自由を与える」


 差し出された辞令書に目を落とす。


(なるほど)


 この秋口の時期にしては珍しく急、かつ本来であれば陸路を行って転属先で新機体を受領する事がその常である筈だが、機体を伴っての転属という辞令である。

 間違いなく前任をしたのだろう。

 あの朝刊の『』の穴埋めに行かされるのだ。

 そういう生業であるためこのような辞令は珍しくもないがやはり前線が近くなる、すなわち死が近くなる言うのは複雑な心境にもなるだろうという配慮で気まずそうに転属を仰って下さったに違いない。

 だが、どうであれ隷下れいかに居るいち操縦士でしかない私はその辞令を拝命するしかないのだ。


(しっかし、このまくし立てるような口数の多さと取ってつけたような上からの命令という言葉から察するに、辞令を受ける私よりも松浦司令官のほうが動揺してるのではないだろうか。いや、単に部下を死地へ送り出す事への罪悪感か......)


 そのような邪推を挟みつつ返事をする。


「承知いたしました。折角頂いた休暇を楽しませて頂きます」


 立ち上がって気をつけをしたあとうやうやしく基本教練通りの動作で入口前に立つ。


「竹中飛行士は松浦司令官に要件終わり、帰ります」


 僕が司令官に敬礼すると、司令官は答礼したあとに、きびすを返す僕へ向けて


「竹中、本当にすまない。頑張れよ」


そう、言葉を投げかけてきた。


「大丈夫です。戦果をご期待ください!」


 僕はパッと出てきた言葉と満面の笑みに内心、自分自身でも驚きながら、司令室を後にした。

 来た道を帰り談話室へ向けて歩くが手は自然とタバコを目当てにポケットを探っている。これは落ち着きがない証拠だ。


(邪推をして覚悟をしておきながら尚も動揺をしているのか、僕は......)


 また深いため息まじりの深呼吸をしながら


「気を揉んでも仕方がない」


 そんな独り言をぼやいて僕は談話室に入り、煙草を吸うことにした。

 野田さんは小説を読みながらぶっきらぼうに聞いてきた。


「今日の朝刊は読んだかい?」


 僕は煙草に火をつけながら答える。


「読んでない。でも内容は知ってるよ」


 窓を明けて遠い空を見る。東の方角から雨雲らしいのが近付いて来るのが見えた。


「そっか、やっぱりそうなのか」


 重たい沈黙だけが流れる。

 しかし深く詮索してこないのは今の自分にとって何よりもありがたかった。

 僕はおもむろに談話室備え付けの冷蔵庫を開け、ビールを手に取る。


「栓抜きはサイドだ」


 野田さんが丁寧に栓抜きの場所を教えてくれた。

 プシュッと景気の良い音と共にビールの香りが鼻孔を突く。

 僕はグッとあおった。

 ビールが喉で細かく弾けながら流れ込んでいく感覚と、程よいアルコールの開放感が身を包む。


 ふぅ、と息をついて僕は野田さんを一瞥した。まだ小説を読んでいる。


「野田さん、僕、もう行かなくちゃ」


 僕の口から出たのは、あまりにも頼りない別れの報告だった。


「そっか...」


 朝刊から視線を上げた野田さんは真っ直ぐに僕を見つめて言った。


「頑張んなよ」


 僕は泣きそうになるのを堪えて、グッと残ったビールを流し込み、煙草をもみ消し談話室の扉を開けた。


「野田さんも」


 これが彼との、別れの言葉だった。

 きびすは返さない、振り返りもしなかった。

 吐き捨てるように返事をして飛び出した僕の足は、まだ飛ぶわけでもないのに自然と機体へと向いていた。

 管制塔を出れば外は南方の強い日差しに照らされ、滑走路では陽炎かげろうが揺らめいている。


 僕は先程のビールのおかげか少し気が大きく、楽になった状態で格納庫へと入った。

 明順応した視界には天窓から差し込む光に照らされた愛機が強調されて見えた。

 僕は飛行する前みたいに機体の各部を点検する。

翼内機銃の点検口、フラップやエルロン、排気管...

 一周か、二周した後、かけられた梯子を登って操縦席へと滑り込む。


 僕の、僕だけの空間。

 すぅっと息を吸い込み、おもむろに吐き出す。

 戦場に飛び出してから小改修を加えながら共に飛び続けてきた、言わばゆりかごだ。

 それと同時に、死ぬならこの愛機と共に死にたいと願っても居て、これが僕の全金属製の棺桶であるという自負もあった。


 操縦桿を握りしめ、宙に空戦機動の足跡を描き出す。


 ターン、ターン、スピン...


 さあ、捉えた。


「バババババ」


 口鉄砲で空想の敵を撃ち落とす。

 満足したからだろうか、突然冷静になって、あまりにも子供っぽいような、そんな行動に顔を赤らめて僕は愛機の中で眠りに就いた。


 その後の2日はグダグダと営内で過ごした。

 馴染みの整備士と談笑しながら自機の最終点検をしたり、後輩パイロットとビールを空けたり、送別会を開いて貰ったりとつかの間の平和だった。


 そして、あっという間に飛び立つ時が来た。

 夜間ともあって出立は消灯後のためこれといった見送りもなく僚機のない夜間飛行に不思議な身軽さを感じながら、


「頼むよ」


 そう呟いて一気にエンジンを吹かしぐんぐん加速していく。格納庫や管制塔が後ろへ、後ろへと流れて行き、そして夜空へと駆け上がった。


 そして時系列は再び並行する。


 プロペラの回転数、各種操縦系、油温どれも快調。

 きっと奮発して整備を施してくれたんだろう。


 今自分が搭乗している機体は針花IIC。

 プッシャー式のレシプロ機で後方では既に最新型のD型の配備が始まっている機体だ。

 キャビンは与圧式で少し凍えるような高度でも魔熱線が張り巡らされた飛行服のお陰で安心して空を飛ぶ事が出来た。 加えて、キャノピには暗視魔法の魔法陣が刻まれており、夜間飛行においてその真価を発揮していた。


 しばらく機体を飛ばすとうねるような黒々とした木々の生える山を抜け、眼下には波がとぐろを巻く水面が広がって来た。

 月明かりが水面を反射し、キラキラと輝いて居る。

 とても幻想的な風景だった。

 その景色に感嘆の声も漏れようかという時に、空を飛ぶ影を見つけた。

 時計を見ると時刻は0139。そろそろ味方の哨戒圏内しょうかいけんないに差し掛かろうかという頃だ。


(あれは味方か...?)


 噂をすれば向こうから所属を聞いて来た。


「こちらN-07空 哨戒機である。貴殿の所属を問う。ヲクレ」


「N-07こちらS-35空域所属機である。哨戒ご苦労。ヲクレ」


「S-35 N-07。35-4678。ヲクレ」


「N-07 S-35 35-4678 了解。終わり」


 哨戒機から送られた数値を機体に載せられた通信機に入力するとキャノピに方位針が表示される。

 これも魔法の一種で、光学方位針というらしい。

 基地から発せられる一定の周波数に魔石が反応して定められた方位指針を示すというのだ。

 全く便利な世の中である。


 方位指針の誘導通り、機体をすべらせていくと空へ上がる前居た基地では見なかった双発の機体が見えた。

 違う装備の部隊。土地勘のない空。そして徐々に見えてくる飛行場はこれまでいた飛行場のどれよりも大きい事に、前線へ来たんだという実感が襲って来て、つい身震いする。


「頼むぞ、相棒」


 緊張と不安を抱えながら、僕は愛機に言葉をかける。

 特段、言霊なんかを信じる質ではないが新天地へと降り立つ時の習慣だった。

 そうして静かな夜間飛行を終え、愛機を駐機させた僕は用員に案内してもらって当直室へと向かう。


「竹中飛行士、入ります」


「どうぞ」


 向こうからは女性の声が聞こえて来た。

 そっとドアを開けて当直室に入ると猫のように中性的な顔立ちの人がこちらを向いて立っていた。


「竹中飛行士、到着いたしました」


「夜間飛行お疲れ様でした。着任後の事は明日以降になるから今日は210号室の居室で休んで下さい」


「承知いたしました」


 要件を終えた僕は当直室を後にしようと踵を返すと僕の手を掴んで女性が言った。


「挨拶遅れてた。私、柊飛行士です。明日からよろしくね」


 突然の事に驚きながら、僕は手を解いて敬礼した。


「お世話になります。では、竹中飛行士は要件終わり、帰ります」


 満面の笑みで彼女は答礼して言う。


「また明日ね」


 僕は何と返したら良いか分からず、適当に会釈をして当直室を後にした。

 僕は示された居室へと入り、何も言わずに空いたベッドへと潜り込むと緊張が解けたのか、泥のように眠ってしまった。最後の記憶は、腕時計が0300を示していた事だった。

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