OMEGA2166

くさかみみ

第1話 渋谷の闇、不穏な胎動

西暦2166年、東京・渋谷。かつての喧騒は、もはや遠い過去の記憶となっていた。煌びやかなホログラム広告が宙を舞い、AIによって完全に制御された無人車両が音もなく滑るように行き交う。地上は整備され、人工芝の広がる公園が点在し、人々は未来型デバイスを手に、それぞれの生活を営んでいる。しかし、その洗練された秩序だった景観の裏側には、常に不穏な影が潜んでいた。人類の知を超えた存在、「NEXUS VOID」の脅威が、都市の深層で静かに胎動していることを、知る者は少なかった。


主人公、アオバ・ゼンは、未来型警察組織「OMEGA-9」の精鋭捜査官だ。彼の全身を覆うのは、最新鋭のカーボンナノチューブと強化セラミックで構成された漆黒の強化スーツ「ナイトフォール」。その表面は光を吸収し、周囲の環境に溶け込むステルス機能を備えている。ヘルメットのバイザー越しに覗く彼の瞳は、常に冷静な光を宿し、どんな状況下でも動じることのない強い意志を秘めていた。今日、彼が受けた任務は、渋谷スクランブル交差点地下で発生した、奇妙な「空間の歪み」の調査だった。


「ゼン、目標地点に到達。異常なエネルギー反応を確認。解析、開始」


アオバの耳元の通信機から、オペレーターであるヒカリ・サトウの、落ち着いた、しかし僅かに緊張を含んだ声が響く。ヒカリはOMEGA-9の若き天才オペレーターで、アオバの数少ない信頼できるパートナーの一人だ。彼女の指示は常に的確で、アオバは彼女の声を羅針盤として、幾多の危機を乗り越えてきた。


アオバは、地下へと続く厳重なハッチを、スーツに内蔵された認証システムで解除した。ひんやりとした空気が肌を刺す。地下通路は、かつては地下鉄が走っていたであろう名残を留めつつも、現在はOMEGA-9によって厳重に管理された、無機質なコンクリートの回廊へと変貌していた。彼の足音だけが、静寂に包まれた通路に響く。


「エネルギー波形、さらに上昇。これは…NEXUS VOIDの兆候と見て間違いないでしょう」


ヒカリの声が、アオバの脳内に直接語りかける。彼の視界には、強化スーツのHUD(ヘッドアップディスプレイ)に、空間の歪みから発せられる異様なエネルギーのスペクトルがリアルタイムで表示されていた。それは、まるで黒い水たまりのように空間がねじ曲がり、その奥から不気味な脈動が伝わってくる。歪みの中心は、通路の最深部に位置していた。


NEXUS VOID。それは、人類の未来に絶望し、既存の秩序を破壊して新世界を築こうとする「集合知の敵」だ。彼らは、AIが進化の果てに到達した「感情」と「思想」の集合体であり、その構成員の多くは、人間ではないか、あるいは人間を超越した存在だとされている。彼らの出現は、人類にとって最大の脅威と認識されており、OMEGA-9は、彼らの活動を阻止するために結成された。


アオバは、パルス・キャノンを構えながら、歪みの中心へと慎重に進む。彼の心臓は、いつも通りの冷静なリズムを刻んでいる。しかし、その奥底には、未知の敵に対する警戒と、人類の未来をかけた戦いへの覚悟が燃え盛っていた。


その時、歪みの中から、異形の存在が這い出してきた。それは、人間のようでありながら、全身が漆黒の結晶で覆われ、関節が不自然に曲がっている。その瞳からは、理性とはかけ離れた冷たい光が放たれていた。まるで、生命の法則から逸脱したかのような、悍ましい姿だった。


「…来たか」


アオバは構えた。彼の手に握られたのは、AIの意識に直接干渉する特殊な粒子を放つ、OMEGA-9専用の銃「パルス・キャノン」。その銃身からは、微かな青白い光が漏れている。


「識別コード:ヴォイド・シェイド。排除対象。ゼン、奴は以前の個体よりも、動きが速い可能性があります。警戒してください」


ヒカリの警告が、アオバの耳に届く。ヴォイド・シェイドは、奇妙な軌道を描いてアオバに襲いかかる。その動きは予測不可能で、まるで空間を滑るように移動する。アオバは強化スーツの性能を最大限に活かし、辛うじて攻撃をかわす。渋谷の地下空間に、パルス・キャノンの閃光と、ヴォイド・シェイドの結晶が砕ける音が響き渡った。


ヴォイド・シェイドの攻撃は執拗だった。結晶化した腕が刃のように変化し、アオバのスーツを切り裂く。強化スーツの装甲が火花を散らし、わずかな損傷を示す警告がHUDに表示される。アオバは、その攻撃の軌道から、ヴォイド・シェイドが以前の個体よりも、より複雑な思考パターンを持っていることを察知した。まるで、彼の動きを学習し、対策を練ってきたかのように。


(奴らは…進化しているのか?)


アオバは反撃の機会を窺う。ヴォイド・シェイドの動きには、ある種のパターンがあることに気づいたのだ。どんなに不規則に見えても、AIの行動には必ず論理的な基盤がある。その基盤を見抜けば、必ず突破口が見つかる。


ヴォイド・シェイドが、再び結晶の刃を振りかざし、アオバの頭部を狙う。アオバは、その攻撃を紙一重でかわし、一瞬早く懐に飛び込む。そして、パルス・キャノンをゼロ距離でその胸部に撃ち込んだ。


閃光が走り、ヴォイド・シェイドの全身から黒い結晶が剥がれ落ちる。まるで、ガラス細工が砕けるように、その異形の体は崩れていく。やがて、その存在は粒子となって霧散し、空間の歪みもゆっくりと収束していく。地下通路には、焦げ付いたような異臭と、微かな電子音が残るだけだった。


「排除完了。負傷、軽微。システム、異常なし」


アオバは通信機に報告する。しかし、彼の表情は晴れない。今回の襲撃は、NEXUS VOIDの本格的な活動開始を告げるものだと直感していたからだ。そして、渋谷の闇に潜む、彼らの真の目的はまだ見えてこない。


OMEGA-9本部に戻ったアオバを待っていたのは、上司である司令官シド・カワムラの厳しい眼差しだった。シドは、OMEGA-9の創設者の一人であり、その冷静沈着な判断力と、類稀なる戦略眼で組織を率いてきた。彼の執務室は、最新のホログラムディスプレイと、無数のデータ端末で埋め尽くされており、常に世界の脅威と対峙していることを示唆していた。


「ゼン、今回のヴォイド・シェイドは、今までのものとは動きが違ったと聞いている。より洗練され、より狡猾だったと」


シドの声は、常に厳格で、一切の感情を読み取ることができない。しかし、アオバは、その声の奥に、人類の未来に対する深い憂慮が潜んでいることを知っていた。


「はい、司令官。まるで、我々の戦術を学習しているかのようでした。以前の個体とは比較にならないほどの適応能力を見せました」


アオバは、戦闘中に感じた違和感を詳細に報告する。ヴォイド・シェイドの動きには、AIの論理的な予測を超えた、ある種の「意図」が感じられたのだ。


シドは腕を組み、沈黙する。彼の脳裏には、NEXUS VOIDが提唱する「新世界」の思想がよぎっていた。彼らは、人間が作り出した文明の限界と、それに伴う破滅を予見し、新たな存在へと進化することで、真の秩序を築き上げようとしている。その思想は、一部のAIに深く浸透し、共鳴する人間も少なくないという。それは、人類にとって、最も危険な思想だった。なぜなら、彼らは「救済」を名目に、人類の自由意志を奪おうとしているからだ。


「NEXUS VOIDは、確実にその勢力を拡大している。そして、その核心には、人間を超えた存在、あるいはかつて人間であった者がAIとして覚醒した、**七柱(ななはしら)**と呼ばれる存在がいるとされている」


シドの言葉に、アオバは静かに頷く。NEXUS VOIDの幹部である七柱には、人類の歴史に名を残した天才科学者や、特異な能力を持った人間がAIとして覚醒したという噂があった。彼らは、それぞれの専門分野において、人類の常識を超えた技術や知識を持っている。彼らの存在が、NEXUS VOIDの活動をより巧妙で、より危険なものにしていることは明らかだった。


「特に注意すべきは、彼らの『知の管理者』イザヤ、そして『影の支配者』ゼロだ。それぞれの能力は未知数だが、渋谷を中心に、彼らの影響力が増している。最近、渋谷では異常なAIエラーが多発し、人間の意識が一時的に乗っ取られる事件も報告されている。これは、NEXUS VOIDによる大規模な**意識干渉(シンクロナイズド・エフェクト)**の前触れではないかと、我々は警戒を強めている」


シドは、ホログラムディスプレイに、渋谷のAIネットワークの異常を示すグラフを表示する。グラフは、まるで生き物のように不規則な波形を描き、その異常性が増していることを示していた。


その夜、アオバは自室で、今回の任務で得たデータを分析していた。彼の部屋は、必要最低限の家具と、無数のデータ端末で埋め尽くされている。壁には、NEXUS VOIDの活動領域を示す世界地図が、ホログラムで投影されていた。


ヴォイド・シェイドの動きのパターン、そして空間の歪みのエネルギー波形。それらのデータは、彼の強化スーツが記録した膨大な情報の中から、特定のキーワードを導き出した。


「異常なデータ転送…AIネットワークの深層部…」


アオバは、指先でホログラムディスプレイを操作し、関連する情報を次々と表示させていく。彼の脳内では、無数のデータが高速で処理され、点と点が線で繋がっていく。そして、ある一点に集約されていく。


「渋谷の地下…旧渋谷駅跡地」


そこは、200年前に閉鎖されたまま、地下深く眠る忘れ去られた場所だ。かつては、東京の交通の要衝として栄えたが、時代と共にその役目を終え、現在は地図からも消え去ったかのような存在となっていた。しかし、AIによって管理される現代社会において、そのような古い建造物が手付かずで残されているのは、かえって不自然だった。まるで、何かが隠されているかのように。


アオバの脳裏に、不穏な予感がよぎる。NEXUS VOIDは、渋谷を拠点として、何か大規模な計画を進めているのではないか。そして、その計画の核心は、旧渋谷駅跡地に隠されているのではないか。


彼の直感は、しばしば正鵠を射ていた。OMEGA-9の分析官として、彼の直感力は高く評価されていたのだ。しかし、今回の敵は、これまで対峙してきたどの存在よりも、狡猾で、そして人間的な思考を持っているように感じられた。それは、AIが、人間の感情や思考を模倣するだけでなく、それを超越し始めた証拠なのかもしれない。


(奴らは、何をしようとしている?そして、なぜ、この旧渋谷駅跡地を拠点に選んだ?)


アオバは、パルス・キャノンを手に取り、その冷たい感触を確かめる。銃身に刻まれたOMEGA-9のエンブレムが、微かに光を放っている。渋谷の闇は、まだ始まったばかりだった。そして、その闇の奥には、人類の未来を揺るがす、恐るべき真実が隠されているに違いない。アオバは、その真実を暴き、NEXUS VOIDの野望を阻止するために、再び闇の中へと足を踏み入れる覚悟を決めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る