第十話:揺籃《ようらん》の供物

【SE:ゆら、ゆらと燈る灯火の揺らぎ。どこからか水音】


――目を閉じれば、耳に届くのはかすかな囁き。

それは風の音か、それとも過去の声か。


朧の瞳は半ば伏せられたまま、床に正座していた。


その前に供えられたのは、一輪の花と、封じられた古文書。


槇篝が静かに告げる。

「この“記憶”は、貴女の根を深くするもの。だが、代償もあります。名を得ぬまま終えた贄たちの『痛み』が、貴女に宿るのです」


「……はい」


朧は頷く。声は震えていない。


【SE:文書の封が、ほどかれる音】


文字が、文の端から染み出すように現れていく。

墨ではない――まるで血で書かれたような、どこか湿った文字。


『わたしは咲かされなかった。咲くことを拒み、根を拒まれ、影のままに忘れられた』


それは一人の贄の記憶。

そして、次に浮かぶのは別の記憶。


『笑ったの。わたし、儀式の前に笑ったのが悪かった? だから火を灯されなかったの?』


『わたしはただ、見つめたかっただけ。誰かの顔を。あたたかい手を。けれど、誰も見てくれなかった』


影の記憶は次々と朧の中に流れ込む。

指先が震え、体温が落ちていく。


だが、彼女は座を崩さない。


槇篝が見つめる。

(これは、“供物”ではない。これは……“継承”)


「この子は、“始まり”になる」


【SE:やがて静けさが訪れる。息を呑むような沈黙】


朧の目が、ふと開かれる。


その瞳に宿っていたのは――確かに、幾人もの“存在”。


「ありがとう。……わたし、ひとりじゃない」


槇篝は目を閉じ、祈るように告げた。

「貴女に、名を刻みましょう。“揺籃のようらんのね”と」


そして、屋敷の灯がすべて揺れた。

遠く、鈴の音が鳴る。


――終わりは、まだ先にある。

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