第二十五食 私に頼むんですか?


 地下ギルドを訪れたサヤたちは、調書の件を終え、食事処で軽食を取っていた。


 昨日のことが嘘のように整えられた内装は、海水が流れ込んだ名残さえ見当たらない。

 透明な壁からは、鮮やかな珊瑚や、活き活きと泳ぐ魚の群れが覗いていた。


 サンドイッチを味わうサヤを、アルヴィスがじっと見つめている。

 視線に気づいたサヤが、「食べてみますか?」と言いながら、持っていたサンドイッチを差し出した。


 手ずから食べさせるサヤと、迷うことなく口にするアルヴィスの光景に、向かいに座っていたエージスの目が段々と生気を失っていく。


 たった一晩で何があったのか。

 さらに近づいた二人の距離感に、エージスは心の中で爆発しろと呟いていた。




 ◆ ◆ ◇ ◇




 カジノを終えた男女が、ライトアップされた建物から出てくる。

 眩しいほどの通りを抜け、ぼんやりとした明るさの道へと差し掛かった男女は、儲けた金を手に下品な笑い声を上げていた。


 ホテルへ向かう男女の背後に、音もなく黒い影が降りてくる。

 突然ふらついた男が、前方に倒れ込んだ。


 ぴくりとも動かない男の姿に、動揺した女が叫ぶよりも早く、女もまた背後に立つ少女により昏倒させられていた。




 地面に投げ捨てられた衝撃で、女は目を覚ました。

 隣には、同じように横たわる男の姿が見える。


「運んでくれて、ありがとうございます」


「サヤが触れるよりマシだからね」


 そいつなんか油っぽいしと男を指したアルヴィスに、サヤは「食べるの止めておきますか?」と返している。


「圧縮すれば、気にならないから大丈夫」


「良かったです。エージスが提示した報酬には、死体二つ分も含まれていましたから」


 混乱する女の耳に、聞き覚えのある名前が届いた。

 目だけで辺りを見回すも、今いる場所が泊まるはずだったホテルでないことは明らかだ。


 廃業した宿の一室は、床の所々が朽ちており、湿った木材の臭いが漂っている。

 ふとドアの方から、床の軋む音が鳴った。


「近くにいるので、準備ができたら呼んでください」


 ドアを開けたサヤが、誰かに話しかけている。

 室内に入ってくる足音とは反対に、サヤとアルヴィスは部屋を出ていった。


「あ、あなた……起きてちょうだい……」


 夫に声をかけていた女は、近づく足音に身体を震わせている。

 恐る恐る視線を上げた女の目に、信じられないものが映った。


「え、えーじす……」


 聞き覚えがあるはずだ。

 何故ならエージスは、かつて夫婦が借金の代わりに売った、実の息子の名前だったのだから──。


「……ぐあっ!」


「あなた!」


 エージスによって蹴り飛ばされた男が、痛みに呻きながら目を開けた。

 がちがちと歯を鳴らす女の横で、男は肥えた身体をゆっくりと起こしている。


「いったい何なんだ……」


 不愉快そうに唸った男は、腰を抜かした妻を睨み、視線の先を辿っていく。


「……ひっ!」


 男の顔が、幽霊でも見たかのように歪められた。


「おっ、おまえ……何で生きて……」


 あの日、借金に苦しんでいた夫婦は、人身売買という方法があることを知った。

 若くて健康な人間の内臓は、高く売れる。


 借金を返すどころか儲けも入ると分かり、夫婦は迷うことなくを売り渡すことに決めた。


 誤算だったのは、その後ほどなくして、稼ぎ頭だった娘が消えてしまったことだ。

 しばらく帰りを待っていたが、娘が戻ってくることはなく、夫婦は娘も死んだものとして諦めることにした。


 死んだ人間の魂は、輪廻の神の元へ送られる。

 次はもっとまともな子に生まれ変われるようにと嘲笑していた夫婦の関心は、数日も経たないうちにギャンブルへと移っていった。


「どうしようもねぇクズだな」


 全く変わっていない両親の有様に、エージスの心が急速に冷えていく。


「姉ちゃんは……売られた俺を助けようとして、魔導銃に撃たれて死んだ。おまえらのせいで……! おまえらのせいで、姉ちゃんは死んだんだぞ!」


「こっ、殺されたのなら、むしろ良かったじゃないか……!」


「そうよ! 輪廻の神の慈悲を得られるのよ? 今頃は、貴族の家にでも生まれているのかも──」


 エージスは、復讐のために両親を探し続けていた。

 しかし、両親はまさかエージスが、今も姉の死を引きずっているなど思ってもみなかったのだろう。


 両親の間に撃ち込まれた弾丸は、女の頬を掠っていた。

 座ったまま気絶している女の隣で、男は逃げ出そうと床を這いずっている。


「俺がバカだったよ。おまえらが少しは後悔してるのかもなんて……考えるだけ無駄だっていうのにな」


 自嘲したエージスが、両親に背を向けた。


「じゃあなクズども。おまえらに次なんてねぇ。永遠に……さよならだ」


 部屋を後にしたエージスに代わり、サヤとアルヴィスが入ってくる。

 まだあどけなさの残る少女と、天使のように美しい青年の姿は、今の男にとって救いのように思えた。


「たっ、助けてくれ……! あの悪魔から、俺たちを救ってくれ!」


 数ある神話の一説では、死の神のお膝元を地獄、輪廻の神の手のひらを天国と呼ぶらしい。

 つまり、天使とは輪廻の神の眷属を指し、悪魔とは死の神の眷属を言う。


 気絶している妻を押し退け、懇願する男は知らなかった。


 自身が願った相手こそ、死の神の使徒であり──この世で最も悪魔に近い存在であることを……。


 

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