第三十四話 継がれる記憶、竜胆の髪飾り

 航の嗚咽が響く本堂で、住職は静かに航の言葉に耳を傾けていた。竜胆が幸せな人生を送りながらも、姉への申し訳なさを抱き続けていたこと、そしてその手には常に髪飾りが握られていたこと。


「住職さん……。俺は、楓の呪いを解くために、ここに来ました」


 航は、涙を拭い、真剣な眼差しで住職を見つめた。


「俺は、楓の呪いを受け継ぐ一族の者です。そして、俺の母親は、この呪いから逃れようと土地を離れ、命を落としました。俺は、この呪いを、俺の代で終わらせたい。そのためには、楓さんが、弟の竜胆さんの真の『結末』を知り、安らぐ必要があるんです」


 航は、自分の素性、母親の悲劇、そして「追体験」の力について、包み隠さず住職に話した。大地と玲奈も、航の傍らで、その言葉を補足するように頷いている。

 住職は、航の告白を、驚きもせず、ただ静かに聞いていた。その表情には、深い理解と、どこか諦めのような色が浮かんでいる。


「……なるほど。そういうことでございましたか」


 住職は、ゆっくりと目を閉じ、そして開いた。


「この寺には、古くから言い伝えがございます。昔、飢饉が近くの村を襲った際、禁忌の政を行ったと。その村の一族は飢饉を免れはしたが、ある呪いに蝕まれたと……。それがあなた様の一族ということなんでしょう。また、その村を追われた竜胆の血筋も、同じくあなた様は引き継いでいるという。何か特別な縁があなた様にはあるのでしょう」


 住職は、静かに立ち上がると、本尊の脇へと歩み寄った。そこには、小さな厨子が置かれている。住職は、厨子の扉をゆっくりと開いた。

厨子の中には、色褪せた布に包まれた、小さな包みがあった。住職は、それを丁寧に手に取ると、航の前に差し出した。


「これが、竜胆が生涯肌身離さず持っていた、髪飾りでございます。彼が亡くなった後、寺で大切に保管してまいりました。あなた様が、その役目を果たすために必要とあらば、喜んでお譲りいたしましょう」


 航は、震える手で、その包みを受け取った。布を開くと、そこには、カエデの葉を模した、古びた銀製の髪飾りが姿を現した。細やかな彫刻が施されており、楓が身につけていた頃の美しさを今もわずかに宿している。

 航が、その髪飾りに触れた瞬間だった。

 全身を、言いようのない懐かしさが包み込んだ。それは、まるで遠い昔の記憶が、一瞬にして蘇ったかのような感覚だった。同時に、頭の奥が激しく軋み、視界が真っ白になる。


「うっ……!」


 航は、呻き声を上げ、その場に崩れ落ちそうになった。


「航!」


 大地が、素早く航の身体を受け止める。航の意識は、朦朧としていた。


「住職さま、航が……!」


 玲奈が、焦った声で住職に訴えかける。

 住職は、航の様子を冷静に見つめ、すぐに指示を出した。


「奥の部屋に、休める場所がございます。そちらへお運びなさい」


 大地は、航を背負い、住職に案内された部屋へと向かった。玲奈も、心配そうにその後に続く。


 運び込まれた部屋の布団に横たえられた航は、うめき声を上げ続けていた。その瞼の裏では、なぜか先ほど追体験したはずの竜胆の記憶が、繰り返し、繰り返し再生されていたのだ。彼の喜び、悲しみ、そして姉への尽きることのない思いが、航の意識に深く刻み込まれていく。


 しばらくして、航はゆっくりと目を開けた。頭痛は治まり、視界もクリアになっている。しかし、心の中には、今までになかった感情が渦巻いていた。


「航、大丈夫か!?」


 大地が、心配そうな顔で覗き込む。玲奈も、航の額に触れ、熱がないことを確認した。


「ああ……大丈夫だ」


 航は、ゆっくりと起き上がった。そして、先ほどの追体験で得た情報を、改めて大地と玲奈に詳しく話し始めた。


「竜胆さんは……村を追われた後、この寺に辿り着いて、住職さんに助けられたんだ。そして、ここで寺男として働きながら、近くの娘さんと結婚して、子供もできて……穏やかに、幸せに暮らしていた」


 航の声は、どこか遠くを聞いているようだった。


「ただ……最後まで、姉さん、つまり楓さんへの申し訳なさだけは、抱えていたみたいだ。自分だけが幸せになったことへの罪悪感を……。だから、楓さんの髪飾りを、ずっと肌身離さず持っていたんだ」


 航は、自分の胸元に置かれた髪飾りにそっと触れた。その感触は、もう見慣れたものになっていた。


「……俺の目には、竜胆さんが光の塊になって、俺の身体の中に消えていくように見えたんだ。……何となくだけど、竜胆さんが俺の中にいるような気がする」


 航は、戸惑いながらも、正直に告白した。それは、単なる感覚的なものではなく、竜胆の感情や思考の一部が、自分の中に流れ込んできたような、不思議な感覚だった。


 大地と玲奈は、航の言葉に驚きを隠せないでいた。しかし、同時に、それが楓の呪いを解くための、新たな段階に進んだ証拠であることも感じ取っていた。


 しばらくして、住職が部屋を訪れた。航の様子を見て、住職は静かに頷いた。


「やはり、あなた様は、特別な存在のようですね。あなた様の中に別の魂の存在を感じます……」


 住職の言葉は、航の感覚が間違いではないことを示唆していた。


「叶うならば、竜胆の心残りを亡くしてあげていただけますよう……」


 住職は、そう言って、航の胸元にある髪飾りをそっと指差した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る