噓と秘密の告白②

 翌日の朝、登校のためにマンションから外に出た俺は、むわっとした空気があるのを察して「うへぇ」と思わず口に出してしまった。


 5月ももう半ば、汗ばむ陽気という日も珍しくない今日この頃ではあるが、そんな5月らしい暑さではない。上着が必要かどうか迷うレベルではなく、上着を着ていたら頭がおかしい人扱いされる暑さだ。


 朝見たテレビが言うには本日の最高気温は29度らしい。それはもう初夏ではなく夏だろうと思うが、今日を過ぎればまた平年並みに戻るという話なので、この一日のために夏服を引っ張り出すわけにはいかなかった。っていうか、校則でこの時期に認められているのは合服までだ。ついでに言うなら冷房が許されるのも6月からである。


 近年の異常気象に対応していない校則は変革すべきものではないか、やはり俺が大統領となってこの学校に対して革命を起こさねばならないか……なんてことを考えながら、暑すぎる通学路を歩いていく。大統領にならなくても生徒会長になれば、学校に改革をもたらせると気付いた頃には教室まで辿り着いていた。あと、大統領は革命起こされる側だった。


 完全に無駄なくだりを脳内から消去しつつ、自分の席に座り大きく息を吐いた。教室の様子は伺うまでもなく、この暑さについての話題ばかりであり、ブレザーを着ている人は誰もいない。なんなら大半の生徒は長袖のシャツを肘の辺りまで捲っていた。下敷きやノートを団扇代わりにしたり、団扇そのものを持ってきている人も多い。


「あー……あっちぃー……」

「あっついねー……ねえ、クーラーまだ使えないのー?」


 それは例の4人組も同じようで、常に派手に着崩している田中さんはともかく、いつもは割とちゃんと着ている方の白石さんもリボンを外して二の腕まで腕捲りしていた。


「さっきクーラー入れようとしてダメだったの見たばっかでしょ。他で管理してるからどうしようもないわよ」

「えー? 愛理沙、それなんとかできないのー?」

「できたとしても、わたしはやらないからね。自分で調べて解決して」


 黒磯さんのお願いを早川さんは一蹴する。彼女たちも白石さんと同程度に着崩していた。


「うえー……クーラー使えないなら、もう脱いじゃった方がいい気がしてきた……脱ぐかー」

「やめて、ここ女子校じゃないんだから。ちゃんと服は着なさい」


 ブラウスのボタンに手を伸ばした黒磯さんを見て、早川さんが全力で止める。全裸少女が他人の脱衣を妨害するという貴重なシーンだ。お前が言うなよ感がすごいし、どんな時間でもちゃんと服を着てほしい。あと、女子校だったら別に脱いでいいわけじゃないよ?


 その後も暑さに対して文句を言っている早川さんたちのグループだが、今日はここ最近ずっとあった緊張感がないように思えた。この暑さで田中さんも自分のカレシにイラついている余裕がないようだ。いや、この暑さにはイラついているだろうけど。俺もイラついているし。なんにせよ、他のことに気を取られてくれているのはありがたい。一時期的なものかもしれないが、これをきっかけに気分が落ち着いてくれる可能性だってあるだろう。


 そんなことを願いながら、それはそれとしてクソ暑いな……朝でこの暑さだと、昼間どうなるんだよ……ってか、田中さんのことなんかクソどうでもいいな……

 俺もみんなと合わせるように袖を捲り、団扇代わりの何かを取り出そうとしたところで、


「ふうぅ……」


 ガラッと教室の後ろの方の扉が開く音がした。目を向けると丸内くんがやってきたところのようだった。彼はすでにブレザーを脱いで腕に持ち、他のみんなと同じようにネクタイを外して腕捲りしていた。どうやらもうすぐホームルームのチャイムが鳴る時間のようだ。


 丸内くんは元々教室に来る時間は遅かったが、このところはチャイムが鳴るギリギリにやってくる。理由は考えるまでもなく、田中さんからの攻撃を最小限に抑えるためだろう。1年のときは割と早い時間に教室にいたような気がするし、狙ってやっているのはほぼ間違いない。多分、別のクラスの友達と話でもして時間を潰しているんじゃないかと思う。


 彼は彼なりに教室の様子を気にかけているんだな……とは思うものの、それよりこの暑さだよ暑さ。クソどうでもいいとまでは言わないが、暑さ対策よりは優先して考えるようなことじゃない。俺は改めて団扇代わりになる何かを探そうとする。


「おい、マル。なんで校則違反してんの?」


 暑すぎる教室の中で、いきなり冷え切った声が響いてきた。


「5月なんだから半袖で登校しちゃダメだろ。ネクタイもしないと生徒指導に連れてかれんぞ?」

「えっ、えーっと……」


 いくらなんでも過ぎることを言われて、さすがの丸内くんも愛想笑いすらできないでいた。そんなこと言っている本人が、リボンを外してブラウスの第2ボタンまで開けているのは何のギャグだ。そのせいで下着がチラ見えし、更には肩まで袖を上げている状態である。そもそも指摘されたような格好をしてるのは丸内くんだけでなく、俺もネクタイ以外はほぼ同じ格好をしている。なのに、彼にだけそのことを言うのは、もはや攻撃ではなく排除が目的なのかと思わせるには十分すぎるものだった。


 暑さにやられて騒がしくはなくとも声はしていた教室が、一瞬にしてシン……と無音になる。全員が全員凍り付いてしまった。例外は、攻撃的な笑みを浮かべる田中さんと、ニヤニヤ笑うだけの黒磯さんと、よく分からない笑顔を作っている白石さんだけだ。


 だがその無音の時間も、キーンコーンカーンコーン……という間の抜けたチャイムの音によって一瞬で破られた。どうやら丸内くんの気遣いが功を奏したようだ。このクラスの担任はチャイムとほぼ同時に教室にやってくるタイプなので、これでこの場は誤魔化せるだろう。あまり厳しい先生ではないけれど、教師の前で露骨にハブる真似をするほど無法ではなかったはずだ。


 ……そう思っていたのに、その担任の教師がなかなかやってこない。この教室以外のざわめきが廊下から聞こえてくるのを考えると、もしかしたらこの暑さでクーラーの使用許可などについて職員会議か何かが行われているのかもしれない。それで教師全員がホームルームに遅れている、という話はあり得なくはないだろう。


「……マルさぁ、せっかく注意してあげてんのになんで無視すんの? 先生に見つかって怒られてもいいわけ?」


 先生がやってくる気配がないことは彼女たちも察知したらしく、田中さんは口角を吊り上げて丸内くんへの攻撃を再開する。


「ほら、清水もまだ来ないみたいだしさぁ、今のうちにちゃんと着ておけよ」

「ははは……ありがとうございます、ではそうさせて――」

「ああ、そっか。マル、相撲取りみたいな身体してるもんな。むしろ脱いどきたいみたいなところあるとか?」


「えっ」という音が、俺の口と隣の丸内くんから聞こえてきた。


「相撲って裸でやるもんだしな。そういうことなら手伝ってやるかー。ほら、お前らも行こうぜ」


 そう言って自身のグループにも声をかける。冗談だとしても質が悪いが、どうも本気でやる気のようだ。

 ……こんな暑い中、なんで更にイラつかせるようなことをするんだ。俺は人間関係に対して、いい方にも悪い方にも無関係でいたいのに。

 無視するわけにもいかずに、こちらにやってくるつもりの田中さんたちの間に入るために腰を浮かしかけた、そのとき、


「――ねえ、ツムギ。今日って1時間目、数学に変わったんだっけ?」


 先程の田中さんより更に冷たく、冷静な声が聞こえてきた。


「え? あー……そういえば昨日、そんなこと言ってたような?」


 早川さんの近くにいたツムギと呼ばれた女子、白石しらいしつむぎさんが思い出すように顎に人差し指を当てながら言う。


「じゃあ、今のうちに宿題写しとかないとまずくない? メイカ、やってきてるの?」

「え、やってない! 愛理沙、そういうのは早く言ってよっ!」


 そう言って黒磯くろいそ芽衣佳めいかさんは、丸内くんのところに向かおうとした足を反転させて早川さんの方へと駆けていく。そして、彼女が取り出したノートを持って自分の机に向かい出した。


「ロコは? 写すなら芽衣佳と一緒にやった方がいいと思うけど」

「……愛理沙」


 ロコこと田中博子さんが、早川さんの方へ敵意に満ちた目を向ける。


 ……実はこういう手段で田中さんを止めるのは今週だけで3回目、しかも今回は特に露骨なやり方だ。当事者でない俺でさえ察してしまうことを、まさに妨害された立場の田中さんが感じないわけがない。

 さっきまで教室中に漂っていた緊張感は凝縮され、同じグループであるはずの二人の間に火花となって現れる。しかし、丸内くんを攻撃されるのは隣の席という理由で止めることができても、彼女たちの間に入って止める理由がない。取っ組み合いの喧嘩にでもなれば話は別だが、今はただ互いに相手のことを見ているだけだ。


 こうなったら時間が解決してくれるのを願うしかない。だけど、まだ廊下からざわめきが聞こえてくる現状だと、もうしばらく担任が来るまで時間がかかりそうだ。

 一触即発のこの状況下、何がどうなるのか分からない先の読めない緊張が走る。ただ、このままでは間違いなく彼女たちのグループに亀裂が生じてしまうのは予想できた。最終的にどうなるのかは分からないが、早川さんがその中で孤立する可能性は十分あり得る話だった。なにせ、傍から見る限りは彼女たちの中心は田中さんに見えるからだ。


 曲がりなりにも顔見知りとして、どうにかそれは避けてやりたい。けれど、そこに関わる理由が俺にはない。無関係な俺では、何を言ってもどうしようもない。


 ……いや、理由なら一つあるじゃないか。こういうときのために使うものじゃない気がするけど、柔軟な対応だって必要だろう。俺もあらゆる意味で無関係ではいられなくなるが、早川さんがグループ内で孤立してしまうよりはずっといいはずだ。


「そうだよ、ロコ! 早く写さないとまずいって! あの先生、宿題忘れた人にばっか授業で当ててくるじゃん!」


 だが俺が何かする前に、そんな緊張感など知ったこっちゃないという黒磯さんの大声が響いてきた。


「ほら、早く! 清水ちゃんも遅れてるし、量も多くないから間に合うよ!」

「……わーったよ、芽衣佳。そんな大声で呼ばなくても大丈夫だって」


 呆れたようにため息を吐いてから、田中さんは黒磯さんのところへと向かう。黒磯さんがあえて空気を読まなかったのか、それとも元々こういう子なのかは分からないが助かってしまった。切り札なんて、切らずに済むならその方がいい。

 そんな空気の変化もあって、教室内はぎこちないながらもどうにか元の雰囲気に戻ろうとしている。ちらりと早川さんの方に目を向けると、彼女はホッとしたように息を吐いていた。


 *


 平時よりだいぶ遅れてきた眼鏡をかけた40代の少しふくよかな担任は、「今日から気温が一定以上になる日は夏服での登校も認めます」という、本日の酷暑対策を発表した。本日のというか、もうすでにみんな学校に来ているから明日以降の対策になるんだが? しかも明日から平年通りの気温だけど? 今日を過ごすためにクーラーがいるんじゃないの?


 やはり現代の教育現場は腐敗している、俺が大統領となってこの学校を――この話はもういいか。


 真面目に考えると、そう簡単にはクーラーを動かせない事情があるのだろう。それが光の理由か闇の理由かまでは知らない。それが分かったところで、今日はクーラーが動かない暑い教室で過ごすことになることは変わらないし、深く追及する意味もなかった。


 そんなわけで季節外れの暑さの中でも、授業はいつも通りに行われていた。しいていうなら体育の授業が少し短くなったとのこと。今日このクラスに体育の授業がなかったので、羨ましそうに話していたクラスメイトの話を耳にしただけだが。ってか、時間が短くなってもこの暑さで体育させられてるから羨ましくないよ、冷静になって。


 気温以外はいつも通りの学校生活。しかし、昼休みに入ってすぐに変わったことが起きた。

 このところグループ全員引き連れて食堂で昼食を摂っていた田中さんが、今日は昼休みが始まるのとほぼ同時に一人で教室を出て行ってしまった。グループの他の子たちはそれを気にした様子もなく、みんな「また後でねー」みたいなこと言いながらバラバラに動いていた。


 今朝のことがあって早速早川さんをハブる方向に動いた――という様子には全く見えない。そもそも一人で出ていったのは田中さんの方で、むしろ彼女がハブられている方がまだありえた。ただそれも他の3人が全く気にしていないのを見ると、見当違いの可能性が高そうだ。

 何かあったのは間違いなさそうだが、その何かまでは分からない。ちょっと気になりはするけど、この場にいても知る手段はないし詮索する必要もないだろう。それより、昼休みをあの4人がバラバラで過ごすことになりそうなことの方が重要だ。


 購買でカレーパンとタマゴサンドと野菜ジュースを買い、いつもより少し駆け足で旧校舎の図書室へと向かう。


「あ、牧田くん。やっぱり来たんだ」


 そこにはゴールデンウィーク前と同じ席に座っている、早川さんがいた。


 ツーサイドアップにしている濡羽色をした髪、少し勝気な印象はあるものの大きくて丸いかわいらしい瞳、リップによって彩られた瑞々しくツヤのある赤い唇。教室でも見ているから当たり前だが、以前の早川さんと変わりない。違いがあるとすれば、耳にダークブルーパールとゴールドのヒトデを組み合わせたイヤリングを着けていることくらいだ。


 そして、図書室の長机の上には制服が綺麗に畳まれて置かれ、ピンクのブラが見えているのもゴールデンウィーク前と一緒だった。いつもより早めに来たはずなのに、この人、もう脱いでる……


「……まあ、他で飯食べることないし、そりゃ来るけど」


 あったはずの色々な思いが落ち着いていくのを感じつつ、俺もゴールデンウィーク前と同じ席に座る。俺の場合はずっとここに座っていたけど。あと、やっぱピンクの下着っておばさんくさいと思った。


「とりあえず、忘れないうちに渡しておくね」


 飯を食う前にまずは服を着るようにツッコむところからかなと思っていたら、その前に早川さんが自分の制服に手を付け始めた。

 俺が何か言う前に服を着ようとしている……? この人、本当に早川さんか……? なんて本気で疑っていたら、彼女は制服を着るわけではなく、財布を抜き出して中からお札と小銭を出してこちらに渡してきた。


「これのお代。遅くなっちゃってゴメンね」


 耳元のイヤリングに触れながら言われる。前も思ったけど最後に選んだだけでプレゼントしたわけでもないのに、なんか嬉しく思っちゃう自分が謎過ぎる。


「ああ、ありがとう。色々と大変そうだったし、遅れたのはしょうがないよ」


 クラスでの状況は分かりすぎているくらい分かっているので、こうして返すのが遅くなったことに何か言うこともない――と思っていたけど、その金額が100円ほど多いことに気付いて首を傾げる。イヤリングは割とキリのいい値段だったので単数を適当にする必要もないから、間違って100円多く払っちゃったのかな?


「それでもう一つゴメンだけど、今日も食堂のつもりでお昼ご飯準備してなくて。よかったらパンを1個もらえないかな? 代金は今一緒に払ったから」


 バツが悪そうに言われるが、色々と納得するところなので特に気にすることもない。買ってきたばかりで未開封のカレーパンとタマゴサンドを机の上に置く。


「それくらいなら全然。ただ、あんまり女子受けしそうにないラインナップだけど……」

「急に頼んだんだから、そんなこと気にしないでいいって。タマゴサンドもらってもいい?」

「了解。はい、どうぞ」


 タマゴサンドを早川さんに渡すと、「ありがと」とかわいらしくお礼を言われる。それだけなのになんだか満足感があった。

 早川さんが封を開けるのに合わせて、俺もカレーパンの封を開ける。一口食べたところで、昨日の夕飯がキーマカレーだったことを思い出す。カレーライスとカレーパンは俺の中では別ジャンルだからいいか。


 タマゴサンドを両手に持ってリスみたいにちまちま食べる早川さんを見ながら、口の中の水分補給と喉を潤すために野菜ジュースを飲んだ。いつもより美味しく感じるのは、きっと今日の暑さのせいだろう。


「はぁ……教室よりはマシだけど、ここも結構暑いな」


 独り言なのか話しかけてるのか、よく分からない言葉が思わず零れてしまう。旧校舎は人が少なく歴史を感じさせる木造部分が多いのもあって、普段使う校舎より風通し自体はよかった。この部屋もいつもは閉じている窓を開けていて、レースカーテンが時々ふわりとする程度のそよ風が入ってきているのも、若干の涼しさを感じさせる要因になっているみたいだ。


 それでも昼時という一番暑い時間帯なのもあり、どうしても汗が流れてくるのを止めることができない。汗だくになるほどではないとはいえ、匂いには気を付けないと……などと考えていたら、妙に涼しそうな顔してピーチ味の天然水を飲んでいる早川さんが気になってきた。ピーチ味の天然水ってもう天然水じゃないだろ、というところが気になったわけではない。


「早川さん、あんまり暑そうじゃないよね。平気なの?」

「うん? 暑いのは暑いよ。でも教室よりは楽でしょ」

「それはそうだけど、ここにもクーラーないし。何か対策してる?」

「んー……特に何かしたわけじゃないけど、勝手に対策したことになってる、って感じかな? なんだと思う?」


 なぜかドヤ顔をかわいく決められながらクイズを出されるが、正直それに付き合いたいほど気になっていたわけではない。が、こういった形で問われると真面目に考えてしまうのも人の性なので、とりあえず色々と観察して考えてみよう。


 あり得そうなのは窓から入ってくる風が思っているより涼しい、というところだろうか。気温こそ高いものの真夏のような日差しはしていないので、窓際の席にいる彼女の方が過ごしやすいのは間違いない。ただ、あくまで吹いているのはそよ風であり、それが吹いたときは涼しくてもそうじゃないときに平気な理由にはならなさそうだ。……というか、今日窓を開けているのは暑さ対策だろうから、勝手に対策になったというのとは違うよな。


 じゃあ、元からあまり暑さを感じない体質なのかもしれない。なんかあまり汗をかかない人もいるという話を優姫から聞いた覚えがある。早川さんがそういうタイプだと聞いた覚えがないが、そもそも尋ねてないので知らなくても当然だ。現に今も、顔どころか体にも汗が流れてるようには見え――


「あっ、脱いでるから!? 服を脱いでるから涼しいの!?」


 思わず二度言ってしまうくらい、完全な盲点となっていた。そりゃ服を着てなきゃ着ているときより涼しいのは当たり前すぎる。


「そういうこと。今日やけに暑いのは、気温もあるけど夏服じゃないってのもあるでしょ? だったら服さえどうにかすれば、簡単に暑さ対策できるってことになるわけ。つまり、今日わたしが脱いでるのは趣味と実益を兼ねてる、ってことになるのよ」


 かなりムカつくレベルの『ドヤヤっ』って感じの表情で言われるが、理論としては正しすぎて何も言い返すことができない。


「牧田くんもどう? 脱いだら涼しくて気持ちいいよ?」

「涼しそうではあるけど、女子の前で裸になんかなるわけないだろ。エッチな目で見られたくないよ」

「それを言う立場は女子のわたしな気がするんだけど……まあ、全部脱がなくてもワイシャツだけでも脱いだら? そのくらいなら気にしないよ?」

「それも遠慮しておく。でも俺だけ暑いのも悔しいから、ちゃんと服を着てくれ」


 負け惜しみでそう言うと、しっかり負け惜しみとして受け取ってくれたらしく、髪をかき上げながら勝ち誇った笑みを向けられた。普通に腹立つ。カレーパンを一口噛んでから悔しさと一緒に飲み込んだ。


 そんなくだらない会話を続けていたくはあったが、早川さんに話さなければならないことがあるのを忘れてはならない。もう一口分だけ野菜ジュースを飲んでから話しかけた。


「話変わるけど、朝はありがとう。助かったよ」

「朝? えーっと……」

「ほら、丸内くんが田中さんに絡まれてたやつ」


 なんのことか分からないという顔をされたので補足説明すると、早川さんは苦笑いを浮かべた。


「別にあれは牧田くんを助けたわけじゃないよ。なのに、お礼を言うのって変じゃない?」

「それはそうだけど、正直隣の席にあんな絡み方されると迷惑だし……こっちも助けられてるみたいなものだから」

「まあ……分かるけど」


 あはは、と誤魔化し笑いを浮かべられる。同じグループの子が悪く言われるのも困るだろうけど、そうされる理由があるのも分かっていたら、こんな態度にならざるを得ないよな……


「あと、今回のことだけじゃなくて、4月から田中さんの気を逸らしてくれてたみたいだしさ。そのことも改めてお礼を言っておきたいなって。ありがとな」


 ついで感覚で今まで言いそびれた礼も告げると、早川さんは大きな目を更に大きくして何度も瞬かせる。


「……気付いてるとは思わなかった」

「俺が止める前に声をかけてる場面を何度か見れば、さすがにね」


 田中さんたちが丸内くんに悪意を持って絡みにいくのは、クラスが変わってからすぐの頃からだ。一体何が気に入らないのかは分からないが、結構な頻度で行われるそれに早川さんは関わることなく、むしろ事あるごとに気を逸らすようなことを言って丸内くんに絡むのを止めるように誘導していた。俺も最初からそれを知っていたわけではなく、早川さんとここで出会ってから気付いたくらいなので、他にいるとしたら当事者である丸内くんだけではないかと思う。


「それより、早川さんの方は大丈夫? 今日とかだいぶ怪しい雰囲気になってたけど……」


 だがそれも、絡みに行くとしても週に1、2回程度だった4月までの話だ。ゴールデンウィーク以降、俺だけでなく彼女も何度となく助け舟を出していたので、周りはもちろん田中さんにも完全に気付かれていた。

 このままではグループ内だけでなく、教室でも微妙な立場になるのでは……なんて思っていたら、早川さんはやれやれという感じで一つ息を吐いてから言う。


「それなら多分大丈夫だよ。カレから謝りたいって連絡があったって、博子言ってたから」


 だから今日は昼休みがフリーになったの、と彼女は続ける。


「それはよかった――で、いいんだよな? またややこしいことになったりしない?」

「分からないけど、これでしばらくは大丈夫じゃないかな? よりを戻すつもりで向こうは連絡してきたと思うし」

「ちゃんとした別れ話の可能性もあるんじゃないかって思うけど、その辺は経験ないからなんとも言えんな……まあ、少なくとも何か進展があるってことか」


 全てがいい方に向かうかは分からないが、現状から動きがありそうなのは一つの希望になる。あとは余計に悪化する方向にいかないことを祈るだけだ。


「上手くいってもいかなくても、わたしが博子の邪魔してたことなんて忘れるでしょ。今日だって、すっかり忘れてウキウキでカレシのとこまで行ってたし」

「ウキウキだったんだ……そこまでは分からなかったんだけど、早川さんが言うのなら信じておくよ」


 ウキウキな田中さんを全く想像できないが、話を聞いている限りは割と単純な性格をしているような気がしてきた。こういう攻撃的な人によくよく話を聞いてみると、特に深いことを考えてないだけだったなんてこともあるらしい。これもそのパターンなのかもしれない。


「なんにせよ、田中さんのカレシはがんばって田中さんを幸せにしてほしいね。そうすれば俺たちが迷惑を被ることも減るだろ」


 心の底から願いながら言ったのだが、しかしそれに対して早川さんはなぜか引き攣った笑みを浮かべていた。


「……え、なに? カレシの方も問題あるの? 俺たちに迷惑かけるタイプなの?」

「……ううん、カレシの人は3年生だから。牧田くんには直接迷惑かけないとは思うよ」


 牧田くんには、という部分が非常に引っかかる。早川さんには迷惑かけてくるタイプなの?


「あの先輩、女癖が悪いから。多分、博子は遊ばれてるだけじゃないかな」


 ため息混じりに言われ、色々察してしまう。これは迷惑かけてくるというか、すでにかけられた後か……


「今回もカレが浮気したとかなんとか言って喧嘩してたしね。春休みにも同じこと言ってたし、反省も何もなさそうだなと思って」

「春休みって2か月前じゃねぇか。そんな短期間に2回浮気されるとか、本当に田中さんと付き合ってるの?」

「博子の方は付き合ってると思ってるっぽいよ。でもまあ、正直他に本命いそうとは思ってるかな」


 はああぁ、とめちゃくちゃ大きなため息を吐かれる。聞いてるだけの俺もため息を吐きたい気分になってきたから、絡みがある早川さんはそのくらいのため息は出るだろうなという気持ちになった。


「っていうか、わたしや紬にも声かけてきたし、なんなら芽衣佳もナンパしてたのよね。同じグループの子だって分かってるんだから、そういうのやめてほしい、ホントに」


 ……会ったこともない先輩だが、俺の中での評価は地に落ちた。現状、田中さん未満だ。


「優姫に聞いた話だと、自分の好きな相手に告られるのもアウトなんだっけ? 正直、よく分からない理屈過ぎて全く気持ちは理解できないけど」

「そんなものだと分かってれば十分よ。博子と先輩両方の機嫌を伺いながら断るの、本当に大変だったんだから」


 また大きなため息を吐かれる。お疲れ様です、としか言えなかった。

 しかしそんな相手と付き合ってるとか、田中さんも大変だな。男を見る目がないのが悪いといえばそれまでだが、恋愛関係では何も悪いことをしてないのに酷い目に遭うのも――なんか前に田中さん、友達のカレシ寝取るの好きとか言ってたな。じゃあどうでもいいや。


「しっかし、あれだな。早川さん的にはそういう人付き合いをやめるわけにはいかないんだろうけど、面倒すぎて俺には無理だなぁ」


 人付き合い、友達付き合いとはそういうものだとなんとなくだけど分かってはいる。その上で、俺は途中でやってられなくなって投げ出しそうだな、とも今の話を聞いて思っていた。過去のことがあって周りと話が合わないから人付き合いをしないだけなんて考えていたが、こうした考えを持ってしまう時点で実際は人付き合いができない側なんじゃないかと考えを改める必要がありそうだった。


 そんな自身への呆れ半分、それでも人付き合いを続ける早川さんへの尊敬半分で零れた言葉だったのだが、それを聞いた彼女は大きな目を数度瞬かせ、間の抜けた不思議そうな顔をした。


「どうしたの? 今言ったことなら早川さんを馬鹿にしたわけじゃなくて、むしろ尊敬してるくらいの気持ちだったけど……」

「あ、えっと……言い方が気になったわけじゃ――いや、気になったのは言い方なんだけど、そこじゃなくて」


 要領を得ないことを言う早川さんは、一つ咳払いしてから続ける。


「なんかわたしがグループの子との付き合いをやめるわけにはいかない、みたいに言ってる風に聞こえたから。違った?」

「え、いや……合ってる、けど……」


 なんでそんなことを聞かれたのか分からない感じに言われるが、こっちとしてはなんで分からなかったのか分からないので戸惑う。


「……早川さんって、クラスでハブられたくないから今のグループにいるんじゃないの?」


 結構デリケートな話題のはずなので、恐る恐る踏み込んでみる。が、踏み込みが浅すぎたのか、彼女は首を傾げるだけだった。


「まあ、そういう面がないわけじゃないかな? でも、それをなんで牧田くんが気にしてるのかが分からないっていうか」

「……えーっと……早川さん、昔イジメられてたんだよね? だからもうそんなことがないように、クラスの上位グループにいるようにして、そこから外されないために色々対策してるんだと思ってたんだけど……」


 これは大胆に踏み込まないと話が進まないと判断して、直球で答えを言ってしまう。前に露出趣味のきっかけを聞いたときに話しにくそうにしていたから、イジメのことについては直接触れないようにしたかったのだが、このままここで会話を打ち切るのも難しそうなので仕方がない。


「それは……そう、ね……」


 早川さんはようやく気遣われていたことに思い至ったのか、気まずそうに目を逸らして肯定する。


「ああ、よかった。そうじゃなかったら、なんで俺は偽カレシ役なんていうややこしい真似をしてるのかってなってたところだぜ……」

「……そっちは忘れてないから安心して。ってか、偽カレシ役なのにバレないようにするっていう、もっとややこしいことにしたのはそっちでしょ?」


 暗い空気にはしたくなかったのでわざと軽い感じに言うと、彼女もちゃんとそれに乗って冗談混じりに返してくれた。さっきのはどうも天然をかましただけみたいだな。たまにそういうところがあるのもだんだん分かってきたし、気にしないでよさそうだ。


「俺は面倒事に巻き込まれたいわけじゃないからな、無関係でいられるならいたいんだよ。……というか、実際なんで田中さんたちのグループと付き合ってるの? 見てる感じ、1年のときからの付き合いっぽいけど」

「1年のときに芽衣佳と話すようにしていたら、いつの間にか四人で集まることが多くなったって感じかな。わたしが選んで彼女たちと付き合うようにしたわけじゃないよ」

「へー……なんかあんまり早川さんが仲良くしそうにない人たちだと思ってたけど、黒磯さんが集めたみたいな感じなのか」


 彼女たちのグループの中心は田中さんだと思っていたから、結構意外な話ではあった。それ以上の深い意味はない発言だったのだが、なぜか早川さんは困ったように笑いながら言う。


「芽衣佳は別に集めようと思って集めたわけじゃないだろうし、博子があんな感じだから周りが声をかけにくいってのもあると思うよ。でも、わたしが仲良くしそうにないってのは言い過ぎじゃない? わたしも別に自分のことをいい子だとも思ってないし、みんなも言うほど悪い子じゃないって」

「そうなの? グループの子はともかく、早川さんは俺の見てる限りだと服を脱いでること以外はいい人だと思ってるけど」


 軽犯罪とはいえ犯罪者をいい人と言っていいのかという話はあるが、少なくとも弄りでは済まないことを止めようとする程度には倫理観のある人だし、二人で話していても嫌な気持ちにはならない相手だった。今まさにグループの子をフォローしようとしてるのとか、残りの3人はあまりやらなさそうな行為だと思っている。


「……いい人だったら、まず牧田くんを巻き込もうとはしないでしょ?」


 呆れたように言われる。それはその通りなので何も言い返せなかった。


「さっきも言ったけど、みんなも牧田くんが思ってるほど悪い人じゃないしね。芽衣佳は深く考えないだけで、明るくて面白い子だよ。陸上部の方でも慕われているみたいだし」

「ああ、黒磯さんがそういうタイプなのはなんとなく分かる。ってか、陸上部だったんだ、彼女」


 初耳の情報だったので『へー、そうなんだ』気分で言うと、なぜか驚いた目で見られてしまった。


「芽衣佳、陸上で全国行けるレベルなんだけど……知らなかったの?」

「知らなかった。友達いないし、どうでも――全国!?」


 聞き流しかけたヤバい単語に遅れて気付き、思わず大声で確認してしまう。早川さんはコクリと頷くだけだった。


「え、なんで全国……? なんで全国レベルの人がうちの学校にいるの? そんなに陸上部強いところだったっけ? なんで?」

「知らなかったのなら驚くのも無理ないけど、ちょっと動揺しすぎじゃない? 陸上部は強くないよ、芽衣佳が家から近いって理由でここに通ってるだけ」

「ええ……陸上の練習がどうなってるのか知らないけど、そういうのってちゃんとした学校の方が絶対いいんじゃないの? 全国レベルならスポーツ推薦とか余裕だろ?」

「わたしもそう思うけど、本人がそうしたいんだから仕方ないじゃない。ほら、正門出てすぐ目の前に家があるでしょ? あそこが芽衣佳の家なの」


 その家ならさすがに知っているというか、嫌でも目に入る。それだけ近ければ推薦蹴ってでも入る価値がある……のか? ないんじゃないの? 分からんけど。


「それに去年、1年で全国まで行ってるしね。そのくらい速かったらどこでもいいってことなんじゃない?」

「そう……なのかな? それでも、ちゃんとした設備がある方がいいんじゃないって思うけど……」


 もはやレベルが違いすぎて、素人が何か言っても全てが的外れになる気がしてきた。1年で全国行っちゃうのは、多分そのうちオリンピックとかに出るんじゃないかな……


「わたしも分からないから、芽衣佳が大丈夫なら何か言わなくてもいいんでしょ。とにかく、そんな子だから周りからも期待されてるし、本人もちゃんと応える気があるから、結構人気もあるわけ」

「ああ、それは分かった。……黒磯さんだけカレシいないのに何で許されてるのか結構謎だったんだけど、そういうことだったんだな」


 そりゃ全国レベルの運動能力となると、それだけで強力なステータスになる。下手なカレシがいるよりよっぽどすごい。つか、カレシなんか作ってないで練習してた方がいい。


「まあ、考えなし過ぎてその場のノリに乗りやすいというか、人がやってることならいいことでも悪いことでも平気で一緒にやっちゃうのは問題だけどね」

「なるほど……言ってた通り、色んな意味で深く考えてない子だな。えーっと、じゃあ白石さんは?」

「紬はああ見えて周りを見るタイプね。気を使ったり世話を焼いたりも結構するし、親しみやすい方じゃないかな? でも、自分の中でのラインはしっかりしてるから、それを超えてることは絶対やらないの。止めるかはそのときの気分だけど」


 早川さんの言葉で今朝の白石さんの行動を思い出す。田中さんの呼びかけに応じたのは実は黒磯さんだけで、白石さんは全く動きもしていなかったのだ。つまり、彼女的にアレは『ライン超え』な行いだったのだろう。周りをよく見るということは、教室内の空気も察していて田中さんに付いていくのはまずいと判断していたのもあるかもしれない。


 ゆるふわ系女子ってわがままなイメージあるから確かにちょっと意外だし、そういうギャップも込みだと男子にも女子にも好かれそうだな……なんて思っていたら、早川さんは徐々に声を小さくしながら続きを言う。


「……裏では平気で博子の悪口言うし、趣味は男漁りだし、平気で浮気するし、保身のために罪を押し付けたりもするけど……」


 人類の敵か?

 なんて思わず言いそうになったが、早川さんの友達にそんなことを言っちゃいけないので黙り込む。それに悪口なら今の俺たちも言っているようなものだし、白石さんだけを責めるわけにはいかない。


「でもそれを表に出さないようにする常識はあるから。安心して」

「前者2つはそれで許してもいいけど、浮気と冤罪は許しちゃダメじゃないかな……」


 っていうか、こういうのって腹黒というのでは? 周りを見るタイプじゃなくて、周りの評価を見てランク付けして扱うタイプでは?

 そんなことも思ったが言わない。実際に話したことがない相手にそこまで言うのは失礼に当たるからだ。それに、さっきの話だと希望が持てそうなことが1つだけあったし。


「ところで、なんで悪口は田中さん限定なの? 他の人の悪口は言わない聖人だったりする?」

「別に他の人の悪口も普通に言うけど、最近は博子の悪口ばっかり言ってるね。単純に博子のことが嫌いなんだと思う」

「早川さんのグループ、音楽性の違いとかですぐに解散しそうだな……」


 僅かな希望の芽はすぐに摘み取られたばかりか別の絶望が顔を見せてしまったので、つい本音が漏れてしまった。


「ちゃんと1年続いてるから変な心配しないでくれる? とりあえず、これで紬も表向きは特に問題ない子だって分かってくれたでしょ?」

「理解してる言い方はやめるんだ、友情を疑ってしまう。まあ、元から白石さんはそこまで問題ありそうな子には見えてなかったけどな」


 むしろ早川さんの話を聞いて、問題児認定してしまったまである。


「……で、最後に田中さんはどうなの? 正直、教室の様子だけじゃあんまり褒めるところが見当たらないんだけど」

「博子か……」


 早川さんは腕を胸の下に組んで考え込み始める。彼女が考えるとき何度かこのポーズをしているのを見ているが、なんか妙に男らしいんだよな。

 そんな男らしい早川さんは、10秒ほど考え込んだところで難しそうな顔をし始めた。その時間が20秒、30秒……となっていくたびに、どんどん味わい深い顔に変化していく。ちょっと面白かった。


「……………………博子にもどこかいいところあるよ、うん」


 そうして約60秒、考え抜かれた結論は諦めだった。


「ねえ、本当に田中さんは友達なの? 元気で明るいとかでもいいから、いいこと言ってあげよう? というか、実はグループ内でも浮いてて扱いに困ってるとかない?」

「友達だってば。ほら、こういうのって損得で考えるようなものじゃないでしょ? 気が合ってるかどうかの方が重要というか」

「気が合ってるのかも割と疑問なんだけど……白石さん、田中さんのこと嫌ってるんじゃなかったっけ?」

「……博子は紬のこと、嫌ってないから」


 俺の疑問に対する答えは悲しい事実だった。友達だと思ってたのに向こうはそう思ってなかった悲しさは、友達がいない俺でも容易に想像できる。


「まあ、田中さんがグループ内でも嫌われてるって聞いて、むしろ思ったより常識ある集団だったんだなと安心しておくよ。……今更だけど、なんであんなに丸内くんに絡んでるの? クラス替え直後からだし、何かしたってわけでもないよね?」

「知らない。大人しそうな見た目だし、弄っても反撃されないと思ってるんじゃない?」

「小学生みたいな理由だ……」


 進学校にこの手の人間は少ないと去年1年過ごして思ったのだが、0ではないんだよなぁとこの1ヶ月で実感することになるとは。バイト先の客にも見た目で全部判断して攻撃的になる人がちょくちょく来るから、世界中のどこにもいるものなのだろうけど、やっぱりあまり会いたくはない人種だと思った。


「丸内くん、友達いないからその点でも博子がやりたい放題しちゃうのよね。どうにかできればいいんだろうけど、無理矢理作るものでもないだろうし……」

「……いや、丸内くん、友達いるけど」


 困ったように間違ったことを言う早川さんについ指摘を入れてしまうと、彼女は「えっ」と声を出して驚いていた。


「去年同じクラスだったから知ってるけど、結構友達多いよ。その友達が全員クラス替えで離れたってだけで、昼休みとかは一緒に過ごしてると思う。体育も別のクラスの友達と仲良くやってるしね」


 丸内くんは変わった人ではあるが、悪い人ではないどころか善人に入る部類だ。最初こそ誰にでも敬語で話すというキャラが浮いていたものの、5月に入るくらいにはもう気にされなくなり、文化祭を通してクラスカーストの差による摩擦を上手いこと取り持ったことで誰とでも普通に話せるようになったという、学校という集団の中では非常に珍しいポジションを得ていた。本人は所謂オタク趣味が好きらしく友人と呼べるほど親しかったのはそうした相手ばかりだが、そうでない相手でもちゃんと話を聞いて合わせることができると、まさに『いい人』と言ってもいい存在だった。


 そんな人間なので男子はもちろん、小太りで眼鏡というあまり女子受けはしそうにない容姿ではあっても女子からの評判も悪くなかった。実際、去年俺や丸内くんと同じクラスだった女子は、田中さんの悪口ついでに丸内くんへの同情も一緒に口にすることが多かったし、田中さんのグループの目に入らないところでフォローしてるところも見ている。


 要は田中さんから目を付けられているから孤立しているように見えるだけで、実際は彼のことを嫌っている人間は多くないということだ。そうでなければ、もっとクラス全体が彼に対して攻撃的な雰囲気になっていることだろう。クラスカースト上位が攻撃対象にするということは、クラス全体で攻撃しても問題ないという空気を作り出す。しかし、そうはなっていないということ自体が、彼の人間性への評価に対する証拠でもあった。


「……そっか。わたし、変な勘違いしてたのね。丸内くんに悪いことしちゃったかな」


 そんな説明を簡単にすると、早川さんは落ち込んだ様子で言う。


「助けようとしてたんだし、悪いことをしたってことはないんじゃないかな。早川さんは田中さんと同じグループだから、知らない方が普通だと思うよ」

「うん……それはそうかもだけど、多分紬はその辺りも知ってたから関わらないようにしてたんだと思う。わたしもクラスだけじゃなくて、もっと色々見ないダメだよね……」


 仕方がないことだとフォローするが、それでも早川さんの表情は沈んだままだ。変に助け船を出すと余計に目を付けられるパターンは確かにあるが、助けようとしたこと自体は誇ってもいいのに。

 ただ、こういうことは他人が言ってもあまり効果がないものでもある。なので、俺は話題そのものを変えてしまおうと口を開いた。


「これから気を付ければそれでいいさ。ところで、早川さんって田中さんのこと教室じゃ『ロコ』って呼んでるよね。何か理由があるの?」

「ん? なんか博子、自分の名前がダサいから嫌いなんだって。名字も好きじゃないっぽいから、適当なあだ名で呼ばせてくるのよね」

「あだ名ってそんな自分から強要するものじゃない気がするんだけど……」


 田中博子という名前がダサいかはともかく、古風な気はするから現役女子高生としては嫌なものなのかもしれない。


「……というか、その事情を知ってるのに早川さんは裏では普通に名前呼びなんだ。ねえ、本当に田中さんのこと友達だと思ってるよね?」

「……………………思ってるよ、うん」

「めちゃくちゃ怪しい間を作らないで? 教室で当たり散らかしてるだけでも面倒なのに、グループ内のギスギスまで持ち込まれたら、もうやってられないから本当にやめてね?」

「大丈夫、博子は細かいことを気にしないタイプだから。カレシとの件が上手くいけば全部どうにかなるって」


 それはそれで田中さんのこと馬鹿にしてないかな……とは思うものの、これ以上何か言うことはやめておいた。なんだかかわいそうになってきたので。


 表に見えている人間関係が全てではない。ただ単に見えてないだけの場合もあれば、見せないようにしているものもあるし、本人も気付いていない複雑な関係だってある。外からその人間関係を見る側だって、自分の都合のいいように見てしまっている可能性だってあるんだ。俺が早川さんのグループの事情を全然知らなかったことや、早川さんが丸内くんの友人関係を知らなかったことが何よりの証拠だろう。


 そうした人間関係そのものを煩わしいと思う側としては、知らなくて済むならそっちの方が楽でいいのだけれど。


 田中さんたちの愚痴を聞いたり聞き流したりしながら流れていく昼休みの時間。ふと、もしも外からこうして話している俺たちの姿を見られたら、どんな関係に思われるのだろうかと気になった。……ちゃんと変態とそれを見せつけられてる被害者に見える、よな?


 そのことを不安がっているうちにカレーパンとタマゴサンドはいつの間にか食べ終わっており、それとほぼ同時に昼休み終了のチャイムが鳴るのだった。

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