第2話 公園デビュー(露出)
公園デビュー(露出)①
新たに始まった日常が馴染むまでに、時間というものはどうしてもかかるものだ。
新しい学校、新しいクラス、社会人なら新しい職場も入るだろう。そうした新しい生活を始めたてのころから、慣れ親しんだように過ごせる人類がいるわけがない。いるならそいつは未来からきている。タイムパトロールに通報して、ついでに猫型ロボットも連行していってもらおう。
それはともかく、環境への慣れに時間を取られるのは誰にでもあることだが、慣れていく時間の長さは人それぞれだ。3日もすればもう慣れるような人もいれば、1週間くらいで慣れてくる人、1ヶ月経ってもなかなか慣れない人、1年経っても無理な人、それぞれのペースがある。
また、それぞれの事柄によって馴染む速度というのも変わってくることだろう。誰かと一緒に始めたか一人で始めたかによっても、自分の中に浸透していく時間が変わってくるものだと俺は思ってる。
「おにぃー。朝ご飯できたよー」
「へーい」
例えば両親のいない俺たち兄妹の二人暮らし。これは先に養父母の下から離れて暮らし始めた俺のところに、ちょくちょく優姫がやってきていたのもあってすぐに馴染んだ。2日目にはもういつもの光景のように感じていたように思う。俺も優姫も元々家事を手伝っていたし、何より兄妹仲がいいので、生活の場所が変わったくらいじゃ変化を大きく感じるわけもないのは道理であった。
朝食を優姫が作ってる間に洗濯物を干し、一緒に朝食を食べ、片付けを俺がしている間に優姫は登校の準備をする。二人暮らしを始めてからは、ずっとそんな流れで生活をしてきたし、今後もおそらく変わらないと思われる光景だ。
「じゃ、先にいってきまーす」
「いってらっしゃーい。気を付けてねー」
ただ、そんな日常でもたまにはちょっとした変化はあるもので、今日は珍しく俺の方が先に学校に向かっていた。特別に大きな理由があるわけではなく、単に学校の日直というだけなので本当にちょっとした変化。それでも、少しだけ新鮮な気分を感じることができた。
そうして俺はいつもと同じ、けれど時間だけは少し早い通学路を歩いていく。マンションから外に出る感覚も、その目の前に小さな公園がある感覚も、それまでとは違う街を歩いていく感覚も、最初の1週間くらいはずいぶん戸惑っていたように記憶している。今ではもう、自分が今の学校以外にどうやって登校していたのかの方が思い出せなくなっていた。
やがて見えてきた高校の校舎も、やはり1週間くらいはなんだか見慣れない感じだったのを覚えている。なのに、今ではこの建物を見ると『ああ、着いたんだな』と思ってしまうのだから不思議だ。……中の方は未だによく分からないが。どことどこが繋がっているのか分からない変な道が多すぎる。どうなってんだ、この高校。一度解体した方がいいんじゃないか?
そんな学校の体制への反抗を心にしまい込みつつ、下駄箱で上履きに履き替えて3階にある自分の教室へ向かう。こうして進級して教室が変わると最初のうちは間違えたりする子もいるが、3日くらいで慣れた俺はそういう失敗はしなかった。ただし、これに関しては覚えないと多分校内で遭難するという恐怖が原因な気がしている。
「でさー、松井のやつ顔真っ赤にしてマジギレしてんの! あんな腹出してる方が悪いってのにな! 人の腹を注意してる場合かよ!!」
「松井のあの腹ないよねー、どう見てもビール腹だし。ひーちゃんのお腹を少しは見習った方がいいんじゃないかな」
「お、あーしのお腹見る? メイカほどじゃねーけど、あーしもちょっと鍛えてるし。ほれ、見てみ?」
「えー? ワタシ、女子のお腹なんて見たくなーい。めいちゃんくらい綺麗なら別だけどー」
「さっき褒めたのオメーだろ! 責任とれ、責任! 松井の腹も誰か責任取った方がいいくらいでかいけどな!」
教室に入った途端「ギャハハハ!」という、そろそろクラス替えから1ヶ月経とうとしているのに未だに聞き慣れない笑い声が耳に入ってきた。早い時間でいつもより人数が少ない教室だからか、彼女たちの声の通りもとてもよさそうだ。ただ、そのいつもの4人組から黒髪ショートで日に焼けた肌をした子がいなかった。
何かあったのかなとは思うが、別にわざわざ声をかけて聞くほどのことじゃないので、とりあえず一旦自分の席に向かおうとする。
「お、牧田。おはよー」
「ん、ああ、おはよう」
その途中、こちらに気付いたピンク髪の黒ギャルが挨拶をしてきた。声をかけてくるとは思わなくてちょっとびっくりしたが、こちらからも挨拶を返すとすぐに2人との雑談に戻っていく。目に入ったからとりあえず挨拶しただけのようだ。
ここに限らず、俺の学校での扱いは大体こんな感じだ。別に仲がいいわけじゃないけど、挨拶くらいは誰がしても問題ない関係。クラスカーストの上下を問わずに付き合うけど、自分からはあまり絡みにいかない。良くも悪くも浅い付き合いしかしない人間だと、おそらく自他とも認識しているものだと思っている。
どこにも属さず、かといってどことも敵対しているわけでもない、クラスカーストの外にいる存在、それが俺だ。ちなみに、実際のカースト外はカースト最下層より扱いが酷かったと、優姫が雑談の中で教えてくれた。あいつの雑学は一体どこで仕入れているのかいつも謎だ。
そんなわけなので、前日には知ってておかしくないはずの日直の相方の確認なども適当に済ませていた。法則性があるから考えれば分かるだろうし、分からなくても聞けば誰かは教えてくれるだろうけど、別に今日知ったところで問題は特にない。何より前日は祝日だったのでわざわざ連絡取って確認するのも面倒だった。
だから今更、黒板の隅に書いてある名前を見ようとしていると、
「じゃ、牧田くんも来たし日直の仕事するね」
「愛理沙は真面目だなー。牧田に任せりゃいいのに」
「大したことでもないんだし、任せる方が面倒でしょ。黒板消すのと日誌書くくらいのことでサボって怒られたくないって」
「あーちゃんがポイント稼いでくれるおかげでワタシたちは楽できるよー。ありがとねー」
「もう、そういう言い方しない! というか、ちゃんと働いてよ、またわたしまで謎に怒られたくないんだからー」
もう1人の日直である女子が横で結んだ二つ結びの髪を揺らしながら、こちら向かってやってくるところだった。
「今日はよろしくね、牧田くん。とりあえず、職員室へ日誌取りに行こ?」
まるで満開の桜の花が咲いたかのような見慣れない笑顔を浮かべ、早川さんはかわいらしくそう言ってきた。
「お……おう」
その笑顔に挙動不審になりながら、4月最終日なのに桜の花を咲かす表現はないよなと、自分の脳内にツッコミを入れてしまうのだった。
*
「ねえ、朝のあの態度、なに?」
暖かい、どころか少し汗ばむ陽気になってきた1日も半分過ぎて、昼休みの時間。
俺はすっかり通い慣れてしまった旧校舎の廊下をカレーパンと焼きそばパン、それと野菜ジュースを手に歩き、目的の図書室の中に入る。そして、これまた見慣れてしまった下着姿の早川さんの斜め向かいに腰を下ろしたところで、ちょっと不機嫌そうにそんなことを言われてしまった。
「ヒロコに話しかけられたときは普通だったのに、なんでわたし相手だと挙動不審になるのよ。怪しまれたらどうするの?」
「そんなこと言われても……教室で早川さんに話しかけられたこと自体が初めてだし、あれくらいならセーフじゃない? というか怪しまれたの?」
「怪しまれてはないけど、『お前、どんだけ媚び売ってんの?』とは言われた。しかも一緒に行こうって言ってるのに、1人でいいとか言っちゃうし」
「日誌を取りに行くくらいは1人でいいだろ。まだお友達は話したそうだったし、そっちはただ気を遣っただけだよ」
言いながらパンの袋を開ける。2人で持たないといけないほど日誌が重たいわけもないので、一緒に取りに行く行為など無意味だという主張は間違ってはいないはずだ。それに、日直2大仕事であるうちのめんどくさい方、学級日誌を記録する仕事を早川さんに押し付けてしまっているので、他の仕事くらいは俺が優先してやるべきだと思っていた。
「あんまり普通を意識しすぎると、結局ボロが出ることになりかねないしさ。ある程度は自然な反応に任せた方がいいんだよ、こういうのは」
「……まあ、それは分かるんだけど」
「分かってるなら話は早い。ま、今回の日直で教室の中で知らんぷりする必要はなくなったし、もう少し自然体で話しても大丈夫になっただろ」
俺がそう言うと、「それもそうね」と早川さんはあっさりと納得する。こうしてちゃんと話せば、特に感情的にもならずに理解してくれるのはありがたい。その調子で服を着てくれという話も聞いてほしい。
会話が一区切りついたところで昼食であるカレーパンを食べ始めた俺を見て、早川さんは机の上に置いてあった本を手に取り読み始める。ブックカバーはなく学校の図書室のラベルが付いているので、おそらく今回もこの図書室にあった本を適当に見繕ってきたのだろう。
早川さんとこの図書室で出会ってから2週間くらいになるが、俺たちは大体こんな感じのスタイルで昼休みを過ごしていた。早川さんは本を読むかスマホを弄るかして、俺はゆっくりゆったりと昼食を摂る。そんな穏やかで退屈な、だれた空気を味わう時間。
だんだんとこの時間も俺の中での日常となってきたなぁと、窓から差す光に包まれる早川さんが海外の名画みたいだと思いながら感じる。これで服を着ていれば、某鑑定団に出しても問題ないものだったに違いない。いや、ああいう絵って裸婦が描かれていることも多いから、これはこれで名画になるのかもしれない。下着の色がすごいピンクだけど。普段見るピンクはかわいい色というイメージだけど、この場だとちょっとおばさん臭く感じるのはなぜだろうか。
「そういえば、早川さんっていつもお昼ご飯どうしてるの?」
あまりにも無駄すぎる思考が頭の中を支配しそうだったので、リセットするために本を読んでいる早川さんに話しかけた。
「ん? 大体友達と食堂で食べるかカロリーメイクで済ませるかな」
読んでた本から目を離し、普通に答えてくれる。別に彼女は本を読みたいわけではなくただなんとなく目を通しているだけなので、こうして話しかけたら会話の方を優先してくれることが多いのもこの2週間で知ることができたものだ。
「カロリーメイクだけ? ダイエットでもしてるとか? 正直、ダイエットが必要そうな体型には見えないけど……」
「ダイエットじゃなくて、元々食べる量が少ないの。おやつでお菓子を結構食べてるし、ちゃんと食べるときは食べるから安心して」
食べる量に関しては個人差があるので、それで足りているというなら特に何か言うことはない。ただ、カロリーメイクだけで足りる食事量でその体型なのを優姫が知ったら、まず間違いなくキレるか死んだ目になるかはするだろうなと思った。早川さんと会って以降、なぜか毎日牛乳を飲み出した妹に対して心の中で憐れんでおく。去年まで給食で大体毎日飲んでいたんだから、そいつが無関係なことはもう証明されてるよ。
「というか牧田くん、褒め言葉のつもりかもだけど、女の子に体型の話を振らないの。女子同士でも結構デリケートな話なんだから」
「いや、さんざん見せつけてきておいて今更この程度でデリケートも何もないんじゃ……そう思うなら、まず服を着て見せないようにしてくれ」
「見せつけてるんじゃなくて、そっちが見てるんでしょ。牧田くんのエッチ」
そう言って、ふふっと軽く笑う。こういう軽い冗談を言えるくらいには、彼女も俺との距離感を心地よく感じてもらえているようだ。
「そういう言葉はまず見られない努力をしてから言ってくれ。まあ、見たところで俺は何もできないんだけどな」
「……ゴメン、その冗談は色んな意味で返しにくいからやめて」
ドン引きしながらガチな様子で言われてしまった。「ごめんなさい」とすぐに謝った。
女子に怒られたり嘲笑われてもそんなにダメージないのに、こんな風にガチでドン引きされると深い傷を負うのはなんでだろうな……なんなら、妹である優姫に同じ態度を取られてもめちゃくちゃ辛くなるし……
「あー……っと、そうだ。カレシと会いに行ってるって理由があるにしても、友達と食べに行くの少ないよね? あれ以降、ほぼ毎日ここに来てるし」
その深い傷を覆い隠して誤魔化すように、早川さんに問いかける。
ここで出会って約2週間、つまりは大体14日のうち6日ほど俺と早川さんは一緒に昼休みを過ごしていた。それだけなら半分にも満たない日数だが、実際にはここに土日休みが2回、更に昨日の祝日で学校が休みの日が5日もある。おまけにその6日間は早川さんがここを使うことを許してから来た日数であり、2週間の中にはその前の2日間が含まれている。つまり、実質9日間のうち8日もここで服を脱ぎに来ていたことになるわけだ。週に2、3回というペースではどう考えてもない。
ちなみに、それが分かる俺は9/9この場所に来ていた。時々来ると言ってた優姫は1/9。
「確かに、ここ最近は1人になることがちょっと多いかな? まあ、そんなときもあるってくらいにわたしは思ってるけど」
特に気にした様子もなく言う早川さん。この態度を見るに、こういうことは別に珍しいわけでもなさそうだ。
「ヒロコもツムギもカレシいるし、メイカは部活の付き合いがあるから、元々昼休みまで毎回一緒ってわけじゃなかったしね」
「へー、そうなんだ。女子同士の付き合いって、なんかずっと同じ相手といなきゃいけないイメージあったよ」
「そこまでする子はちょっと重すぎると思うよ。まあ、同じ相手を嫌ってないといけないとか、お手洗いに付いていかないと白い目で見られるとか、色々あるけどね」
苦労してる感じで言われるので、苦労してるんだなぁと思う。この手の愚痴はたまに優姫から聞かされるから、みんなそうなんだと納得するくらいしかない。
……それと、下の名前で呼ばれると誰が誰だか分からないからやめてほしい。今回の場合は早川さんのグループの話が聞ければいいので問題ないけど。部活をやってるらしいので、黒髪ショートで日に焼けた肌の子がメイカなのだろうか。今日の朝、教室に遅れてきたのは朝練か何かがあったからなのかもしれない。
「そういう牧田くんはお昼ご飯パン2つだけで足りるの? 男子にしては少なくない?」
カレーパンを食べ終えたので次は焼きそばパンを食べようとした俺に対して、ちょっと気になった感じで早川さんが聞いてきた。
「大体は足りてるかな。たまに足りないときもあるけど、そのときは適当に何かつまんでるし」
「ふーん……そういうものなんだ。なんか、男子のお昼ご飯って毎日カツ丼食べてるイメージあった」
「それは男子のイメージ貧弱すぎないか……?」
男子と普通に話をしてるところを見かけるのに、なぜそんなステレオタイプの男子イメージしかないんだ。っていうか、ステレオタイプより酷い。
「そ、そんなに男子と二人きりで食べる機会なんてないんだから仕方ないじゃない。たまにあっても、なんかあんまり美味しくなさそうに食べてるし……」
「ん、そうなの? それはなんか意外だな」
「意外? えーっと、何が?」
「デート相手が美味しくなさそうに食べてること。服を着てる早川さんと一緒にご飯を食べるなら、相手も楽しんでそうなものだと思ったけど」
さりげなく服を着てる早川さんは素敵だよとアピールしてみたが、彼女はそこを全く気にせず「……あれってデートなのかな?」と呟いていた。顔も名前も存在も知らない男子に少し同情する。
「や、わたしだって二人きりでご飯を食べに行くとなると、『そういうこと』なのかなとは思うよ? でも、食べながら話してもあんまり美味しくなさそうだし、楽しくなさそうだったから、本当にデートなのか分かんなくなっちゃって」
「誘われてご飯食べに行ったら男子的にはデートでいいんじゃないかな……俺はそんなことしたことないから、優姫の基準をそのまま言ってるだけだけど」
「うーん、やっぱりそっか……でもなんで『コーヒーはブラックが美味しいよね』って言いながら、あんなに不味そうに飲んでたんだろ……」
「それは男子がそういう生き物だからってことで気にしないであげてほしい」
別に女子にかっこつけたいからという理由だけでなく、なんとなくかっこつけたくなる時期が男子にはある。俺にもあった。急にコーヒーをブラックで飲むことがかっこいいと思い込んでやり始めたら、1週間したところで「兄さん、そこまで不味そうに飲んでたら逆にかっこ悪いから」と優姫に言われてやめた思い出がある。
他にも指抜きグローブをかっこよく感じたり、パーカーを深く被ることにオシャレさを見出したり、旅行先のよく分からない剣のキーホルダーに魅力を感じてしまう。男の子という生き物は、そういう風になっているのだ。最後はなんかちょっと違うか。
「なにそれウケる! そっか、男子の意味分からない行動って、大体かっこつけてたんだね」
俺が実体験を交えて男子の生態を説明してやると、早川さんは大ウケしたようだった。言ってることは馬鹿にしてるものなのに、そうは感じさせない明るさがあった。
「あんまり美味しそうに食べてなかったのも、女子受け考えて食べ慣れない物を食べてたからってのもあるかもな」
「言われるとそうかもね。わたしも全然食べたことない料理一緒に食べに行ったことあるし、それも美味しいけど別に無理に食べるほどじゃないかなーって感じだった」
「しかも中高生で行ける範囲の店となるとな……これは妹の受け売りだけど、『変な店を探すくらいなら、美味しいクレープ屋にでも連れて行ってくれた方が嬉しい』とか言ってたよ」
「あ、それはなんか分かる。でも、なんで牧田くんがそんなこと言われたの?」
「……喧嘩した後のご機嫌取りをしようとしたところで、言われまして」
バツが悪そうに言うと、生暖かい感じで微笑まれた。妹とはいえ女子は女子、そういう気遣いをした方がいいだろうという思いは俺にだってあるんだ。
「けどそっか、牧田くんも妹と喧嘩してご機嫌を取ったり、かっこつけたりするんだね。ちょっと意外かも」
「早川さんは俺をどういう目で見てたんだ……それに、今の俺はコーヒーをブラックで普通に飲める。大人になったんだよ」
「なんかまたかっこつけてるし。男子ってこれだから」
小学校でよく聞いたセリフとともに、ふふっ、と柔らかく笑われる。
「……まあ、それでもデートじゃないかな、やっぱり」
「うん? コーヒーとデートになんか関係が? あ、確かにカフェに行くのも安パイか」
「違くて、二人きりでご飯食べるだけでデートって言っちゃうのは、やっぱないかなって話。それだとほら、こうして昼休みに二人きりで牧田くんがご飯食べてるのもデートになっちゃうじゃない? まあ、わたしは先に食べてるし、そもそも――って、なによ、その顔」
上機嫌に話していた早川さんだが、俺がとてつもなく嫌そうな顔をしていることに気付くと、向こうも嫌そうな顔になった。
「いや……下着姿で露出してる女とデートしてるって思われるのが嫌すぎるというのが、顔に出過ぎていただけだよ」
「牧田くん? わたしはむしろこれはデートじゃないって否定したんだけど? だったら喜ぶべきじゃない?」
「俺の喜びは早川さんが服を着てくれることだよ。で、いつ着るの?」
「昼休みが終わるとき。それまで我慢しなさい、わたしも我慢してるんだから」
我慢してるってなんだろう、もしかして今ブラを付けているだけでも偉いって主張なのかな。全然偉くないというか、むしろアホだと思ってるんだけど。
「もう4月も終わるんだし、そろそろこの状況にも慣れてもいいでしょ?」
「実際見慣れてきてはいるんだよ……でも、この状況には慣れちゃダメだって、俺の中の良心と理性と本能が叫ぶから絶対否定しなきゃダメだって思ってるだけなんだ」
「そんな全力で否定するほどのことじゃなくない? もう、さっさとその焼きそばパン食べちゃいなさい、時間なくなるわよ」
封を開けたのに一口も食べていなかった焼きそばパンの存在を指摘され、慌てて食べ始める。気が付けば昼休みも終わりが見える時間だ。食べる速度が遅いわけではないから全然余裕はあるけれど、話に夢中になりすぎてたらちょっと危ないかもしれない。
……そんなわけで、あの日から俺の日常はこの昼休みが大きな変化であり、いつの間にか慣れ親しんでしまっていた時間になっていた。とりとめのない話をするだけの、俺が今までやらなかっただけでいつでもどこでもある風景。変なところと言えば、そのうち1人が服を脱いでいるくらいの、何気ない昼休み――だから、これを何気なくしてはダメだってば。
この時間があっという間に過ぎていくことにため息をつきつつ、そういえば今日買ったパンはカレーパンと焼きそばパンというずいぶん男の子らしい組み合わせだったなと、野菜ジュースで流し込みながら思うのだった。
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