戻らないままの場所
二十四番町
第1話 誰も聴いてない歌を歌った
15:00頃には帰るよ、そう言って着いた頃には日は暮れはじめ、懐かしいメロディがロータリーに響いていた。
長く影を伸ばす時計の先、一直線に伸びる道路とその奥の暮れなずむ街並み。開けた空を見て、地元に帰ってきたのだと実感する。
二人掛けの狭いベンチに腰を下ろし、熱を奪われるのを感じながらぼうっと、行き交う車のナンバーを眺めていた。
数分して、見慣れない水色の軽が目の前に停まった。助手席が開き運転手が手振りで乗れと指示してくる。
ありがとうと声をかけて、知らない車に体を収めると、どちらともなく話始めた。
「まだいたんだな」
「むしろ出てったのはあんたくらいよ」
正直言えば、随分老けたものだと思った。化粧は濃くなり、匂いも強い、男たちに交じって走り回っていたあの頃とは違う。
「他の奴らはどうしてる、みんな家継いだのか」
「高橋は苺ハウス潰したって、逆に鹿沼は家継いで嫁さんもらった」
「意外だな、逆だと思ってた」
「ね、うちの親もびっくりしてた」
過ぎていく景色を眺める。緩やかに死んでいく街並みは外観以外に変わりはない。増えもせず、減りもせず、ただ見るたびに古ぼけていく。去った自分にとってはその変化を知ることが、この街で生まれ育った証明だった。
田畑を抜け、雑木林を越え、国道沿いの工場地帯を抜けると、住宅街に入る。狭い道を何度か抜けると住宅街と田畑の切れ目に出た。
車はおもむろに、人っ子一人いない公園に停まる。
いぶかしむ俺に構わず、女性は扉を開けて外に出た。
仕方なく外に出れば容赦のない寒風が、まとわりついた表層の空気を攫っていく。
誰も手入れなんてしていないのだろう、伸びに伸びた枯れ草を、蹴り潰して女性はブランコに腰かけた。
「懐かしいでしょ」
「まだあったんだな、誰も使ってなさそうだけど」
「結構前にもっと遊具のある公園できたからね、近くの人がたまに使うくらい」
女性は紙タバコに火をつけた、それも田舎の特権かと思い、自身の電子タバコではなく一本もらう。久しく嗅いでいなかった燃焼材と煙の臭い、空気は土臭く冷たい。
「あんたは帰ってこないの」
「帰ってきただろ」
「違くて、こっちに住まないのかってこと」
「母親みたいなこというな」
女性は長い髪を風にはためかせながら、錆びたブランコの鎖にかかるのも構わず、虚空を見ている。
「都会はそんなに楽しい?」
「別に、けどここよりはいい」
何もないくせに、安堵がある。ここがお前の場所なんだと柔らかい膜が身を包む、とても暖かく、気色の悪い場所。一度身を置けばそのまま意識が漂白され、何も考えられなくなってしまう。
そんなところに比べれば、汚くて、うるさくて、必死に生きなければ居場所なんて得られない、今の住処の方が何倍もマシだ。
「私もそっち行こうかな」
「お前には向いていないよ」
「どこが」
「その歳で今もここにいることが」
不服そうに地面を蹴り、その勢いでブランコを漕ぎ始める。悲鳴というにはささやかな錆びついた音が前後に揺れるたびに鳴り響く。
「あーつまんねー、帰って来いよー」
「今度は子供みたいだな」
「そうだよ、子供だよ、付き合えよ」
「だからこうして一緒に公園にいるんだろ」
陽が地平に没し、今にも落ちてきそうな青が空を覆う。近くにいる相手の顔がぼんやりと浮かび、タバコの火種だけが色づいている。
「あんたさ、ずっとここが嫌いだよね」
いつの間にかに目が合っていた。
差し込まれた言葉は、まさしく毒だった。血液に瞬時に交じり、心臓に速やかに回る。体が動けなくなる前に、俺は煙を明後日の方向に吐いた。
「ずっとか、そんなに長くいたか」
「小中高、人生の半分くらいあんたと顔合わせてんの、わかるよ」
それもそうかと納得する自分がいた。だが、それが防衛本能だともわかっていた。別に誰に対して謝ることではない。ただ、それでも何か急所を刺されたようだった。
「でさ、私もここが嫌いなこと、あんたはきっとわかっていないんだよ」
「嫌いなら出てけばいい」
女性はタバコを口から離し、その火をつぶした。
ブランコから立ち上がり、体ごとこちらを向く。
暗くてよくは見えないが、その顔は泣き笑いだったと思う。
「あんたは強いね」
「意味が分からん」
「なんでもいいよ、今度遊びにいくから」
「まあ、構わないけど」
女性と二人で車に乗り込む、随分と懐かしい曲が流れ始め、車が走り出す。
点々と十分な間を開けて並ぶ街頭が、ひび割れたアスファルトにスポットライトを当てている。
「懐かしい歌だな」
「流行ったよね」
心地よさそうな鼻歌につられ、俺も口ずさむ、サビの頃には二人して大声で、誰も聴くことのない歌を響かせながら、残りの距離を詰めていく。
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