第4話 不安

澪は、藁と獣毛で作られた素朴な寝台の横に、そっと座っていた。


窓の外では雨が静かに降り続き

ポツポツと屋根を叩く音が心に染みる。


銀色の耳としっぽを持つ青年は、あの雨の森の中で倒れていたときから、いまだに目を覚まさない。


時折、眉をひそめるような仕草をすることはあるが、意識は戻らず、声も発さない。


「……ごはん、食べないと弱っちゃうよ。」


澪はおかゆの入った木の器を手に

そっと声をかけてみる。


だが返事はない。


匙を口元に近づけても

彼の唇は閉じられたままだ。



「……どうしたらいいんだろう。」



ふと、扉がノックされる音がして

澪は立ち上がった。


特徴的なくるくるの角を持つ女性

――ミレーネだった。


「お邪魔しますね、澪ちゃん。彼の様子はどう?」


「……まだ、眠ったままで……。」


不安そうに俯く澪の肩に、ミレーネはそっと手を置いた。


「この雨で身体が冷えきってたんだもの。しばらくは眠りが深くなることもあるわ。でも、大丈夫。ちゃんと温まって、安心できたら、きっと目を覚ましてくれる。」


「……わたし、何もできなくて。」


ぽつりとこぼした澪の言葉に、ミレーネは優しく微笑んだ。


「そんなことないわ。澪ちゃんがそばにいてくれることが、いちばんの薬なのよ。ほら、彼の手……冷たいでしょ?それだけ、不安ってことよ。」


澪は手をそっと握り、じっと見つめた。

この掌の中にある命が、どうかこの世界でまた笑えるように――

そんな願いを、言葉にできないまま、そっと胸の奥で呟いた。



――――――――――――


彼が村に運び込まれてから、三日が経った。

あの大雨の夜、森の中で倒れていた彼は、未だに目を覚まさない。


 澪はミレーネさんの家に居候していたが、容体が気になって、朝になるとすぐ彼の寝ている部屋を訪れた。

小さな吐息を確かめて、胸を撫で下ろす。


だけど、それ以上の変化はなくて──


「……ゼンくん。」


呼びかける名前が分からなかったので、勝手に名前をつけてみた。


それから毎日呼んでいるけれど…反応はない。


「ミレーネさん、もしかしてこのまま目を覚まさなかったらどうしよう……。」


不安を押し込めきれず、澪はぽつりと呟いた。

隣で様子を見ていたミレーネは、ほんの少し首をかしげる。


「そうねぇ、長く眠り続けるのは、きっと心も身体も疲れていた証拠。でも…ふふ。心配しすぎて、澪ちゃんまで倒れちゃったら困るわよ?」


「うん……ありがとう、ミレーネさん。」


ミレーネの白い羊の角が陽の光を受けて、ふわっと輝いていた。柔らかな毛並みに包まれた彼女に、澪は救われるような気持ちになる。


村のご近所の人たちも、ゼンのことを気にかけてくれていた。


「様子はどうだい?」

「食べ物、差し入れに持ってきたよ。」

「澪ちゃんも無理しすぎないようにね。」


知らない世界なのに、どうしてだろう。

この村の人たちは、こんなにもあたたかい。


それでも澪の心には、ふとした不安が差し込んでいた。


「……ねぇ、ゼンくん。目、覚めたらさ……わたしのこと、怖いって思うのかな。」


ベッドの脇にしゃがみ込み、澪はぽつりとつぶやく。


耳も尻尾もあるこの世界の人たちにとって

自分は“異質”だ。

 

今は、ミレーネさんや近所の人たちが優しくしてくれている。けれど、それが“この村だから”というだけだったら?


──わたしのこと、変だって思ったら……

──せっかく助けたのに、拒絶されたら……


「平気だと思ってたんだけどな……。」


ぽたり、と指の上にしずくが落ちる。

泣いていることにも気づかないくらい、心の奥がひりついていた。


自分はこの世界にいつまで居られるんだろう。

帰り道もわからないのに、誰にも頼らず生きていけるほど、強くない。


だから、これ以上傷つくのは怖かった。



ゼンの寝顔は、無防備で穏やかだった。

この人が、目を覚ましたとき──

その表情に、優しさがあればいい。


そう、願ってしまう自分がずるかった。


ミレーネがそっと澪の背中に手を当てる。


「きっと大丈夫。あなたの優しさは、ちゃんと伝わってるよ。言葉じゃなくてもね。」


澪は、涙をぬぐって小さく頷いた。


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