第20話 届かなくても祈りたい
――人は、どうして過ちを犯してしまうのだろう――
その問いが、アリアの胸の奥から離れなかった。
ユリウスに証拠を見せてもらった日から、何度も繰り返し記録魔道具の映像を見た。
誰よりも理知的で、誰よりも誇り高く、学園では優等生だったはずのミレーネが、あの声で、あの表情で、アリアを傷つけようと“命じていた”。
王宮の一角、夕暮れの光が差し込む控えの間。アリアはユリウスに頭を下げていた。
「お願いがあります。……ミレーネ様に、会わせていただけないでしょうか」
「……アリア……それは……」
ユリウスは静かに椅子から立ち、窓辺に歩み寄る。
すでに決まった罪。永久幽閉の宣告。
もちろんそれを撤回することはできない。だが、それでも、とアリアは祈るように言葉を紡いだ。
「私は――彼女に、怒っていません。
けれど、どうしても、知りたいのです。なぜ、あの選択をしたのか。何に、心を失ったのか……それを、本人の言葉で聞きたいのです」
しばしの沈黙ののち、ユリウスは一つ頷いた。
「……君が、そう望むのなら」
* * *
王宮の地下、貴族用の特別拘禁室。
護衛の騎士たちが周囲を警戒し、室内の簡素な椅子にひとりの女性が鎖をかけられ座っていた。
ミレーネ・ヴァレリア。
ピンクブロンドだった髪はくすんでおり、無造作にただ束ねられ肩に流れていた。かつての気品と華やかさは影を潜めていたが、背筋は伸び、瞳にはまだ何かを宿している。
扉の前で立ち止まったアリアは、深く息を吸い、そっと歩みを進めた。
「……ミレーネ様」
アリアが名を呼ぶと、ミレーネはゆっくり顔を上げた。
ミレーネはアリアを見た瞬間、目を見開き、次の瞬間、張りつめた糸が切れたように、怒りが爆発した。
その目に宿っていたのは、憎しみと涙、そして、怒りの火だった。
「何しに来たのよ!!!!!
……“勝者”が、“哀れな敗者”を見に来たってわけ?帰って!!!」
檻がなければ飛びかからんばかりの勢いで言葉をぶつけるミレーネ。
「……そんなつもりでは」
「だったら、なんなのよ! 私に『どうしてこんなことをしたのか』って聞きに来た? 聖女のふりして、赦すとでも言いに来た!? 自分がどれだけ“清く尊い存在”か、見せびらかしに来たんでしょう!!」
ミレーネの声が跳ねた。
その怒声に、鎖が牢にぶつかり激しい金属音を立てる。
「あなたに……あなたにすべてを奪われたのよ。
学園でも、社交界でも、王宮でも……! どこに行っても“あなたがいる”! 優しくて、美しくて、努力家で、民に慕われて、王太子に選ばれて、誰もがあなたを称える……!」
ミレーネの肩が震える。
「私は、何のためにここまでやってきたの?
……母がいつも言っていたの。“あなたは私の夢を継ぐのよ”って。誇りを失うことは、すべてを失うことだって……。私はただ、その通りに生きようとしただけなのに……。
誇り高くあるように努力して、カイン様の妃になってあわよくば王太子妃になれたらなんて言われて、笑顔を作って、完璧を求められて……。
それなのに、あなたが現れて全部崩れたのよ……!!」
アリアは、その言葉を黙って受け止めていた。
「私はただ、私の価値を守りたかっただけ。
あなたからカイン様を奪って、王太子妃になることだけが、私の人生の意味だった。
それをあなたが……!」
「ミレーネ様――」
ようやく口を開いたアリアの声に、ミレーネはかぶせるように叫んだ。
「何よ、その目は! 哀れみ? 同情? そうやって“善人”の顔をして、全部受け止めるふりをするの? そんなの、もう、うんざりなのよ……!」
怒鳴ったその声が、次の瞬間、嗚咽に変わった。
「……なのに、どうして。どうして、あなたが来たの……。こんな私に会って、何になるの……」
アリアは席を立たず、ただ彼女の目を見つめた。
「……ミレーネ様の言葉を、ミレーネ様の“本当の気持ち”を聞きたかったから。
私が、あなたを赦すためじゃない。
ミレーネ様自身が、自分を見つめ直すための、最後の“場所”を持てるようにと思ったのです」
「やめて……そんなお綺麗な言葉、聞きたくない……」
ミレーネは顔を伏せ、しかし止められない涙をこぼした。
「……立場を得て、立場を守るために手段を選ばなかった。あなたを、陥れようとした。
でも……全部、見透かされていた。あなたは、“私がなりたかった”人だった。民の声に応え、笑顔を与え、王太子妃の器を示した。……悔しかった。妬ましかった。……でも、本当は――」
ミレーネの言葉が詰まる。
彼女はゆっくりと視線を上げた。
「……本当は、苦しかった……。こんな自分がどんどん嫌いになって、あなたを憎みながら自分を憎んでいたわ」
アリアは、そっと手を胸に置いた。
ミレーネの心の奥底にある痛みに、ようやく触れたような気がした。
「わたし、ミレーネ様を赦すとか、忘れるとか、そんな大それたことを言うつもりはありません。
けれど……ミレーネ様が、かつて願った光を、今からでも見つけられることを、願っています」
その言葉に、ミレーネの瞳が一瞬だけ潤んだ。
「……まだ、あなたはそんなふうに……」
「ええ。だって、私は“癒しの加護”を持っていますから。
心の傷は直接治すことはできないけれど、あなたの痛みを見て見ぬふりはできませんから」
アリアは話すのをやめ、ただ胸に手を当て、祈っていた。
(……いつか、この牢の中で、自分を憎まずにいられる日がくるかしら)
ミレーネももう、何も言葉を発しなかった。
* * *
地下を出たあと、アリアは夜風に髪をなびかせながら、静かに空を仰いだ。
アリアは知っていた。優しさは万能ではない。だが、誰かの心にそっと触れることで、ほんの一瞬でも、その人が自分自身を見つめられるなら――それが、加護に込められた本当の力なのだと。
「……ありがとう。会わせてくれて」
待っていたユリウスがそっと頷き、彼女の手を取った。
「君のその祈りは、きっと誰かの灯りになる。
たとえ届かなくても……君が差し出すその優しさは、決して無駄にはならない」
アリアは小さく微笑んだ。
「たとえ届かなくても、わたしはこれからも手を伸ばし続けます。
誰かの痛みに寄り添うために――そうありたいのです」
空にはもう星が瞬いていた。
その夜、アリアの祈りは、誰も知らぬところで静かに届いていたのかもしれない。
――たとえそれが、永遠に囚われる場所にある心であっても。
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