第19話 追想と断罪のはざまで
カインは、ここしばらく眠れない夜を過ごしていた。
浅い眠りにうとうとしたなと思っては起きるを繰り返すので夢と現実の境が曖昧になっていたが、ようやくアリアの夢を見なくなり、ここのところ夢の中によく現れるようになったのは、ミレーネだった。
無邪気に笑いながら自分を励まし、癒しのために膝を貸してくれたあの微笑み。
――あの笑顔は、どこへいってしまったのだろう。
夢の中のアリアは、いつも遠くからこちらを見ていた。言葉もなく、微笑むでもなく、ただ静かに。
けれど最近は、その夢も見なくなった。代わって現れるのは、かつてのミレーネ――朗らかで、誰よりも優しかったはずの彼女の面影だった。
現実の彼女とは違うその姿が、かえって今の彼女の変貌を際立たせ、夜ごとカインの胸を締めつけていた。
今の彼女は、まるで知らない誰かの仮面をつけたように青白く、初めて見る表情をする。ときおり見せる険しい目元、焦燥に滲んだ声、そしてなによりも、言葉に現れない怒り。
「……おかしい」
自室の窓から夜空を見上げながら、カインは静かに呟いた。
彼女の婚約破棄の言葉を、あの時は“決意”として受け取った。だが今では、それが“絶望”の裏返しだったのではないかという疑念が、離れなかった。
その上、最近はどこかに外出することが多いらしく、訪問だけでなく手紙さえも減ってしまった。
調べさせた王家の密偵の報告では、ダラル侯爵家に滞在することも多いようだ。
一体何が起こっていて、ミレーネは何に関わっているのか。
王宮の動きも慌ただしく、少し前までの王太子婚約のムードが落ち着き、違う噂も聞こえるようになった。
王宮では、アリアの襲撃事件に関する調査が続いているのだ。
政務室に呼ばれたカインは、ユリウスとラトバル宰相から手渡された証拠資料に目を通した。記録魔道具による映像、資金の流れ、そして密会の記録。
「……ダラル侯爵の支援を受けているベルネイル子爵家が、襲撃者と繋がっていた?」
「そうです。そして――この映像をご覧ください」
ラトバルが魔道具を起動させると、映像には密室で何者かと話す女性の姿が映し出された。その顔が明るみに出た瞬間、カインの心臓が跳ね上がる。
――ミレーネ。
明らかに“指示”と取れる内容を話している。荷馬車の動き、護衛の配置、アリアの視察予定。すべてが計画的だった。
「……これが、決定的証拠だ。陛下には報告をあげるところだ。
――カイン。改めて確認する。お前は、この件に一切関与していないな?」
ユリウスの声に、カインは一度大きく目を開き、そして目を閉じた。
「私は……兄上、本当に、何も知らされていない……」
自分の預かり知らぬところでミレーネが動いている悲しみと、信じたかったのに、という気持ち、さらに自分には何の一言もなかったという裏切られたかのような、情けないような、何と表現していいのかわからない感情が押し寄せ立っているのがやっとだった。
その様子にユリウスはカインは関わっていないであろうと察し、声をかける。
「状況証拠だけでも十分あるが、魔道具による記録映像という証拠を前にして、ミレーネを処罰しない、という選択肢はもうない……」
(……なんでなんだ!ミレーネ……)
婚約破棄の宣言からずっと、言葉にならない感情に振り回されてばかりのカインだったが、とどめを刺すかのような映像に、もはやただ、涙が溢れてくる。
「……兄上……、ミレーネと、話をする時間を少しもらえないでしょうか……」
* * *
王宮の裏門から入った貴族牢――。
拘束されるミレーネを目の前にして、カインは息を呑んだ。
「カイン様……どうして?」
ミレーネは意外そうに、それでいてほほ笑んでいた。鎖に繋がれてなお、気高さを失わない姿が、胸を締めつける。
「……どうして?
それはこちらが言いたい台詞だ。いったいどうしてこんな……」
「……どうして?」
ミレーネはゆっくりと目を伏せた。
「……わたし、ね。ずっと思ってたの。“勝てない相手”がいるんだって。どんなに努力しても、生まれの格が違うんだって。でも……カイン様は、わたしを見てくれた。あのときの言葉が、わたしを“誰か”にしてくれたのよ」
その言葉には、一瞬だけかつてのミレーネの声の調子が宿っていた。
だがすぐに、それは氷のような冷たさに覆われた。
「でも、見てくれたはずのあなたが最後に手を差し出したのはアリアに向けてだった……それが、何より許せなかった。
婚約破棄の宣言をしたあと、実はすでに婚約解消されていたことを知って、カイン様はアリアを取り戻そうとした!わたしの存在は? そこから私の時間は止まったの……」
「……取り戻そうとしたわけじゃない……、あれは元々私のものだったんだ……」
「私の居場所がなくなっていくのを、カイン様は止めてくれなかった。
けれどダラル侯爵達はわたしの価値を認めてくれたの。
アリアなんかよりもわたしには王太子妃の素質があるって。
だから、頼りにならないカイン様の代わりに、カイン様を王太子にして、わたしがアリアに勝つ方法を考えたのよ」
彼女の声は怒りというより、諦めに近かった。
「そのために、アリアを襲うだけでなく、民の血税を燃やす……?」
問いかけに、ミレーネはもう何も答えなかった。
* * *
裁きは下された。
ミレーネ・ヴァレリアとダラル侯爵には、国家転覆未遂と王政への反逆の罪が適用され、財産没収と侯爵家および男爵家の廃爵、さらに永遠の幽閉という厳罰が下された。
また続々と出てくる連なった貴族達も貶爵や廃爵など、関わり方に応じた処罰が下された。
王政はそれを王の名において正式に公表し、再び王家の威厳の回復と未来の王太子妃・アリアへの信頼を訴えた。
* * *
夜、政務室の片隅でカインは一人、静かに立ち尽くしていた。
(もしあのとき、君の本心にもっと早く気づいていたら……)
けれどそれは、もう叶わぬ“追想”にすぎない。
(本当に、こうなるしかなかったのか?)
ミレーネの笑顔も、努力も、すべてが嘘だったわけではない。
だが、その正しさが、狂気に染まったのもまた事実だった。
そして今――。
(……アリアには、申し訳ないことをした)
カインは、ようやくそれを心から思えた。
かつて彼への劣等感からくる対抗心だけで婚約者にしてしまったアリア。
散々無視して傷つけたにも関わらず、今もなお、国の希望として誰かを救っている人。
カインは、剣の柄をそっと握り直した。
正義とは、誰かを裁くことではない。
誰かのために、何かを守ることだ――。
それを忘れず、これからは自分自身の責任で歩んでいく。
もう二度と、大切な誰かの涙を見過ごさぬよう……
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