第八話 神の記憶は月下の影

──夜が、静かに降りていた。


戦いを終えたラルファ村では、祝宴が開かれていた。

村の中央広場には焚き火が焚かれ、酒や果実、焼きたての肉が次々と運ばれてくる。子どもたちが笑い、村人たちが口々にパーティの武勇を讃えていた。


だが、その賑わいから少し離れた丘の上。

セレスティアは一人、月を見上げていた。


「……貴女は、誰なの?」


問いかけは、自分自身に向けたものだった。

彼女の背に浮かぶ光紋──それは戦いの後も、ほのかに淡く輝き続けている。


「セレスティア?」


背後から声がした。

振り返ると、そこにいたのはケンタだった。


「祭り、楽しくなかったのか?」


「ううん、楽しかったよ。でも……少しだけ、考えたくなったの」


「君が何者かってことか?」


セレスティアは頷く。


「私はエルフのはずだった。でも、私の村にはあんな力を持つ者はいなかった。あの神術みたいな魔法も、記憶にはないの。なのに、手が勝手に……声が、耳の奥に響いてきて……」


「……まるで、何かに呼ばれているような?」


「そう。……そして、怖いの。もし私が、本当に神の器とか……何か災いを呼ぶ存在だったらって思うと」


ケンタはしばらく黙って、そしてぽつりと言った。


「俺は、君が仲間を守ったのを見てる。それ以上、必要な証拠ある?」


その言葉に、セレスティアの目が少し潤んだ。


「……ありがとう、ケンタ」


そのときだった──

空が、かすかに鳴いた。


月の影に、淡い人影が浮かぶ。


「……見つけたぞ、セレスティア」


それは、まるで星光を纏ったような男だった。

銀の装束、浮遊するような足取り、そして背に羽根のような光。


「誰……?」


セレスティアが震える。


「我は『天使の書記官』ルゼル。天上界より遣わされた、君を迎えに来た者だ」


ケンタが前に出る。


「迎えに? なんのために?」


ルゼルは静かに言った。


「セレスティアは、かつて神の軍にいた記憶を封印された存在──『空位の女神』の魂の欠片だ。覚醒が進めば、天秤は再び傾く。だが、いまはまだ半覚醒の状態。連れて戻し、静寂の庭で管理する」


「待てよ、彼女は……彼女の意思はどうなる!」


ケンタの声に、セレスティアは目を見開く。


「……私……戻る、なんて……いや……」


そのとき──


「離れろ! ケンタ!」


バンピーノの声と同時に、黒い矢がルゼルに向かって飛ぶ。

だが、それは空中で霧のように散らされた。


「干渉は許可されていない。これは上位の命令だ」


「じゃあ、命令を覆すまでだ」


バンピーノの影が跳ねる。

デク、タツ、フェアリムも丘に駆け上がってきた。


「一人だけ勝手に連れていかれるとか、ありえねーんだよ!」


「そーだそーだ!」


「セレスティアは、私たちの仲間よ!」


戦闘になる──そう誰もが思った。

だがその時。


セレスティアが、一歩、前に出た。


「……私は……まだ、自分が誰かもわからない。だけど、今はここにいたい。私を見て、話して、手を取ってくれる仲間と……まだ、一緒にいたいの」


ルゼルの表情が、わずかに揺れた。


「……意思表示、確認した。記録に残す」


彼は静かに空へと浮かび──


「次の満月までに覚醒が進めば、再び迎えが来る。……それまで、せいぜい足掻くといい」


そう言い残し、夜空に消えた。


──しばらくの沈黙。


「……ちょっと、怖かった」

セレスティアがぽつりと呟く。


「そりゃ怖いだろ、天使とか急に降ってきたらな」


「でも……言ってくれて、ありがとう。皆」


バンピーノが言った。


「……神だろうと、吸血鬼だろうと、俺たちの中で笑っている限り、お前は“人間”だ」


セレスティアは、目を細めて微笑んだ。


──夜はまだ、静かに深く。


だがその星空の下で、仲間の絆は確かに強まっていた。


そしてその足元では、次なる脅威が──静かに芽吹いていた。

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