第6話:黄巾の変、劉備の辺

 後の太陽暦に直して844年、いわゆる黄巾の変が発生した。倭国の後代、当時の為政者は丞相にして日本国王を名乗る怪人物、源道義の曾孫以降からだいたい来孫までであろうか、でいうところの一向一揆に近いその叛乱は、直ちに震旦全土へと広まった。

 これにより、後漢はほぼ滅亡が確定し、討伐軍を編成するも最早誰の目から見ても手遅れであった。そして、討伐軍の中に、大尉の息子や、楚の豪族、そして自称ナントカ聖王の末裔である非常に耳の長い女が存在していた。尤も彼等彼女等は、まだまだ身分の低い人物であり、討伐軍の総大将は皇帝の外戚であり忠義篤い何進という人物が指名された。まあ尤も彼も、もとは身分の低い人物だったらしい。恐らく、そういう時代だったのだろう。お国柄というのも、あるかもしれない。

 さて、黄巾の変はあまりに有名なので概略だけ語るが、劉備一行の活躍は、物語の性質上少しだけ語っておこうと思う。

 とはいえ、さしたる活躍はしなかったらしい。と、いうのも、彼女の師匠である轆<!-- 文字に関しては(以下同文) -->植、あざなを子幹という人物が、討伐戦争の最中に投獄されたらしく、彼女も連座したらしい。一応、彼の者の名誉の<!-- 編者訳注:「の」が多い? 気にするな!(ジュラル星人かお前は) -->ために書いておくが、後に第一勲功者として表彰される皇甫嵩、あざなを義真という人物が彼の者を讃えたこともあって、後に尚書として復帰したという。なお、劉備達は恐らく、轆植の配下として尚書長官の部下として働いたものと思われる。

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