第32話「魔王との税交渉――失われた協定の記録」

 中央監査庁の瓦解から数日後、クロウの元に一通の報せが届いた。


 


『旧魔王領・深紅の裂谷にて、かつて結ばれた“納税協定”の写しが発見された。』


 


 それは、異世界税制の根幹を揺るがす可能性を孕む文書だった。


 フィス・アルベラ――かつて人間の王国が魔王国に敗北した際、魔王側との間で取り交わされたという“租税回避条約”。


 だが、その実在は長らく否定されてきた。公式記録には一切残されておらず、語り部たちの口にもほとんど登らない。


 その協定が、ついに“記録”として現れたのだ。


 


「……魔王との交渉は、必要だな」


 クロウは眉を寄せたまま呟く。


 


 ティアが問いかける。


「でも、交渉って……相手は魔王なんでしょう? 今の国王と一戦交えたって噂の、あの?」


 


「そうだ。“第三代魔王ルゼルグ・デア・ベリアル”。知識と契約の魔王。彼はかつて、数字で世界を制した男だ」


 


「こっわ……」


 


 リュークが苦笑するが、クロウの表情は真剣そのものだった。


 


「協定の存在が公になれば、魔王国に支払われていた“対魔租税”の法的正当性が復活する。今でさえ国庫は逼迫してる。ここで魔王が請求を始めれば、国家破綻は免れない」


 


 だが同時に、クロウには賭けがあった。


 “魔王ルゼルグは、純粋な数理合理主義者である”という仮説。


 彼が感情や支配欲ではなく、合理性と契約に基づいて交渉する存在であるなら――交渉は、可能だ。


 


「……行くぞ。俺が、魔王に会ってくる」


 


 


* * *


 


 深紅の裂谷。そこは、かつての戦場であり、いまは無人の“緩衝地帯”である。


 瓦礫と硝煙の匂いが残る土地に、突如として現れた巨大な書庫の扉。


 その中に、魔王は座していた。


 


 白銀の髪。赤い瞳。黒衣に身を包んだ、痩せた男――それが、第三代魔王ルゼルグだった。


 


「久しいな、人間の“数使い”よ」


 魔王の声は、低く滑らかで、思考の淵から湧き出るようだった。


 


「俺を知っているのか?」


 


「語りは届かずとも、記録は残る。かつてお前が仕掛けた“滅税構造”の設計図、余はそれを見た。見事だったよ」


 


 クロウは、すぐに本題に入った。


「納税協定の写しを確認した。条文には“魔王国への恒久的対価支払い”が明記されていたが……」


 


「それが何か?」


 


「廃止されたはずの協定が、記録に現れた。もしもその協定が有効ならば、我が国は破綻する。……だが、交渉の余地があるはずだ」


 


「余地、か。面白い」


 


 魔王は、椅子から立ち上がる。


「この協定、条文を再読してみよ。“対価の内容は、双方が合意する合理的形式に準ずること”。……これを、どう読む?」


 


「つまり、形式は変更可能……ただし、双方が納得できる条件に限る。だな」


 


 魔王が笑った。


 


「ならば問おう、クロウ・ベルフェイン。お前の提案とは何か?」


 


 


* * *


 


 交渉は、延々と続いた。


 数値モデル、貨幣価値、インフレーション率、労働力対価、魔力コスト、支配地面積当たりの課税指数――


 その全てを、魔王とクロウは「口頭で」計算し、論破し合った。


 


 ティアとリュークは、ただただ傍観するしかなかった。


 


「こいつら、何の言語で喋ってるんだ……?」


「もうただの呪文じゃない?」


 


 だが、交渉はついに、一つの結論に達した。


 


「ではこうしよう」


 クロウが言った。


 


「我が国は、魔王国に対して“知的資産課税免除権”を提供する。代わりに、“恒久的物資支給義務”を廃止する」


 


 魔王が頷く。


「すなわち、余は滅税国家が蓄積する全ての知識にアクセスできる、ということだな」


 


「そうだ。だが、それは国家破綻よりは遥かにましだ。知識なら、再生産できる」


 


 魔王は一拍の間を置いた後――静かに手を差し出した。


 


「契約、成立だ」


 


 こうして、“魔王納税協定”は改定された。


 魔王は人的資源を一切搾取せず、知識と記録の共有を通じて利益を得る構造に転換された。


 この契約は、異世界税史における“最初の対話型租税交渉”とされ、後世まで語られることとなる。


 


 


* * *


 


 帰国後、クロウは疲弊した身体を椅子に投げ出した。


 だが、その表情はどこか晴れやかだった。


 


「これで、国家は潰れずに済む……いや、“語りによって救われた”んだな」


 


 ティアが微笑む。


「記録だけじゃなく、語りと交渉で。……すごいな、クロウさんって」


 


 だが、そのとき――


 部屋の扉が、乱暴に叩かれた。


 


「失礼します! 第七審議局から急報です!」


 


 届けられた書簡には、こう書かれていた。


 


『古代王朝に封印された“亡税の書”が発見された』


 


 クロウは眉をひそめる。


「……亡税? そんな制度、聞いたことがない」


 


 ティアの顔色が変わった。


「それってまさか……“死者に課税する法”……?」


 


 


 滅税国家の夜は、まだ明けない。

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