闇にしのび寄りしナニカ 2

 僕はお風呂場であったことを家族に話すのを躊躇っていた。

 とても怖かった。お風呂から出て、みんながいるところまで来ても心の中の恐怖が拭えなかった。まだ鳥肌がたったままだ。

 でも、話したところで信じてもらえず馬鹿にされるに決まっている。そう思うと誰にも話せなかった。

 僕は作り笑いを浮かべ、家族との会話をやり過ごす。誰も気づいていない。

 それもそのはず、父親は「科学で証明出来ないものはこの世にはない。だから、お化け、幽霊、妖怪などの不思議なものはこの世にはいない」というタイプの人間だった。

 祖父母や兄たちもそういった経験がなく、誰もそういう類のものを信じなかった。

 母だけは僕と同じような経験をたくさんしていたが、父の前では絶対にその話はしなかった。

 だから、僕は誰にも言えなかった。


 ん? なんや? 

 何か音がする。どこから聞こえるんやろ? 

 テレビか?

 いや、そんな番組やない。


「なぁ、なんか音がするんやけど… 誰か聞こえる人いる?」


「音ってなんや? どんな音?」


「うーん。なんか音波みたいな感じのやつで、フワァーン、フワァーン、フワァーンて広がる感じの音がしてるんやけど…」


「してないなぁ。なんやろな? 耳鳴りやろか?」


「キーンとかじゃないんやろ?」


「違う。音波みたいなヤツ」


「ちょっとわからへんわ。続くようなら病院行こ」


 僕は「わかった」と頷き、話を終える。

 誰にもわからへんみたいや。僕にしか聞こえへん音。これは一体なんなんや?


 悩みは解決出来なかったが、僕には答えを見つけることができなかったので考えるのをやめた。


 僕の家では21時をまわると歯磨きをして寝る決まりだった。上の左奥歯から右の奥歯へと順番に一本ずつきれいに磨いていき、下の歯も同様に磨き、しっかりと水で口をゆすぐ。

 布団に入る前にコップ一杯の水を飲むと、両親におやすみと言い兄と二人で子供部屋へと向かった。

 子供部屋は兄との二人部屋だった。部屋には勉強机、箪笥が二つずつ並ぶ。ベッドは二段ベッドで、上が僕で下が兄だ。

 兄はおやすみと言い布団に入る。僕もおやすみと返しベッドの階段を登り、蛍光灯の紐をひっぱり灯りを消した。

 部屋の中は先ほどとは違い一気に真っ暗になった。カーテンの隙間から覗く庭も闇一色だ。

 部屋に兄がいるからか、闇の中にいてもさほど怖く感じない。

 暫くすると、ベッドの下から寝息が聞こえ始める。兄はいつも寝つきが良い。今日もすぐに寝たようだ。

 僕は今日の出来事を反芻していた。トイレでの気配、足音と視線。お風呂場での気配と足跡。

 そんなはずはないと思いながら、この家には「ナニカ」がいるという不安を拭えない。

 僕はそんなことを考えているうちにウトウトとしてきて、睡魔に身をまかせそのまま眠りについた。


 ん? 外はまだ暗い。まだ夜やな。

 なんか目が覚めてもうた。何時やろ?


 僕は真夜中に突然目が覚めた。カーテンの隙間から見える庭はまだ真っ暗で、遠くの空も黒く、朝焼けも見えない。だから、まだ真夜中だと思った。

 時間を確認しようと枕元の時計に手を伸ばす。そして、時計のライトがつくボタンを手探りで探して押す。

 ピカッと針と文字が薄い緑に光る。


 午前2時22分。


 僕はドキッとした。丑三つ時にゾロ目…

 嫌な予感がした。寝惚けていた眼が一気に醒めた。そして、ある違和感に気がつく。

 音がない…。夜だから静かなのは当たり前だが、それにしても音がなさすぎる。兄の寝息やいびきも聞こえない。自分の周りの空気がなくなって真空の中にいるような感覚が頭部を襲う。それはもうすごい圧迫感だった。


 なんや? 

 頭の周りの空間がぎゅーっと圧縮されてきてるみたいや。なんやこれ?

 音もなんも聞こえへん。


 そう思った時、あの耳鳴りと共にある音が聞こえ始める…

 え…、耳鳴り? なんや?


 カラ… カラ… カラ… カラ…。


 なんやあの音。なんか乾いた物がぶつかる音が近づいてくる。何の音や?


 カラ… カラ… カラ… カラ…。


 もしかして、骨か? 

 骨みたいな音な気がするで…。

 僕は直感的にそれが骨だと思った。

 そして、もう一つの音が聞こえ始める。


 ガチャ、ガチャ、ガチャ、ガチャ…。


 なんやこの音。これは鎧か? 

 時代劇で聞くような戦国武将が身につけるようなあれの音の気がする…。

 しかも、あの音この部屋に近づいてくるやん…。

 なんで…?


 僕は怖くなって枕に顔を埋め、両耳を手で塞ぐ。それでも、音は鳴り止んではくれない。むしろ、どんどん大きくなっていく。

 そうや! 兄に助けを求めたらえぇやん!

 と思い口を開こうとする。

 しかし、その思いが叶うことはなかった。

 口が動かない。なんなら、口だけでなく手足も動かなくなっていた。


 金縛りゆうやつか。これがなぁ…。

 なら、もう打つ手はあらへんな…。

 来るなら来たらえぇ!

 でも、文句の一つでも言うたるわ!

 口は動かんけどな。


 骨と鎧の音はどんどん近づき、やがて部屋の扉の前で止まる。

 部屋の外にいる。確実にそこに気配がある。それはわかるがそこから中へは入ってこないようだ。


 どうしたんやろう? 

 いや、入ってこん方がいい。

 絶対に入ってくんな!

 早く帰れ!


 枕に顔を埋めたままそう念じる。僕と部屋の外の気配はそのまま静止し続ける。

 暫くすると、音は遠くの方へと去っていった。

 音が完全に聞こえなくなった頃、ようやく金縛りから解放された僕はベッドに仰向けになって転がった。

 下からはいつもと同じように兄の寝息が聞こえる。窓の外では虫や何か獣の声がする。いつもの夜が帰ってきていた。

 

「今のはなんやったんや? 骨? 鎧? 何が来よったんや? あかん、考えたら怖なってきた。はよ寝直そ」


 身慄いをした僕は布団に潜り、目をぎゅっと閉じた。そして、再び両耳を手で塞ぐ。

 眠ってしまえば怖くない。何としても早く寝るんや。

 そう思い無理矢理寝ようと試みる。先ほどの体験で意外と疲れていたのか、それとも寝ようと頑張った結果なのかはわからないがすんなりと眠りについた。



 僕に突然意識が戻ってきた。辺り一面は真っ白で何もない。見渡す限りの「白」。どこまでも白い空間が広がっている。

 僕はこれが夢であることをすぐに察知した。このような場所が現実に存在するはずがない。


 なんでこんなに意識がはっきりしてるんやろ?

 まぁ、夢やし、えぇか。ちょっと様子みよか。


 辺りを見回すが本当に何もない。そして、誰もいない。人っ子一人いないとはこのことかと思う。

 遠くの方をぼぉーっと眺めていると、白の中に何かが見え始める。

 ゆらゆらと宙を舞う巨大な物体がこちらへ近づいてきているように見えた。大きさは軽自動車くらいはあるように思う。

 それが目視ではっきりと確認できるようになって、僕は息が止まった。


 それは、「大きな人の顔だった」。


 怒りの形相を浮かべた巨大な頭部。頭の真ん中だけ綺麗に剃られ長い髪が左右におろされている。


 あれは… 落武者の頭か…?

 さっき、部屋の前まで鎧の音がしとったけど…。

 まさかな… 、ははは…。


 巨大な顔はゆっくりと宙をとびながら左右を見回している。


 何かを探しとるんか? 

 いや、ここには僕しかおらんやん。

 てことは、探してるんは僕やろ!

 あかん! 逃げな!


 一気に緊張がはしる。僕は、その巨大な頭部に背を向け駆け出した。全力で、力一杯走った。

 突然駆け出したのがいけなかったのか、巨大な顔が僕に気づく。怒りで吊り上がった目と口が本当に怖い。その顔は口を開く。何か言っているのであろうか。

 そして、その巨顔は物凄い勢いで真っ直ぐこちらへ向かって飛び出した。巨大な顔の後ろの空間が一気に黒く染まる。

 僕はぎょっとしてさらに早く走ろうと腕と脚に力を込める。しかし、夢の中の所為かなかなか前へと進まない。

 巨大な顔と闇がどんどん僕の方へと迫りくる。近づく顔にどんどん焦る僕。額には汗が浮かび、背筋には滝のように汗が流れる。鼓動は否応なしに早くなる。


 あかんて、はよ逃げな。お願いやから、動いてや、身体動いてや! 


 太腿や腕を叩き何とか動かそうとするが思うように動いてはくれない。気づくと巨大な顔はすぐそこまで来ていた。


 うわっ! びっくりした! 

 もうここにおるやん!


 もがくように前へ前へとと進もうとする僕。後ろで巨大な顔が目と口を大きく開いた。


 その瞬間…、ガッ!


 ヤツの口から一本の矢が飛び出した。僕に当たると思ったが当たった様子はない。

 首を傾げながら後ろを見てみると、ヤツは宙をゆらゆらと飛びながら次次と矢を吐き出している。


「なんでやねん! どういうことやねん! やめてやー!」


 僕は叫びながら走った。前を向き腕を振る。すると、先ほどまでのが嘘のように急に僕の身体は加速した。


 なんや? いける! いけるで!


 僕はただひたすらに駆けた。一気にスピードが上がり、どんどん巨大な顔との距離は広がり、そのままヤツを置き去りにする。

 巨大な顔が見えなくなるところで、すーっと現実の目が開いた。


「今の夢はなんやったんや? 落武者か?」


 落武者、怒り。なんとなくだが心当たりがあった。近所にある塚。昨日、その塚の斜面で遊んだ。父にあそこで遊んではいけないと言われていたが子供達にはちょうどいいサイズの山みたいなものだった。

 あの塚に祀られているのが先の巨大な顔なのかもしれない。自分の家を荒らされ怒っているのかもしれない。


「明日、謝りにいこう。それで許してもらえるかわからんけど」


 気づくとパジャマは大量の汗でぐっしょりと濡れ、身体中に張り付いていた。気持ちが悪かったが、先のことが頭をよぎり、一人でお風呂場に行くことはどうしても出来なかった。

 シャワーを朝に浴びることにした僕は、大きなため息をつき再び眠りについた。


 翌朝目覚めた僕は顔を洗い服を着替える。そして、トーストを焼き表面にバターを塗る。

 香ばしい香りとバターの甘い香りが鼻腔をくすぐる。

 トーストを口に放り込み、牛乳を飲むと近くにいた母に昨晩のことを報告する。

 母は「そうか。あんたがそう思うんやったら行った方がえぇと思うわ。行ってきぃ」と言って僕を送り出してくれた。


 僕は例の塚へと歩いて向かう。家を出て通りを北へ抜けると一つ目の交差点を右折する。すると、そこには少しきつめの一本の坂道がある。

 そこを登ると左手に小さな池があり、その横に「件の塚」はあった。

 今日は斜面ではなく正面の階段から登る。階段を登り切ったところには左右にひとつずつ石燈籠がある。その燈篭の柱には紋が入っている。どこかの家の家紋だと思うが僕にはわからない。

 正面の奥には大きな岩が立っており、表面には文字が彫られている。風化していて僕には文字を判別することは出来そうにない。

 僕は岩の前まで行くと両膝をつき、両手を合わせて頭を下げた。


「本日は謝罪に参りました。先日、ここの斜面で遊び、汚してしまったことを深く反省しております。本当にすみませんでした。もう二度とここで遊ばないと約束します。それでは、失礼します」


 僕はそう言うと立ち上がり踵をかえす。どこか心がすっきりした。帰りの足取りはとても軽かった。

 そんな僕の姿を塚の上から笑顔で眺める顔があったが、僕がそれを知る由もない。

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