第23話 深淵の邂逅:交錯する記憶

「…あなたは…なぜ…その言葉を…?」


深海の底で、意識を取り戻した女性の言葉が、艦橋に静かに響いた。それは、遼が深海で聞いた、地球の音響信号の中に含まれていた、古代の言葉。イステリアの言語とは明らかに異なる、遥か遠い故郷の響きを持つ言葉だった。


「…私も、その言葉を知っているからです」


遼は、動揺を押し殺し、慎重に言葉を選んだ。女性の反応を注意深く観察しながら、ゆっくりと答える。


「あなたは…一体、何者なのですか? なぜ、こんな深海に…?」


女性は、遼の言葉に、さらに強い警戒の色を露わにした。その瞳の奥には、深い悲しみと、長い年月を経た疲労の色が宿っている。


「…私は…」


彼女は、何かを言いかけたが、言葉を飲み込んだ。そして、周囲を見回し、この鋼鉄の船、見慣れない計器類、そして、自分を見つめる男たちに、戸惑いを隠せない様子だった。


「ここは…どこなのですか…? 私は…一体…」


彼女の声は、依然として弱々しく、掠れていた。記憶が曖昧なのか、自分の置かれている状況を把握できていないようだった。


「ここは、私たちの船の中です。あなたは、深海の底で倒れていたところを、私たちが救助しました」


遼は、できるだけ穏やかな口調で、女性に説明した。ユイは、医療データをモニターに表示し、女性の容態を常に確認している。


「…船…? 深海の底に…?」


女性は、混乱したように首を振った。そして、再び遼を見つめ、その瞳に、僅かながら、希望の光を灯した。


「あなたは…もしかして…あの歌を…知っているのですか…?」


歌? 遼は、一瞬、思考が停止した。歌といえば、ミーアが歌っていた、魔獣を鎮める力を持つという歌のことだろうか。しかし、この女性が、なぜその歌のことを知っているのだろうか。


「歌…ですか? どんな歌ですか?」


遼は、慎重に尋ね返した。


女性は、掠れた声で、ゆっくりと歌い始めた。それは、ミーアが歌っていた歌と、確かに同じ旋律を持っていた。しかし、歌詞は異なり、より古く、より悲しげな響きを持っていた。


「…それは…」


遼は、驚愕に言葉を失った。この歌は、ミーアが歌っていた歌の原型なのだろうか。それとも、全く別の歌なのだろうか。


「…その歌を…あなたは、どこで…?」


遼の問いかけに、女性は、遠い記憶を辿るように、目を閉じた。そして、ゆっくりと、語り始めた。


「…私は…かつて…この海を…守っていた者…」


彼女の言葉は、断片的で、曖昧だった。しかし、その言葉の端々から、彼女が、この世界と、深い関わりを持っていることが伺えた。


「…私は…女神の…巫女…」


女神…? 遼は、ユイと顔を見合わせた。この女性は、女神の巫女だというのか? だとすれば、なぜ、彼女が深海の底にいたのか? なぜ、アビスの心と呼ばれる結晶体の傍らにいたのか?


「…アビス…」


女性は、突然、苦しげな声を上げた。その顔は、恐怖と憎悪の色に染まっている。


「…アビス…許さない…! 女神様の…世界を…!」


彼女の言葉は、断片的だが、強い感情が込められていた。アビス。それは、この世界を滅ぼそうとした、強大な敵。彼女は、アビスのことを知っている。そして、強い憎しみを抱いている。


「…落ち着いてください。あなたは、安全です。私たちは、あなたを助けます」


遼は、女性を落ち着かせようと、優しく声をかけた。


「…助け…? もう…遅い…」


女性は、自嘲するように、弱々しく微笑んだ。


「…女神様は…もう…」


彼女は、再び言葉を飲み込んだ。そして、その瞳から、一筋の涙が溢れ出した。


「…女神様は…もう…いない…」


その言葉は、艦橋に重く響き渡った。女神は、もういない? 一体、どういうことなのだろうか?


「…女神様は…アビスに…力を奪われ…」


女性は、震える声で、語り始めた。


「…アビスは…女神様の力を…利用して…世界を…滅ぼそうとした…」


それは、古代の記録に記されていたことと、一致していた。アビスは、女神の力を奪い、世界を滅ぼそうとした。しかし、女神は、自らの命と引き換えに、アビスを封印したのだという。


「…女神様は…自らの命と引き換えに…アビスを…封印した…」


女性の言葉は、悲痛な響きを帯びていた。彼女は、女神の死を、深く悲しんでいるようだった。


「…しかし…アビスは…完全に…滅びたわけでは…なかった…」


彼女は、ゆっくりと顔を上げ、遼をまっすぐに見つめた。その瞳には、強い光が宿っている。


「…アビスは…再び…力を蓄え…復活の時を…待っている…」


アビスは、まだ生きている。そして、再び、世界を滅ぼそうとしている。


「…私たちは…アビスを…倒さなければならない…」


女性の言葉は、強い決意に満ちていた。彼女は、アビスを倒すために、戦うことを決意しているのだ。


「…しかし…私には…もう…力が…残っていない…」


彼女は、再び、悲しげな表情になった。


「…私の力は…女神様と共に…失われた…」


彼女は、女神の巫女でありながら、その力を失ってしまったのだ。


「…それでも…私は…諦めない…」


彼女は、震える手を握りしめ、強い口調で言った。


「…私は…この世界を…守る…! 女神様との…約束だから…!」


彼女の言葉は、艦橋に響き渡り、そこにいる全員の心を震わせた。


遼は、彼女の強い意志に、心を打たれた。この女性は、女神の巫女として、この世界を守るために、戦おうとしているのだ。


「…私たちは…あなたを…助けます」


遼は、力強く言った。


「…私たちは…あなたと共に…アビスと戦います」


彼の言葉に、ユイも頷いた。


「…私たちの持てる限りの力で…あなたを…サポートします」


ユイの声にも、強い決意が込められていた。


女性は、驚いたように、遼とユイを見つめた。そして、その瞳に、感謝の光を灯した。


「…ありがとう…」


彼女は、震える声で、言った。


「…あなたたち…と共に…戦えることを…嬉しく…思う…」


こうして、遼たちは、新たな仲間を得た。女神の巫女。彼女の存在は、アビスとの戦いに、新たな光をもたらすだろう。


しかし、彼女が語った言葉は、多くの謎と不安を残した。


女神は、本当に死んでしまったのか? アビスは、どのようにして復活しようとしているのか? そして、この女性は、一体何を知っているのか?


深海の底で始まった、新たな出会い。それは、世界の運命を大きく動かす、壮大な物語の始まりに過ぎなかった。

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