焦煉󠄁魔

 レクスがダンジョンへと身を投じたのと時を同じくして、帰省などで学生が殆どいない学生寮。


 その女子寮の一部屋に集まる、少女たちの姿があった。


 眩しく輝く陽の光をカーテンで遮っているが、その隙間から漏れ出る光が彼女たちを照らす。


 テーブルを四人の麗しい少女たちが囲む。


 しかし彼女たちは元気が無いようにその美貌を俯かせていた。


 テーブルの上に置かれたカップの紅茶には湯気が立っているが、誰も口をつけようとしない。


 陰鬱に沈みきった空気が、彼女たちの肩に乗りかかっているようだ。


 はぁ、とプラチナブロンドの少女が物憂げに溜息を吐き出す。


 カルティアたち四人は、何時もの女子会を開くように寮のカルティアの部屋へと集っていた。


 だが、普段の女子会のような姦しさは何処へ行ったのか。


 四人の顔色は優れない。


 その理由は明白で、レクスが挑んだ修練にあった。


 クロウと、その妻たちがレクスに仕込んだ地獄の修練を見ていたカルティアたちは、そのあまりの激しさと目を覆いたくなるような過酷さを目の当たりにし、打ちひしがれてしまっていた。


 更に追い打ちを掛けたのは、クロウの妻たちの強さにも起因している。


 クロウの妻たち全員の強さが、カルティアたちの想像を遥かに越えていた。


 全員が、一騎当千の猛者である傭兵ギルドの力。


 カルティアたちは強さを追い求めたい訳ではない。


 レクスと共にあるためには、そんな力が無くとも良い事など、彼女たちには分かりきっている。


 だが、レクスを助けるのならこれほどの力を持たなければいけない、と。


 そう、言われたように感じ取ってしまったのだ。


「レクスくん、大丈夫、かな……。」


 どんよりとした雰囲気の中で、ぽつりとマリエナが呟く。


 ダンジョンへと行ったレクスの事が心配でならないのか、マリエナの背中の羽根がだらんと力無く垂れ下がっていた。


 頭に乗っかっているビッくんも、「ビィ……。」と元気のない表情をしている。


 四人の中でレクスが居なくなってしまえば、最も困るのはマリエナであるのは間違いない。


 だが、そんな事は関係なくマリエナはレクスが心配なのだという事を、他の三人もしっかり受け止めていた。


「大丈夫……だと思う他ないです。あれほどの訓練を突破したレクス様であれば……きっと……。」


 レインの声も自信がなさそうにだんだんと語尾が弱まり、声量も下がっていく。


 ダンジョンという場所に「絶対」はない。


 傭兵ギルドでヴィオナから放たれた一言を、彼女たちは理解していた。


 レクスとて、不死ではない。


 傭兵たち八人の猛攻を潜り抜けたレクスでさえ、不意を突かれるような事があれば容易く命を落としてしまう。


 そんな場所に行くレクスに何の手助けも出来ない自分たちの非力さが、何処か歯痒いように感じていた。


「……レクスさんが選ばれたことですもの。わたくしたちが手出し出来るような事柄では、ありませんわ。」


 ふぅ、と諦観に近い溜息が、カルティアから零れ落ちる。


 レクスの隣に立つと息巻いていた彼女も、ダンジョンの危険さは理解しているつもりだ。


 だからこそ、理解した上でレクスを送り出したつもりだった。


 だがその心にはしこりが残り、カルティアは無意識に唇を硬く結んでいた。


 傍にいたいと願えども、傭兵であるレクスには何時も危険が付き纏う。


 待つことも肝要だと頭では分かっていても、レクスが手の届かない程遠くに行ってしまうかも知れないという不安感はどうしても頭にこびり付き、剥がれない。


 愛する者の訃報など、聞きたくも無いのは皆同じなのだ。


「…うちも、力になれないなんて。…なら、うちのこの力は、なんの為にあるの……。」


 ぽつりと小声で呟いたアオイの声が、静まり返った部屋に響く。


 その声は、何処か嗚咽が混じり込んでいる。


 アオイは椅子の上で足を抱え込み、顔を伏せていた。


 ぎゅっと足を抱え込む手に力が入り、その身体は僅かに震えている。


 辛そうなアオイの姿に、カルティアたちも哀しげに目を逸らすしか出来ない。


 レクスの力になれない事に一番衝撃を受けていたのは、言うまでもなくアオイである事を、他の三人も悟っていた。


 ヴィオナの言葉に加え、レクスの修練で見せつけられた傭兵たちの戦闘能力。


 それは、傭兵たちの力量がアオイとは雲泥の差を自覚させられたのに等しい。


 アオイ自身も、現状彼らの力に及ぶのかと問われれば「無理」の二文字を掲げざるを得ないのだ。


 そんな実情がただただ悔しくて。


 アオイの頬に、硝子のようにきらめく雫が真っ直ぐ伝い落ちた。


「……本当、罪なお方ですわね。誰も悲しませたくないと仰られるのに、わたくしたちをこんな気持ちにさせるなんて。……そんなお方だからこそ、なのでしょうけれど。」


 アオイの表情を見てか、カルティアは苦笑しながら窓の方へと顔を向ける。


 窓の外は、気持ちのいいくらいに澄んだ晴れ空が拡がっていた。


 カルティアの言葉に応えるように、マリエナとレインも首肯する。


「レクスくんだもん。ずっと誰かの為に頑張って、誰かを助けようとして。……でも、そうじゃなきゃレクスくんじゃないし、こんなに想ったりしないもんね。」


 マリエナは目をゆっくり伏せる。


 握り拳を作ると、その手を豊満な胸の上に当てた。


「そうです。レクス様は女心をわからない方です。それでも、あちしはレクス様以外を男性として好きになれないと思えるです。だって、あちしを救い出したのはレクス様しかいないですから。」


 レインは小さく微笑むと、首から掛けたペンダントを優しく握り込んだ。


 アルス村で各々がレクスから受け取った指輪を、レインはペンダントとして首に掛けていたのだ。


「…うちも、レクスの力になりたい。…うちが出来るのは、それだけだから。…でも、レクスが困るのは、嫌。」


 すん、と鼻を寂しそうにアオイは鳴らす。


 抱えた膝の浴衣の裾を、ぎゅうと握った。


 悔しさが露骨に、浴衣の皺に顕れていた。


 アオイの表情に、三人は口をへの字に曲げる。


 アオイが語るその気持ちは、カルティアたちも同じなのだから。


 ふぅ、と力無く息を吐いたカルティアはようやく湯気の立ったティーカップの取っ手を掴む。


 ゆらゆらと揺らめく水面には、眦を下げて寂しいような表情を浮かべたカルティア自身が映っていた。


(……なんの力にもなれない、ですわね。わたくしだって、同じですわ。)


 愛する者が危険に向かって行くのに、何も出来ない。


 そこに無力さを感じているのは、アオイだけでは無いのだ。


 カルティアも、マリエナも。


 戦う力の無いレインすらも。


 何も出来ないもどかしさを抑え込んでいた。


 カルティアはカップに口を付け、紅茶を流し込む。


 ふわりと鼻腔を擽る、すっきりとした香りと程よい苦みが口内に拡がった。


 その途端、ふと、ある言葉がカルティアの脳裏を過る。


『今のお前さんたちがいったところで手も足も出ないよ。』


 それは、突き放すように告げられたヴィオナの言葉。


(……そうですわね。ヴィオナさんの仰る通りですわ。……今のまま、であれば……?)


 ヴィオナが告げた言葉の意味に気付き、カルティアはぱっと目を見開いた。


(そう、そういうことですのね。)


 カップをソーサーに戻し、カルティアはおもむろに立ち上がる。


「どうしたの?カルティアちゃん。お手洗い?」


「も、もしかしてあちしの紅茶、淹れ方がお口に合わなかったです!?」


 きょとんと首を傾げるマリエナと、あわあわと慌てるようなレイン。


 アオイはしょんぼりと膝を抱えて俯いたままだ。


 カルティアはふるふると首を横に振る。


「いいえ。違いますわ。レインさんの紅茶は何時も通り、美味しいですもの。それよりも……皆様、参りますわよ。」


「行く……って?何処に?」


「特に買いたいものはないですが……?」


 検討違いの答えに、カルティアは苦笑を浮かべる。


「そうではありませんわ。レクスさんの応援に参りましょう。」


「…レクスの、応援?…どうやって?」


 カルティアの言葉に反応し、アオイが顔を上げる。


 少し泣き腫らしたのか、眦がほんのりと赤く染まっていた。


「ヴィオナさんが仰っておられましたわ。「今のままでは」、と。」


「…それは、どういうこと?」


「わたくしたちが、今を超えればいい、と。それだけの話ですわ。……どのみち、護身程度は覚えなければなりませんもの。いい機会ですわ。」


 にこりとカルティアは微笑む。


 カルティアの笑顔にハッと気がついたようにアオイは目を見開いた。


 ごしごしと目を擦り、ぴょんと椅子から跳ぶ。


 琥珀色の瞳は真剣な眼差しで、カルティアを見つめた。


 マリエナとレインもいつの間にか椅子から立ち上がっていた。


 二人は未だに動揺を隠せていない。


 だがその瞳に宿る意志は、レクスの助けになりたいという思いが見え隠れしているように、カルティアを見据えている。


 結局は全員、後悔を残したくないのだ。


 手出しが出来なかったから、愛する男を失ったという結果に、彼女たちは納得出来る訳が無いのだから。


 それほどまでに、レクスに依存しているとも言える。


 しかし、彼女たちとて「はいそうですか」とレクスの言いなりになるつもりも無い。


 愛する者の暴走を止める事も、ハーレムの役目なのだから。


 レクスを愛し、レクスに愛され、胸を張って共に立ちたい彼女たちにとっては当然といえた。


「…何処に、行くの?」


「決まっていますわ。わたくしたちのお手本がいるではありませんの。」


 カルティアを真っ直ぐ見据えて問うアオイに、カルティアはきっぱりとその答えを口に出した。


「傭兵ギルドへ。」






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