予感

 レクスがグラッパ工房を出たのとほぼ同じような時間帯。


 陽の光が照りつける王都の白い石畳の上を、こつこつと足音を響かせながら歩く、薄桃色の髪を肩にかかるほどまで下ろした老婆の姿があった。


 老婆と言えども杖などは使っておらず、背筋もピンと伸び切っている。


 側の通行人にも、歩き方に老いなど微塵も見えていないだろう。


 街ゆく人たちと変わらない服装をした老婆は、紙袋を抱え、少し悩むような、憂うような難しい表情で道端を早足で歩いていた。


 道行く人は、その人物を知っていればそそくさと怯えたように道を開ける。


 傭兵ギルドのギルドマスター、ヴィオナが考え事をしながらその健脚を前に進めていた。


 抱えている紙袋の中身は、煙管に詰める為の煙草と、清掃用の紙だ。


 行きつけた馴染みの煙草店からの帰り道、ヴィオナは難しい面持ちを浮かべている。


 ヴィオナの悩みの種は、目下の王宮からの依頼だった。


(……あれの気分に振り回されて、王宮はあれで良いのかい……?どうも過保護過ぎやしないかねえ……?魔王の為の切り札だって考えてるんだろうけど、”あれ”はもう遅いさね。本当、王宮……というか”あれ”と魔王が繋がってるってのは、やりにくいさねぇ……。)


 考えを巡らせるも、”あれ”が王宮に頼み込んだのか、はたまた王宮が勝手に出したのか。


 それはヴィオナにはわからない。


 だが、依頼が出ている以上は、傭兵ギルドとして何らかの動きを取らねばならないのだ。


 魔王と繋がっている”あれ”の考えもわからなければ、魔王や”あれ”の目につかず、”あれ”と同行して生き残らなければならない。


 ヴィオナに取って、非常に困難な人選であったのだ。


 ヴィオナの脳裏では、傭兵たちの顔が次々と思い起こされる。


(出すとすれば……クロウかアイカ、アヤネにルナかねぇ……?ガダリス……は駄目さね。同じくヒメルやマリン、セフィーラでは荷が重いだろうね。ハンミルやジャミンも駄目……。チェリンやイリアは居てもらわないと困るから論外さね。ナイファやシヴァンもきついねぇ……。いろいろ思っても、ぴったりの人選はなかなか思いつかないねぇ……。いっそのこと、断ってしまうのもありさね。貴重なウチの面々を、目に見えて危険な場に放り出せるわけもないからね。)


 なかなかの難題に、ヴィオナは頭を抱えながら、ふぅとため息を溢す。


 幾ら傭兵は強く、ヴィオナの選別を通り抜けていると言えども、ダンジョンは生き残れる保証も無いような場所だ。


 そんな場所に”「あれ”のお守りで行って来い」とは、傭兵たちを思うヴィオナには到底言えないのだ。


 依頼のことに意識を取られ、気もそぞろだったということもあるだろう。


 とん、と。


 誰かがヴィオナの腕にぶつかった。


 ヴィオナは倒れることは無いが、手に持った紙袋をパサリと石畳の上に落とす。


 石畳の上に煙草の小袋がざぁっと溢れ落ちた。


 ヴィオナはハッとしてぶつかった相手に目を向ける。


 ぶつかったその相手も、慌てたようにヴィオナへ振り向いた。


 その相手は背の低い女の子。


 濡羽色の長い髪に、ぴょこぴょこと揺れるツーサイドアップは、その女の子の可愛らしさを引き立てていた。


 くりんとした翡翠色の瞳は、汚れを知らないように透き通っている。


 小さい体躯ではあるが、白いワンピースに包まれた女性の象徴ともいえる胸元はアンバランスな程、非常に豊かな物。


 その女の子に、ヴィオナは見覚えがあった。


 ”あれ”と一緒に王宮の馬車に乗っていた少女だ、と。


「……ぶつかったのは、お前さんかい?」


 なるべく優しく語りかけたつもりのヴィオナだったが、その少女には少々眼光が強かったのか。


「ひっ……!」と怯えるような悲鳴が上がった。


 少女は僅かにぷるぷると身体を震わせながらも、勢いよく頭を下げた。


「ご、ごめんなさいなのです!前をよく見ていなかったのです!」


 透き通るような高く、可愛らしい声。


 ヴィオナはきょとんとしたように見つめていたが、すぐに目を伏せて首を横に振った。


「お前さんのせいじゃないよ。アタシも前を見ていなかったからねぇ。謝る必要は無いよ。」


 そう呟くと、ヴィオナは紙袋を拾い上げようとその場に屈み込む。


「わ、私も手伝うのです。」


 少女もヴィオナと同じようにその場に屈み込み、煙草の葉が入った小袋を拾い集め始めた。


 少女の姿にヴィオナは「ほう。」と少し感心したような声を漏らす。


 その低い声に驚いたのか、可愛らしい少女はびくりと肩を震わせた。


「お……おばあさん!?どうしたのです?」


 その目を見開いて驚いた様子の少女に、ヴィオナはにやりと口の端を吊り上げた。


「いや、お前さん……こんな婆に気を利かせてくれるのかい?ありがたいもんさと思ってねぇ。」


「と、当然なのです。ぶつかった私の方が悪いのです。……それに、おばあさんに親切にするのは当たり前のことなのです。」


「へぇ……若いのに感心だねぇ。……お前さんみたいな娘がいるなら、この国は安泰さねぇ。」


「そ、そんなことはないのです!……私も、まだまだなのです。リュウジ様に、認めてもらうには……。」


 僅かに沈んだ語尾と、か細く届いた声を、ヴィオナは聞き逃さなかった。


 何処か焦ったようなその仕草と声に、ヴィオナの長年の勘が警鐘を鳴らす。


 しかしその警鐘は、自身で気が付かなければ意味が無いもの、とヴィオナは知っていた。


 そうして小袋を拾い集めて紙袋に詰めなおすと、ヴィオナと少女はすっと立ち上がる。


 ヴィオナは柔らかく頬を緩め、ふぅと息を吐いた。


「悪かったね。お前さん。気を遣わせてしまったねぇ。」


「とんでもないのです。私がおばあさんにぶつかってしまったのがいけないのです。怪我とか……ないのですか?」


 ばつが悪そうに尋ねる少女に、ヴィオナは首を振る。


「怪我は無いよ。お互い様さね。……さて、お前さん……急いでるんじゃないのかい?」


 ヴィオナは口元に笑みを浮かべながら口に出すと、少女はハッとしたように口に手を当てる。


「そうだったのです!リナお姉ちゃんとカレンお姉ちゃんを待たせていたのです。そ、それでは急いでいるので……おばあさん、ごめんなさいなのです。」


 ぺこりと頭を下げてヴィオナの横を通り抜けようとする少女。


 そこにヴィオナは、「待ちな。」と声をかける。


 ヴィオナの声に気がついた少女はくるりと顔を向けた。


「……名前、聞いていなかったね。アタシはヴィオナ。ヴィオナ・ハウゼンだ。お前さんの名前を教えてくれるかい?」


「え……えと、クオン、なのです。姓はないのです。」


 戸惑ったように答えるクオンは、急いで駆け出そうとしているようだった。


 そんなクオンに、ヴィオナは柔らかく眦を下げる。


「そうかい。……じゃあね、クオン。急いでいると、また誰かにぶつかるよ。」


「は、はい。気をつけるのです!……それじゃあヴィオナおばあさん、さようならなのです!」


 再び小さく頭を下げた少女は、ツーサイドアップの房をぴょこぴょこと揺らしながら走り去っていく。


 その背中を、ヴィオナは鋭い視線で見つめていた。


「……そうかい。あれが、五人目かい。……全く、行かせるしかなくなっちまったねぇ。」


 ぽつりと愁いを持って呟いた言葉は、雑踏の中に消えゆく少女には聞こえていないようだった。


 ふぅとその方向を見ながら吐いたため息は強く、少女が完全にヴィオナの視中から消えゆくまで、その視線を保ったままだ。


 数多の人間がひしめく中に少女が見えなくなると、ヴィオナは正面に向き直る。


「……”あれ”の為なら行かせる気はさらさらないけどねぇ。視えちまったもんは、仕方ないさね。」


 ヴィオナが視た光景。


 それは、ヴィオナのスキルである「占い師」の効果だ。


 それは、断片的な情報での未来視にも似ている。


 だがその断片的な情報は、言葉が浮かぶだけであればタロットカードのようなイメージが湧く場合、運が良いか悪いかだけがわかる場合など非常にランダムで使いにくい上に制御も効かない。


 それでいて当たる確率も非常に高いという際物すぎるスキルであった。


 それでいて、今回視えてしまったのは「鮮明な光景」。


 そのイメージがはっきりしていればしている程、その「占い」は的中しやすいと、ヴィオナは経験則でそう思っている。


 そのスキルが鮮明な光景を見せたということは、そういうことなのだ、と。


 だがその光景とともに、ヴィオナの直感がどうも囁くのだ。


 ”あの少女を救えるのは、あの少年だけだ”、と。


 何故なら以前にスキルで視えた少年を囲う少女たちの中に、クオンの姿を視ていたのだから。


(……任せる気はなかったけどねぇ。だけど、あのままにしておくのも後味が悪いさね。……あの子に頼るしかないってことかい。)


 ヴィオナの脳裏に浮かぶ少年は、傭兵ギルドの最年少。


 とても真っ直ぐな紅い眼差しが印象的なその傭兵に、ヴィオナはこれまで悩んでいた事が嘘のように決断を決めた。


 ヴィオナはそのまま、傭兵ギルドへの道を少し早足で歩き出す。


 つかつかと歩むそのヴィオナの眼差しは、真っ直ぐ前方に浮き立った入道雲を捉えていた。


(……頼んだよ。レクス。)


 ヴィオナの脳裏に浮かんだ光景。


 それは、血溜まりに倒れこんだ少女。


 全身を赤く染めてぴくりとも動かない、右目から紅い血液をだらだらととめどなく流した、無惨なクオンの姿だった。



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