第二十八話:終焉の刻、帝の涙
「俺は一人じゃない。俺のMAは、みんなの想いを乗せて未来を切り開く!」
俺、相馬海斗の魂の叫びに呼応するかのように、エンペラー「帝」の纏う漆黒のオーラが、「修羅の頂」全体を飲み込むかのように膨れ上がった。仮面の下の双眸が、初めて剥き出しの破壊衝動にギラリと輝く。
「小僧…! 我が領域を侵す不敬、その身をもって、市場の真の恐怖と共に味わうがいい!」
帝が両手を広げると、ドル円市場はまるで彼の意志に呼応するかのように、天変地異を思わせる超々短期的な大変動を開始した。ローソク足は常軌を逸した長さで上下に伸び縮みし、あらゆるテクニカル指標は意味をなさず乱回転する。それは、MAですら追従不可能な、人の知覚を超えた「ノイズの嵐」。帝の莫大な資金力と、市場心理を極限まで煽り、パニックを引き起こす情報操作が組み合わさった、まさに「市場の終末」を思わせる光景だった。
俺の20SMAも、この人為的な大嵐の中では正しい方向を示すことができず、激しく揺れ動き、その意味を失いかけていた。再び、絶望的な無力感が俺の心を支配しようとする。
(ダメだ…これほどの力の前では、MAも…俺も…!)
その時だった。海斗の脳裏に、高柳師匠の静かで、しかし厳かな声が、まるで天啓のように鮮明に響き渡った。
――海斗、MAが沈黙する時、それは市場が道を見失い、恐怖に怯え、泣き叫んでいる時じゃ。だがな、どんな嵐の中にも、必ず「目」がある。全ての動きが止まり、全ての力が調和する、ほんの一瞬の静寂…それこそが、市場の「魂の在り処」じゃ。MAはその一点を指し示そうと、たとえ千切れそうになっても、最後までお前に語り掛けてくるはずじゃ…!――
師匠の言葉と共に、ポケットの中で握りしめていた黒い「道しるべの石」が、これまでで最も強い、燃えるような熱を放った。その熱は、絶望で凍てつきかけた俺の魂を溶かし、MAとの繋がりを再び強固なものへと変えていく。
「市場の…魂の在り処…」
俺は、帝が作り出すノイズの嵐の奥深くへと、意識を沈めていった。MAの乱高下の中に、ほんの一瞬だけ現れる「静寂のポイント」。それは、帝の攻撃の波と波の間に存在する、市場が本来持っている自然な呼吸のリズム。
(これだ…! エンペラーの作り出すノイズは、市場そのものではない! 市場は、まだ生きている! 呼吸している!)
俺は、全てのテクニカルな知識を超越し、MAを通じて市場の「意志」そのものと対話するような、新たな境地に足を踏み入れていた。
「海斗! エンペラーの攻撃は、一見無限に見えるけど、必ずどこかに限界があるはず! その力の源泉を断ち切るのよ!」
Solitary Roseが、観戦席から必死の形相でチャットに叫んでいた。
フィボルト、高遠、神崎、ドクター・マインドら元四天王たちもまた、それぞれの専門知識から帝の攻撃パターンの僅かな矛盾点や、その力の限界を示唆する分析を、チャットで俺に伝えようとしてくれていた。
そして、「ふわふわ♪わたあめ」のアバターが、なぜか帝の作り出すノイズの嵐とは全く無関係に、ある一定の価格帯で、プログラムされたかのように大量の買い注文(もちろん仮想の注文だが)を出し続けていた。それは、まるで巨大な壁のようにその価格帯を支え、偶然にも、帝のアルゴリズムの一瞬の計算ミスを誘発し、彼の攻撃に僅かな亀裂を生じさせた。
全ての想いとヒントが、俺の中で一つの光の束へと収束していく。俺は、帝の「ノイズの嵐」の中心にある、彼の力の源泉ともいえる一点の歪み――彼自身が生み出した市場の不均衡の中心点――を、MAを通じて明確に見抜いた。
「エンペラーッ!!」
俺は叫んだ。そして、MAが示す究極のタイミングで、これまでの戦いで得た全ての経験と、仲間たちから託された全ての想いを乗せ、全霊を込めた最後のエントリーを、その歪みの中心へと叩き込んだ!
それは、買いでも売りでもない。市場の「調和」を取り戻すための一撃。
俺の一撃は、帝の作り上げた市場支配の核心を、内側から貫いた。世界を覆っていたノイズの嵐は、まるで悪夢から覚めたかのように嘘のように収まり、市場は本来の静けさと秩序を取り戻していく。そして、帝の莫大な証拠金を示すカウンターが、劇的に、そして急速に減少を始めた。
「馬鹿な…我が…我が市場支配が…こんな小僧の一撃で…」
帝の声には、初めて焦りと信じられないといった響きが混じっていた。
最後は、帝自身が全てのポジションを手仕舞い、静かに敗北を認めた。
「…見事だ、挑戦者KITEよ。我が支配は…終わった…」
その言葉と共に、彼が纏っていた漆黒の仮面が、音を立ててゆっくりと砕け散った。その下から現れたのは、意外にも深く刻まれた皺と、言いようのない深い疲労、そしてどこか悲しみを湛えた瞳を持つ、一人の年老いた男の素顔だった。その顔は…。
(この人は…どこかで…?)
俺は、勝利を確信し、全身の力が抜けてその場に膝をついた。観戦席は、一瞬の静寂の後、地鳴りのような爆発的な歓声に包まれた。俺は、ただ呆然と、仮面の下から現れた帝の顔を見つめていた。
FX界の絶対王者、エンペラーの支配は、今、確かに終わったのだ。
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