第二十九話:仮面の告白、そして夜明けの光
エンペラー「帝」の作り出した市場の終末を思わせる「ノイズの嵐」は、俺、相馬海斗のMA一本の魂の一撃によって、まるで悪夢から覚めたかのように霧散した。市場は本来の静けさと秩序を取り戻し、そして、帝の莫大な証拠金を示すカウンターは、急速にその数字を減らしていく。
やがて、帝自身が全てのポジションを手仕舞い、絶対王者としての敗北を静かに認めた。
「…見事だ、挑戦者KITEよ。我が市場支配は…今、終わった…」
その言葉と共に、彼が纏っていた漆黒の仮面が、音を立ててゆっくりと砕け散った。ハラハラと舞い落ちる破片の向こうから現れたのは、意外にも、深く刻まれた皺と、言いようのない深い疲労、そしてどこか深い悲しみを湛えた瞳を持つ、一人の年老いた男の素顔だった。その顔立ちは、どこかで…いや、高柳師匠の古い写真の中で見た、若き日の師匠の隣で誇らしげに微笑んでいた、あの男の面影に酷似していた。
「あなたは…」俺が言葉を失っていると、老人は静かに語り始めた。
「かつて、私もまた理想に燃える一人のトレーダーだった。市場の未来を信じ、仲間と共にその可能性を追求していた。だが…市場はあまりにも非情で、人の欲望はあまりにも醜い。幾度もの裏切りと絶望の果てに、私は力を求めた。市場を支配し、混沌に終止符を打つための絶対的な力を。そして、いつしか孤独な『帝』として、この玉座に君臨し続けることだけが、私の存在理由となっていたのだ…」
その声は、もはや絶対王者の威圧感はなく、ただひたすらに虚ろで、そして寂しげだった。彼は、市場を支配することで、市場の混沌そのものを終わらせようとしていたのかもしれない。歪んだ形で。
「君のMAは…そして君自身の魂は、私がとうの昔に失ってしまったものを、鮮やかに映し出していた。高柳…お前の弟子は、見事にお前の理想を受け継いだようだな…」
老人は、遠い過去を懐かしむように、そう呟いた。
その頃、自宅のモニターで戦況を見守っていた高柳師匠は、エンペラーの素顔と彼の最後の言葉を聞き、その頬を静かに涙が伝っていた。エンペラー、いや、かつての友であり、最大のライバルであった男――その名は、龍崎(りゅうざき)。ある事件をきっかけに袂を分かち、龍崎は歪んだ覇道を、師匠は隠遁の道を選んだ。龍崎もまた、市場という名の巨大な魔物に囚われ、その深淵で孤独にもがき続けていたのだ。
「友よ…お前もまた、長きに渡り、重き荷を背負い続けていたのだな…」師匠の口から、嗚咽にも似た声が漏れた。
「修羅の頂」の観戦席は、エンペラーの告白と、KITEの歴史的とも言える勝利に、言葉を失い、ただ静まり返っていた。やがて、誰からともなく始まった拍手は、次第に大きくなり、万雷の喝采となってフィールドに響き渡った。
龍崎は、俺に向かって深く頭を下げた。
「市場に絶対はない。君のMAも、いつか新たな挑戦者に打ち破られる日が来るかもしれん。だが、それでいいのだ。そうやって市場は進化し、その健全さを取り戻していくのだろう…この市場の未来を、君のような若い世代に託そう。ありがとう…KITE君」
彼はそう言うと、もはや「帝」の威厳はなく、ただの一人の老トレーダーとして、静かにフィールドを去っていった。その背中は、どこか憑き物が落ちたように、軽やかに見えた。
バトルが終わり、俺がログアウトしようとすると、Solitary Roseから、チャットではなく、直接のボイスコールがかかってきた。その声は震え、言葉にならない感情でいっぱいだった。
「海斗…! 聞こえる!? あなた…本当に…本当に、エンペラーに…!」
「ああ…勝ったよ、Roseさん」
俺は、安堵と疲労感の中で、できるだけ穏やかに答えた。
数時間後、俺は高柳師匠の家の縁側で、Roseと並んで座っていた。彼女は、俺がログアウトするのを待って、師匠の家まで駆けつけてくれたのだ。
再会した俺たちは、しばらく言葉少なにお互いを見つめ合っていた。やがて、Roseは、そっと俺の手に自分の手を重ねた。その手は、少しだけ震えていた。
「…約束、覚えてるわよね? 私の…隣、空いてるわよ」
その瞳は、これ以上ないほど優しく、そして愛おしさに満ちていた。俺は、彼女の手を強く握り返し、深く頷いた。
「狼たちの牙」は、KITEの優勝という、誰もが予想しなかった衝撃的な結末で幕を閉じた。エンペラーの支配が終わり、FX界には、新たな時代の到来が確かに予感されていた。
「ふわふわ♪わたあめ」は、エンペラー戦の後、いつの間にかバトルプラットフォームから姿を消していた。彼女が一体何者で、なぜあの時、エンペラーの計算を狂わせるような行動を取ったのかは、結局謎のままだった。だが、俺の心には、彼女への確かな感謝の念と、不思議な親近感が残っていた。
師匠は、俺の勝利を「お前は、ワシを超えたな」と、ただ一言、静かに称えてくれた。その言葉には、万感の想いが込められているように感じられた。
俺は、この戦いで手にした莫大な賞金よりも、遥かに大きなものを得た。それは、揺るぎない自信と、かけがえのない仲間たちとの絆、そして何よりも、Solitary Roseと共に歩む未来への確かな希望だった。
俺の本当の「FXミリオンロード」は、絶望の淵から始まり、多くの人々の想いと共に、今、新たな夜明けを迎えようとしていたのかもしれない。
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