第二十四話:集う想い、決戦前夜

KITEこと俺、相馬海斗が四天王全員を撃破したというニュースは、「狼たちの牙」の参加者たち、いや、おそらくはこの業界の裏側で情報を追う者たちの間にも、瞬く間に衝撃と共に広がっていた。MA一本という古典的な手法を携えた無名の新人が、百戦錬磨の猛者たちを次々と打ち破ったのだ。それは、新たな時代の到来を予感させるに十分な出来事だった。

エンペラーからの挑戦状を受け取った俺の元には、かつて死闘を繰り広げた四天王たち――幻術師フィボルト、世界を読むストラテジスト高遠、アルゴリズムの覇者・神崎、そしてドクター・マインド――から、それぞれ個別のメッセージが届き始めていた。それは、エンペラーの過去のトレードに関する断片的なデータであったり、彼が好んで利用する市場の歪みに関する考察であったり、あるいはエンペラーの心理的傾向に関する貴重な分析であったりと、彼らがそれぞれの専門分野から俺の勝利を後押ししようとする、熱い想いが込められたものだった。

「お前のMAは、もはやただの一本の線ではない。多くの知恵と経験、そして託された想いが織り込まれた、万感の道標じゃ。エンペラーがどんな手で来ようとも、お前自身のMAを信じ、その声に耳を澄ませ」

高柳師匠は、俺がそれらの情報を整理し、自身の戦略へと昇華させようと苦心する姿を、静かに、しかし力強い眼差しで見守ってくれていた。最後の特訓は、これまでにないほど厳しく、そして濃密なものとなった。

そんな中、Solitary Roseは、自身の情報網と分析能力を駆使し、エンペラーに関するあらゆる情報を収集しては、俺に提供してくれた。

「エンペラーは…本当に記録がほとんど残っていないの。まるで市場の幽霊そのものよ。でも、彼が本格的に動く時、必ず市場に大きな、そして予測不可能な爪痕を残していく…決して油断しないで、海斗」

彼女の声には、隠しきれない不安と、そして俺への深い信頼が滲んでいた。

決戦を数日後に控えたある夜、俺はSolitary Roseと電話で話していた。

「必ず勝って帰ってくる。そして…もし、俺が勝ったら…」

言葉に詰まる俺に、彼女は静かに、しかしはっきりとした声で言った。

「ええ…待ってるわ。だから、必ず…生きて私の前に戻ってきなさい。それが、あなたとの約束よ」

顔を真っ赤にしながらも、彼女はそう言ってくれた。その言葉は、どんなテクニカル指標よりも確かな、俺の心の支えとなった。

集めた情報から浮かび上がるエンペラー像は、まさに「市場の現象」そのものだった。特定のトレードスタイルを持たず、テクニカル、ファンダメンタルズ、アルゴリズム、心理戦、その全てを状況に応じて完璧に使いこなし、時には市場そのものを自分の意のままに動かしているのではないかと錯覚させるほどの圧倒的な力。誰も彼の素顔を見たことがなく、その正体は深い謎のベールに包まれている。

高柳師匠は、俺がエンペラーの名を口にするたび、ふと遠い目をして何かを想うような表情を見せた。一度だけ、「奴は…ワシがFXの表舞台から身を引く、一つの大きなきっかけでもあった…」とだけ呟いたが、それ以上のことは決して語ろうとはしなかった。師匠とエンペラーの間に、一体何があったのか…。その答えも、俺自身がエンペラーと対峙することで見つけ出すしかないのかもしれない。

そして、「狼たちの牙」運営から、エンペラー戦の舞台とルールが正式に告知された。

決戦の場は、バトルプラットフォーム内にこの日のために特設された「修羅の頂(いただき)」と呼ばれる隔離された空間。制限時間はなし。使用可能な初期資金は、これまでのバトルとは比較にならないほど莫大で、実質的にはほぼ無制限に近い。まさに、全てを賭けた最終決戦にふさわしい、過酷極まるルールだった。

この歴史的な一戦を観戦できるのは、これまでの「狼たちの牙」で特に優れた成績を収めた一部のトップトレーダーと、運営が特別に招待した数名の業界関係者のみ。その中には、もちろんSolitary Roseも、そして「ふわふわ♪わたあめ」の名前もあった。

エンペラー戦を翌日に控えた夜。俺は、高柳師匠の家の縁側で、満月が煌々と照らす夜空を静かに見上げていた。隣には、いつものように師匠が座り、無言で湯呑みを傾けている。

「海斗」師匠が静かに口を開いた。「お前はもう、ワシが教えることは何もないほどに強くなった。あとは、お前自身と、お前が信じるその一本の道を、ただひたすらに貫き通すだけじゃ」

「はい、師匠」

俺の声には、もう迷いはなかった。

これまでの戦いで出会った全ての人々の顔が、脳裏に浮かんでくる。フィボルト、高遠、神崎、ドクター・マインド…彼らが託してくれた想いと知識。そして、いつも俺を信じ、支えてくれたSolitary Rose。彼女との約束。その全てが、今の俺を形作り、勇気を与えてくれている。

俺は、師匠から託された黒い「道しるべの石」を、左手で強く握りしめた。それは、まるで生きているかのように、温かく、そして力強く脈打っている。

「エンペラー…あんたがどんなに強くても、どんなに市場を支配しているつもりでも、俺は負けない。俺のMAが、みんなの想いが、そして俺自身の魂が、未来への道を必ず切り開く!」

決意を込めたその言葉は、静かな夜空へと吸い込まれていった。

次回、ついにエンペラーとの最終決戦の火蓋が切って落とされる。俺の、そしてFXの歴史が、新たな一歩を刻む瞬間が迫っていた。

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