第二十話:叡智の融合、そして心の迷宮へ

ユニット731こと神崎さんから託された膨大な資料――それは、冷徹なアルゴリズムの設計思想と、膨大な市場の統計データが詰まった、まさに「機械の叡智」とも呼ぶべきものだった。俺、相馬海斗は、その解析と自身のMA戦略への融合に寝食を忘れて没頭した。

「機械の知恵も、使いようによっては強力な武器となる。だが、それに心を食われるな。あくまで道具として、お前のMAを補佐するものとして捉えよ」

高柳師匠は、俺の新たな探求を静かに見守りつつ、そう助言を与えてくれた。

神崎さんの資料を読み解くうちに、EAが市場の特定のパターンをどう認識し、どういったロジックで反応するのかが見えてきた。それは、MAが示すトレンドの「確からしさ」を、より客観的なデータで裏付け、エントリーやエグジットの精度を格段に向上させる可能性を秘めていた。俺は、師匠の指導のもと、人間の直感と裁量、そして機械的な分析の最適なバランスポイントを必死に探った。MAが大きな流れを示し、神崎さんのロジックがその流れの中の小さな渦や反転の予兆を捉える。そんなイメージだ。

KITEの三連続四天王撃破という快挙は、「狼たちの牙」の参加者たちの間で、もはや伝説となりつつあった。チャットウィンドウは、俺の次の戦いを待ち望む声と、その強さの秘密を探ろうとする憶測で常に賑わっている。

そんな喧騒の中、Solitary Roseからプライベートチャットが届いた。

『…ユニット731にまで勝ったそうね。あなたのそのしぶとさ、少しは見直したわ。祝勝会くらい、付き合ってあげてもいいわよ。もちろん、場所選びと支払いは、あなたがするのが当然だけど』

相変わらずのツンデレな口調。だが、その文面には、以前のような冷たさはなく、どこか弾むような響きが感じられた。

俺たちは、前回とは違う、少し落ち着いた雰囲気の隠れ家的なカフェで会うことになった。私服姿の彼女は、バトルプラットフォームで見せる孤高の薔薇の鋭さは鳴りを潜め、時折見せる柔らかな表情に、俺は何度も胸を高鳴らせた。

俺は、神崎さんとの戦いや、彼から託された資料について興奮気味に語った。彼女は、淹れたてのコーヒーの香りを楽しみながら、静かに耳を傾けていた。そして、俺の話が一区切りつくと、ゆっくりと口を開いた。

「あなたのその移動平均線、馬鹿にしていたけど…まるで生きているみたいに、市場の変化を吸収して進化していくのね。面白いわ」

素直な賞賛の言葉に、俺は顔が熱くなるのを感じた。

会話は、自然とFXに対するお互いの考え方や、過去の経験へと移っていった。彼女がなぜあれほどまでに強さを求めるのか、その理由の一端に触れたような気がした。そして俺もまた、師匠との出会いや、これまでの戦いで感じたことを、自分の言葉で彼女に伝えた。気づけば、俺たちの間の壁は、以前よりもずっと低くなっているのを感じていた。

カフェからの帰り道、街灯に照らされた並木道を二人で歩く。ふと、彼女が足を止め、真剣な表情で俺を見つめた。

「…海斗。次の四天王は、今までの相手とは訳が違うわ」

彼女が俺の名前を呼んだのは、これが初めてだったかもしれない。

「私も何度か噂は聞いているけれど、『ドクター・マインド』…彼は、市場心理を操ることに長けた、文字通りの『相場の心理学者』だって。テクニカルやファンダメンタルズだけじゃない。人の心の弱さ、恐怖、欲望、その全てを利用してくる」

彼女の瞳には、本気で俺を心配する色が浮かんでいた。

「あなたのその純粋なMAが、あの男の歪んだ精神攻撃に耐えられるかしら…」

その言葉は、俺の心に重く響いた。

高柳師匠もまた、ドクター・マインドの危険性を俺に説いた。

「奴は、お前の心の鏡に映る恐怖や欲望を増幅させ、お前自身を疑心暗鬼に陥らせ、自滅へと導く。フィボルトの幻術や高遠の知略、神崎の論理とも違う。あれは、魂そのものを削り取るような戦いになるじゃろう。お前がこれまで培ってきたMAの技術、そして何よりも、お前自身の『心の強さ』が試される、最後の関門じゃ」

ランキングボードでは、「ふわふわ♪わたあめ」が、依然として不可解なトレードで中上位をキープし続けていた。チャット欄では「実はドクター・マインドの弟子では?」「あの“のほほん”とした雰囲気こそが、最強の心理攻撃なのでは?」などという、真偽不明の憶測まで飛び交い始めていた。

最後の四天王、ドクター・マインド。その名は、まるで深淵からの呼び声のように、俺の心に不気味な影を落とす。

だが、俺の隣には、師匠がいる。そして、託された仲間たちの想いがある。さらに…いつの間にか、俺の中で大きな支えとなりつつある、孤高の薔薇の存在があった。

夜明けの光が、修行部屋の窓から静かに差し込んでくる。俺は、神崎さんから得た論理、高遠さんから得た大局観、フィボルトさんから得たパターン認識、そして何よりも師匠から受け継いだMA一本の魂を胸に、静かに目を閉じ、精神を集中させた。

次なる戦いは、チャートの向こう側にいる「人間」そのものとの、そして俺自身の心との戦いになる。負けるわけには、いかない。


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