第42話 許せない女 《テレーゼside》

 パトリック様は思っていた男性とは違っていた。つまらなくて、ケチで、うるさい男。だが資産があるのは確かだから、贅沢な暮らしはさせてもらっている。そしてわたくしはこの貧乏男爵令嬢から何もかも奪ったはずなのに……なぜこの女性はこんなにもにこにこしているのだろう。

 地味で出来損ないの女。そう思っていたのに、いつの間にかお茶会でも楽しくやっている。わたくしなんて、この美貌の公爵夫人の地位のせいで、人が寄り付いてこないのに。


 考えれば考えるほど、この女性の存在が癪に触る。そもそも、なぜわたくしが狙っていたパトリック様が、こんな女と縁談を組んだのかも分からない。そう考えるとむしゃくしゃする。

 このわたくしの苛立ちを鎮めるには、この女の不幸な姿を見るのが一番だ。今でこそにこにこしているが、誰もが結婚したがらなかった彼女の夫を見てこの女の不幸さを実感すれば、わたくしだってすっきりするに違いない。


 この女が結婚したという、シャンドリー王国のアンドレ将軍。彼は地位が高いだけで、その悪評はよく聞いている。冷徹将軍とまで言われている彼が彼女を相手にしない姿、いや、むしろ彼に激怒される姿なんかを見れば、わたくしだって気分が晴れるだろう。


「ちょっとあなた、わたくしと来ていただけます? 」


 わたくしは馬鹿にするように彼女に告げる。


「わたくし、あなたの夫をまだ見ておりませんわ。

 あなたはわたくしとパトリック様に多大なる迷惑をかけました。あなたの夫にも、騙されないよう挨拶しておかなければ……」


 すると想像通り、彼女は青ざめた。だが、わたくしは容赦なんてしない。彼女はかつてパトリック様と結婚しようとしていた。身分知らずの貧乏のくせに……身分にそぐわない行いをするとどうなるか、分からせてあげる。


「あ……あの……彼は今、大切な会議です……」


 弱々しく告げる彼女の手をぎゅっと掴み、私は勝ち誇ったように告げた。


「会議なんてどうでもいいじゃないの。

 わたくしの言うことが聞けないのかしら? 」


 シャンドリー王国の将軍ともあろう者が出席する会議、それがどうでもよくないことは知っている。むしろその会議をこの女に邪魔させたら、将軍はこの女に怒るに違いない。

 彼女もそう思っているのだろう。


「でも……」


浮かない彼女の手を引き、わたくしは城内へと入った。そして、会議が行われているという部屋へ向かった。





 暗い城内の大きな会議室。その重厚な扉はぴたりと閉じられており、その前には騎士が立っている。わたくしはその騎士に告げた。


「彼女がシャンドリー王国の将軍に用事があるらしいわ。その扉を開けてくださる? 」


「「えっ!? 」」


 騎士と女は狼狽える。だが、公爵夫人のわたくしは強い。騎士を睨んで告げた。


「わたくしの命令が聞けないというの!? 」


 それで騎士は畏ってしまい、ビクビクしながら扉を開ける。この女も、逃げたそうな顔をして身を引いている。だが、わたくしは女を掴んだ手を離さない。




 扉が開かれると、広い会議室が目の前に広がっていた。コの字型に広がった席の奥には、国王陛下が座っておられる。その近くに宰相や役職者。バリル王国の将軍だっている。バリル王国の将軍は、顔を歪めてわたくしたちを睨んでいる。


 (でもこの罪は、貧乏男爵令嬢に被っていただくわ。

 それにしてもパトリック様はいないわね。どうしたのかしら)


 のんきに部屋の中を見回すわたくしと、私に腕を掴まれて小さくなっているこの女。会議に出席している人々の視線を一斉に浴びた。


 (さあ、公開処刑ですわ)


 にやついた時、


「リア!? 」


男性の声がした。そして、陛下からほど近い場所にいる見慣れない男性が立ち上がる。その顔には戸惑いが見え隠れする。遠目で見ても背が高くすらっとした美形であることは間違いない。いや、むしろかなり好みだ。


 私は男性に告げる。


「大切な会議のところ申し訳ございません。

 彼女がどうしてもシャンドリー王国のアンドレ将軍に会いたいと言って聞かないものですから」


 女はまた狼狽えた顔でわたくしを見る。だが、それを視界に入れないようにして前を向く。


「わたくしは止めたのですが、彼女がわがままを言って……」


「えっ!? 」


 女はわたくしに口答えしようとするが、何も言えずにぐっと黙る。それをいいことに、わたくしはさらにヒートアップした。


「昔からそうですの。こうやって彼女は、わたくしからパトリック様を強引に奪っていったのですわ」


 会議室がしーんと静まり返っている。人々は気の毒そうにわたくしを見ている。陛下でさえ。いや、確かに気の毒そうな顔をしているのだが、その気の毒の方向を完全に見誤っていた。わたくしに対する同情の視線だと勘違いしているわたくしは、さらに声を高めた。


「アンドレ将軍。この女性には気をつけたほうがよろしくてよ。

 こうして大切な仕事を邪魔され、さらには浮気までされ、貴方の立場もボロボロにされますわ」


 どこかいるであろうアンドレ将軍に向かって告げるわたくしを無視して……立ち上がっている美男が女に聞いた。


「……そうなのか、リア? 」


 そしてゆっくり、こちらに近付いてくる。だが困ったことに、この美男はわたくしをちらりとも見もしない。さては泥棒猫が色目を遣っているのだろう。パトリック様やアンドレ将軍だけではなく、この場に居合わせた美男にまで色目を遣うだなんて。


 だが、女は美男を見て、弱々しく答える。


「……はい。……アンドレ様に会いたくなりまして……

 ご迷惑をおかけして、申し訳ありません」


「迷惑ではない。俺も君のことをずっと考えていた」


 美男は女の前に片膝をついて跪き、その手を取る。


 (……っていうか、この美男がアンドレ将軍!!? )



 違う。想像していたのと全然違う。アンドレ将軍はもっと不潔な大男で、泥棒猫を奴隷のように扱う、もしくは黙殺しているはずだった。それなのに、この美男の溺愛モードは何だろう。


 彼は低い声でそっと告げる。甘くて優しくて、胸がときめいてしまうような声だ。


「リア、君のことだ。どうせ自分が犠牲になって、隠しているのだろう。

 酷いことをされていないか? 」


「アンドレ様……」


 (泥棒猫のくせに……ただの貧乏男爵令嬢のくせに、甘ったれるのはよしなさい!)


 わたくしは怒りでギリっと歯を食いしばっていた。その前で、イチャつく泥棒猫。


 (屈辱ですわ。

 こんな地味で貧乏な女が……!! )


「アンドレ様!! 」


 わたくしはアンドレ様の元へ走りより、ぎゅっとその腕を掴んだ。そしてそれを胸に押し当てて、上目遣いで彼を見る。間近で見る彼はさらにかっこよくて、きゅんきゅんが止まらない。


「酷いことをされたのは、わたくしのほうですわ。

 わたくしは彼女に婚約者を奪われて……彼女は何股もかけていまして。

 ……でも、もういいですの。あなたがわたくしを助けてくださったのですから」


 うるっとした瞳で彼を見続け……彼はようやくわたくしに目を落とした。このわたくしを見て、同情するような顔をするかと思ったが……


 (……うっ)


 思わず逃げてしまいそうなほどの敵意を感じる。彼の顔からは、泥棒猫を見た時のような優しさや愛しさは消えていた。怒っているでも笑っているでもなく、ただ『無』。氷のような恐ろしい無表情でわたくしを見下ろしているのだった。その豹変ぶりに驚きを隠せない。そして、恐怖を感じて体が震える。


「ふざけたことを言うな」


 彼は氷のような冷たい声で告げる。その声を聞いて、体が震えた。さらに追い討ちをかけるように、アンドレ様は言い放った。


「我が妻を侮辱することは、私を侮辱したとみなす。

 貴女の言動の結果、我が国は貴国への支援を停止することに決めた」


 (えっ……お待ちください。

 支援を停止するとは……)


 助けを求めるように辺りを見回すと、人々が怒りを込めてわたくしを睨んでいる。陛下やバリル王国の将軍に至っては、殺されてしまいそうなほどの殺気を感じる。


「行こうか、リア」


 アンドレ様は再び甘くて優しい声で女に声をかけ、女はビクビクした様子でわたくしに一礼し、アンドレ様に背中を支えられて出て行った。



 (許せない。これじゃあ、わたくしが悪者ではないですか!?

 それに、あんな貧乏泥棒猫が、美男で地位のあるアンドレ様に愛されているなんて……許されませんわ)



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