第33話 彼との距離が、また近付く
こうして、パトリック様からの求婚の件は、何事もなく解決した。私はこのまま、アンドレ様の隣にいてもいいらしい。
館に戻ると、どっと疲れが湧いてきた。もちろん、精神的な疲れだ。だが、幸せな疲れだった。
アンドレ様は、パトリック様の言葉に耳を貸さなかった。それどころか、私のために怒ってくださった。それがとても嬉しかった。
アンドレ様は黙って彼の部屋に私を招き入れ、ソファーへ座るように促す。だから私はそれに従い、ふかふかのソファーに腰を下ろした。そして、当然のように隣に腰掛けるアンドレ様。
(や、やっぱり近いです……)
やはりこの距離感に慣れない私は、体をこわばらせ顔を紅くしながらも、出来る限り自然に振る舞う。
(腕が触れてしまいそうです)
それだけではない。アンドレ様の香りや息遣いまで感じる。アンドレ様を思うだけで、体が沸騰してしまいそうだ。だが、興奮しているのは私だけのようで、アンドレ様は低い声で振り絞るように言葉を発したのだ。
「こんなことを言うと、頭がおかしいと思われるだろう。だが、リアには話さないといけない」
予想以上に落ち着いたその言葉に、急に正気に戻る私。アンドレ様は思い悩むように足元を見つめながら、静かに続けた。
「実は俺には、前世の記憶というものがある」
部屋はしーんと静まり返っている。その中に、アンドレ様の落ち着いた声が響いた。
「前世、俺には婚約者がいた。俺は彼女を愛していた」
分かっている話なのに、胸が痛む。私だって前世の記憶があり、前世には恋人だっていた。前世の私はもちろん今の私ではなく、『記憶』として残っているだけなのに。それなのに、アンドレ様の口から、愛していたなんて発せられると、胸がぎゅっと締め付けられるのだった。
だが、アンドレ様に迷惑をかけてはいけない。だいいち、アンドレ様は恋愛関係を嫌っているのだと思い直し、平静を装う。
こんな私の気持ちを知らないアンドレ様は、静かに淡々と続けた。
「前世の俺は彼女を愛していたのだが、些細なことで彼女と喧嘩したらしい。そして、彼女は喧嘩の末、自ら命を絶ってしまった」
フレデリク様から聞いていたことと同じだ。だが、アンドレ様の口から語られると、彼がいまだに悩んでいることがよく分かる。アンドレ様はずっとそれを引きずって、この時代を生きておられるのだ。
「俺はどういうわけか、その記憶を持ちながらこの時代に生まれ変わった。同じことを繰り返してはいけないという、神からの戒めだろう」
至って静かに語られるのに、その言葉は悲鳴のようにすら感じる。そして、ひと呼吸おいて、彼はぽつりと告げた。
「そもそも、こんな俺が人を好きになってはいけない」
その瞬間、
「そんなことは、ありません!! 」
思わず声を荒げてしまい、慌てて口を塞いだ。
(否定するなんて、不敬だと思われるに違いありません……)
でも、放っておけないのも事実だった。アンドレ様はそのことが気になり、私にも壁を作っておられたのだ。確かに自分のせいで婚約者が自殺してしまうのは、この上ない辛さだとは思うが……アンドレ様も、もう十分思い悩まれたのではないか。
ここでふと思った。
私は、不慮の事故で死んでしまったが、残された慎司は何を思ったのだろう。私は慎司と喧嘩別れしたことばかりを考えていて、残された慎司のことは深く考えていなかった。もしかして、慎司もアンドレ様のように自分を責めて悩んでいたのだろうか。
だが、アンドレ様にとって自殺した婚約者が過去の話であるのと同様、私にとっての慎司も過去の話だ。
「辛かったかと思います……」
私は遠慮がちにアンドレ様に告げる。
「ですが、私はアンドレ様にお会いできて幸せです」
アンドレ様は驚いたように私を見る。そして、なんてことを言っているのだと思いながらも、出てくる言葉は止まらないのだった。
「少しずつアンドレ様を知ることが出来て、私は嬉しいです。
本当は優しいかただとか、すごくお仕事熱心なかただとか。
私は欲張りな人間で、もっともっとアンドレ様を知りたいと思ってしまうようになりました。……アンドレ様にとって、迷惑だとは分かっているのですが」
そう。アンドレ様は、必要以上に関わるなと言われた。そして私はその言葉に従うつもりだったのに……いつのまにか、こんなにもハマり込んで出られなくなっていた。
アンドレ様はその瞳でじっと私を見る。その綺麗な顔で見つめられると、それだけでドキドキして顔が真っ赤になってしまう。
アンドレ様は、私を見て微かに微笑んだ。最近たまに見せる、この優しげな笑顔が大好きだ。胸をときめかせながら、真っ赤な顔で見上げる私に、アンドレ様は優しく、だが振り絞るように告げた。
「迷惑ではない。
俺は一生恋をせず、一人でこの世を去るつもりでいた。それが前世の行いの、最大の罪滅ぼしだと思っていた。
でも……前世の婚約者には悪いが、少しずつ引けなくなっているのだ」
「……え? 」
ぽかーんとアンドレ様を見つめることしか出来ない私。
(い、言っている意味が分かりません……)
アンドレ様は、私同様に頬を染めて、熱い瞳で私を見ている。その、見たこともないような真剣で余裕のなさそうなアンドレ様に、ドキドキしっぱなしの私。
「君が俺の妻になってくれて、本当に良かった。
前世の婚約者には申し訳ないが、俺は前に進んでみようと思う」
その真剣で、かつ熱い瞳から目が離せない。胸を高鳴らせながら、私はただ掠れた声ではいと頷くことしか出来ない。こんな私の手をそっと握り、アンドレ様は低く落ち着いた声で告げた。
「リア。これから本当の家族になっていこう」
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