第15話 努力が彼を変えた?

 馬車は大通りをゆっくり走り、見慣れた宮廷の敷地内へと入っていく。普段宮廷へ行く際は、家の間の細い近道を通っている。だが、馬車は近道を通ることが出来ないため、ぐるっと大通りを回ってきたのだ。

 宮廷内には多くの馬車が停まっており、煌びやかなドレスを着た女性や、タキシードを着た男性が歩いている。バリル王国にいた頃はこんな人々を羨望の眼差しで見ていたが、まさか自分がその立場になるとは思ってもいなかった。そして、今でも信じられない気持ちでいっぱいだった。



 アンドレ様は黙って先に馬車を降りられる。そして当然、私になんか見向きもせずにすたすた行ってしまうかと思ったが……

 なんと、馬車を降りると振り返り、私に向かって手を差し出しているではないか。


 (ちょっと待ってください。その手を取ってもいいのですか? )


 狼狽える私を少し眉をひそめて見、そして一層私のほうへ手を差し出すアンドレ様。


 (ええい、こうなったら捨て身の覚悟です)


 私はアンドレ様の手を取り、馬車からゆっくりと降りた。

 私がアンドレ様の手を掴んでしまったから、アンドレ様はお怒りになられると思っていた。だが、意外にも罵声や冷たいは飛んでこない。そのまま当然のように、アンドレ様は私をエスコートして歩き始める。そして、すれ違う人は決まって、驚いたように私たちを二度見するのであった。


 (……そういうことですね。

 人前では夫婦を演じなければならないから、アンドレ様は優しくしてくださっているのですね)




 ホールの前で受付を済ませると、


「アンドレ将軍。このたびはご結婚、おめでとうございます」


黒色のスーツを着た男性に、頭を下げられる。だから私も思わず釣られて頭を下げていた。もちろんアンドレ様は表情一つ変えず、直立不動だ。


「準備が整い次第、お二人にはホールに入っていただきます。そのままファーストダンスを踊り、その後はご歓談をお楽しみください」


 アンドレ様が何も言わないものだから、


「承知しました。ありがとうございます」


私が代わりに礼を言う。すると、男性も少しホッとしたような表情になるのだった。

 どうやらアンドレ様が冷酷無慈悲な将軍であるという件は、皆が知っている事実なのだろう。そして人々は、アンドレ様に怯えているのだろう。

 だが、たとえ演技であったとしても、今日、アンドレ様が話しかけてくださったことが嬉しかった。エスコートまでしてくださって……


 (思い上がってはいけないですわ)


 慌てて心の中でそう呟いた。



 

 舞踏会が始まるまでの間、もちろんアンドレ様と雑談をすることはなかった。アンドレ様のことだ、私と話したくもないのだろう。それよりも、練習したとおりダンスが踊れるか、アンドレ様に恥をかかせないかと気がかりな私は、頭の中で必死にダンスを再生してみる。


 (ヒールの音はたてません。

 背筋を伸ばします。

 ステップはこう……)


 気付いたら、少し体が動いていた。はっと前を見ると、アンドレ様がまじまじと私を見ている。心なしか、少し口角が上がっているようだ。


 (しまった。やってしまいました!!

 アンドレ様のあの顔も、少し踊ってしまった私を馬鹿にしているのでしょう)


 とりあえず、これ以上目立つ行動は慎んで、淑女として精一杯振る舞わなければならないと思った。


 こうやって一人で慌てていると、すぐに入場の時間となる。アンドレ様の腕に手をかけ待機するが、心臓は止まりそうに速い。

 バリル王国で、年に一、二度舞踏会に行くことはあった。私はもちろんメインゲストではなかったし、踊る相手もいなかった。だから人々の注目を浴びて踊ったことなんてないし、その立場になるとも思っていなかった。私はただ、普段では食べられないご馳走をひたすら堪能するだけだった。それがこんなことになるなんて……


 私は明らかに緊張していたのだろう。何も言わないアンドレ様が、前を向いたまま静かに呟いた。


「君はただ、この日を楽しんだらいい」


 思わず彼を見上げてしまった。案の定、彼は目すら合わせてくれないが、おかげで随分気持ちが楽になった。


 (前向きな言葉をかけてくださったなんて……)


 思い返せば、今日のアンドレ様はおかしい。私を玄関で出迎えてくださったし、馬車にも共に乗った。エスコートもしてくださったし、緊張を和らげるような言葉も言ってくださった。

 まだ、完全に心を開いてくださった訳ではない。それに、今日だって、いい夫婦を演じるためにしてくださっているだけかもしれない。それでも、少しずつ距離が近付いている気がして嬉しくなった。


「ありがとうございます」


 私はアンドレ様に満面の笑みで笑いかけていた。そんな私を、アンドレ様は少しだけ見てくださった気がした。





 ホールの扉が開き、暗いホール内に一筋の光が差し込んだ。割れんばかりの拍手が湧き起こり、私はアンドレ様の腕に手をかけてホールへと入る。


 (さあ、精一杯頑張ります!)


 何度も練習したその曲がかかると、体が自然に動く。館の皆さんと必死に練習したのだから、きっと出来るはずだ。アンドレ様は私を気にかけてくださったのだから、私だってアンドレ様の顔に泥を塗るわけにはいかない!!



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