第1話

ーーー人が嫌いなわけじゃない。

独りが好きなわけでもない。

ただ、他人と過ごすのが辛いだけ。

そばに居るだけで、心も体も逃げ出してしまいたくなるんだ。ーーー


オレの名前は"うさぎ"。この物語の主人公、"野兎 翔"の左手に嵌められたパペット人形だ。なぜ、翔がパペットを嵌めているのか。それは翔が人見知りの度が過ぎて、人と目を合わせるどころか、人前で口を開けて喋る事すらも出来ないからだ。そのために、オレを使い腹話術で周りの人間とコミュニケーションを取っている。こいつが人前で辛うじて口を開けるのは食事の時だけ。それにしたって、気を許した相手に限られる。

そんな翔が生業としているのは父親から引き継いだなんでも屋。とはいえ、普段からそんなに難しい仕事が舞い込むことは無く、もっぱら行方不明のペット探しや、買い物の代行などの家事のお手伝い。難しい仕事だってせいぜい浮気調査や失せ物探し、人探しなんかだ。まあ、翔はその辺の仕事は小さい頃から父親にみっちり仕込まれているから、いつも悩む素振りを見せることなくあっさりとこなしてしまう。

そして、今回の依頼もあっさり処理してしまうとオレは、そう思っていた。


翔の一日は、障子越しのお日様の光と、美味しそうな味噌汁の香りから始まる。この香りは翔が物心付く前から変わらない。父親がまだ、なんでも屋をやっていた頃からずっと暮らしている古本屋の台所からの香りだ。翔は眠い目を擦りながらも布団から這い出ると、日焼けで色の変わった襖を開け、どうにかこうにか軋む階段を下りる。まずは歯磨きをしながら今日の特売チラシをチェックする。買い物代行の具合を確認するのだ。ついでに、今夜の晩飯のリクエストも考える。歯磨きを終え、顔を洗い終わると、ちょうど良い具合に声が掛かる。

「翔さん、そろそろ出来ましたよ」

翔の下宿先兼なんでも屋事務所の大家で、一階で古本屋を営んでいるばあちゃんだ。この人は翔が心を開いている極わずかな人間の一人である。



それは、いつもの様に夕方の商店街での買い物代行を終えた頃にかかってきた一本の電話から始まった。

「ストーカー、ですか」

電話の向こうからは年若い女性、名前を、"桔梗 結愛"という女子大学生、学年は二回生だそうだ。その桔梗さんの声はストーカーに対する怯えを感じさせるものだった。

なんでも、以前からそれらしい事が何度かあったらしいのだが、とうとう昨日、隠し撮りされた写真が直接彼女の元に送られて来たそうだ。怖くなった彼女は警察にすぐに相談へ向かい、すぐ被害届を出した。しかし、警察には今すぐに対応する事は難しいと言われたそうで、それで探偵に依頼しようと考えたらしい。しかし、探偵と言ってもどこへ頼めばいいのか分からなかったところに、大学の友人が俺の作ったよろず屋のポスターを持ってきたらしい。そして今日、ダメもとで電話を掛けてみたそうだ。

「では、明日、直接お会いしたいのですが。都合の良い時間と場所を教えて頂けますか」

彼女と待ち合わせの場所と時間、そして、お互いの目印を決め電話を切った。それから俺はストーカー対策をするための準備を開始した。


翌日、桔梗さんから指定のあったコーヒーショップで彼女を待つ。待っている間、何か飲もうと適当に注文するためレジに並ぶ。目の前に差し出されたメニューを眺めてみるとカタカナで書き連ねられたよく分からない商品名が書かれている。桔梗さんに指定されたのでこのコーヒーショップを待ち合わせに使うことにしたのだが、正直、コーヒーは嫌いだし、コーヒー以外のメニューもホイップクリームたっぷりで俺にとっては地雷のメニューばかり。どうしたものかと考えながら視線をメニューの上から下へとずらしていく。すると端の方にいくつかのお茶の名前が書かれているのを見つけた。とりあえずアイスティーなら飲めるなと、レジで注文をする。

「大きさはどうなされますか」

店員の一言に、慌ててどんな大きさがあるのかと再びメニューに視線を移す。するとそこには見たことも聞いたこともない様なサイズが書かれていた。またまたどうしたものかと考えていると、いつの間にか俺の後ろには決して短いとは言えない人の列が出来上がっていた。俺は慌てて、どうにか注文しようと、一番大きいやつください、と告げた。店員がレジを打つのを確認し、ほっとして会計を済ませる。レジから受け取りのカウンターに進みしばらくすると、俺の注文した品物を差し出された。目の前には異様に大きなカップが。飲み切れるのだろうか。

カップを片手にふらふらとソファー席へと迎い腰を落ち着ける。机の上には目印にと指定した、いつも左手に嵌めているうさぎのパペット人形を置いておく。マスクの下からストローを咥えアイスティーを飲むと、茶葉の渋みが口に残る。

「あの、野兎さんですか。よろず屋の・・・」

ふと、俺の座るテーブルに影が差す。影の差した方を見上げると長めの髪を緩く結い上げ、薄めのメイク、一重で涼しげな目元、シンプルなデザインの服装の女性がコーヒーを片手に立っていた。一見地味そうではあるが美人だ。

俺はうさぎを左手に嵌め、彼女に向かって動かした。

「桔梗結愛さんですね。お待ちしていました」

俺は視線を外しつつ立ち上がり会釈を、彼女を対面の席へ座る様に促すと彼女と同時に腰を下ろした。

「男性の方が来られると思ってました」

桔梗さんはそう言ってコーヒーを一口飲んだ。

「一応、男ですよ」

と目も合わせずに伝える。そして、これが決して趣味ではなく、ストーカー対策の一環である事も伝える。ストーカーが彼女に対して異常な性愛を持っていた場合、男である俺が彼女に簡単に近付く訳にはいかない。しかし女の姿であればまだ安全だろう。その事を彼女に伝えると彼女は納得してくれる。

「似合いませんよね」

自虐的に笑う俺に彼女はにこりと微笑む。

「とても似合ってますよ、そのロングのウィッグ。身長も高いからモデルの女の子みたいですよ」

彼女の微笑みに俺は力無く微笑んだ。もしかしたら引きつっていたかも知れない。モデルの女の子みたいって、男である俺としてはちょっと悲しい表現だ。

はあ、と一息吐き窓の外を眺め、それから店内をぐるりと見渡す。とりあえず今の所変な奴は見当らない。それでは話しをしようかと彼女の方をそっと見ると、彼女は俺の左手を興味深げに見つめている。この視線は良くある物だ。俺がうさぎのパペット人形を嵌めている事、腹話術をしている事への疑問を含んだ視線だ。簡単に人見知りである事を伝え、気になるのであれば止める事を伝えると、構わないと言ってもらえた。

「では、話しを聞かせて下さい」



結愛の受けたストーカー被害は約三ヶ月ほど前から始まったらしい。初めは時々ゴミが漁られたり、たまに誰かに見られているような視線を感じる程度だった。その時はまだあまり気にしていなかったそうだ。しかし、次第にその行為の頻度も多くなり、とうとう隠し撮りされた写真が送られてきた。そこで警察へ相談に行ったが、被害届は受理されたものの、相手もはっきりしておらずすぐに対応は出来ないそうだ。そこで翔に相談を持ちかけた。電話口で聞いたことをほぼなぞる様に伝えられる話しを聞きながら結愛の方を向いているのは、左手に嵌められたオレ、"うさぎ"だけで、依頼を受けているはずの翔は視線をあちらこちらへきょろきょろと移す。一見すると依頼者には失礼な態度を取っているのだが、実際は話しもきちんと聞いているし、結愛の癖やそれから見て取れる性格、周囲の状況を観察しているのだ。コレが意外といつも依頼の解決に役立っていたりする様だ。



「とりあえずお話は分かりました。では、さっそくあなたのお部屋へ連れていってもらって良いですか」

まずは彼女の部屋の中に隠しカメラや盗聴器の類いの物が無いかの確認、それにストーカー対策の伝授、後は彼女の部屋の周辺の様子を確認しておきたい。隠し撮りの対策や待ち伏せの対策にもなるしな。

彼女の部屋は待ち合わせたコーヒーショップの最寄りの駅から三駅、そこから歩いて五分ほどの場所だった。辺りは静かな住宅街で一軒家の中にぽつぽつとアパートやマンションが建ち並ぶ様な所だ。もしストーカーがこの近辺に住んでいるのであれば少々面倒くさい。なぜなら、家の中から彼女を見張ることくらい、いくらでも出来てしまうのだから。

オートロックのドアをくぐり抜け、エレベーターて三階まで登る。彼女の部屋は三階の角部屋だった。彼女の部屋の前に着くと、変装するために掛けた眼鏡越しに軽く辺りをきょろきょろと見回してみる。隠し撮りされた写真にも何枚か写されていたマンションのドア側から、彼女の部屋を見張る事ができる場所を急いで割り出し、頭の中に叩き込む。これ以上は見られていた場合怪しまれると思い、彼女の友人の様に振る舞い彼女と共に部屋へと入った。部屋に入ってからは、まず、窓越しに彼女の部屋を見張れる場所を探してみる。隠し撮りされた写真にはドア側からと同様に窓越しの物も数枚見られた。俺は隠し撮りの出来る場所の見当をある程度付けると次の行動へと移す。あらかじめ用意してきた物を背負っていたリュックサックから取り出す。スイッチを入れ、ダイニングテーブルの上に置いた。これは妨害電波を発生させる装置で、ネット通販などでも簡単に手に入るものだ。とりあえずの盗聴対策として使っている。そこまでして、改めて彼女の部屋の中を観察してみる。本来、女性の部屋をじろじろと眺めるなんて事は失礼極まりないことだとは理解しているのだけれど、今回はストーカー対策ということで勘弁してもらおう。

単身者用にしてはかなり広い部屋。家賃もいい値段がしそうだ。ドアを開けて左手に寝室が。そして、ドアを開けて右手にトイレ、風呂場と並び、その奥の扉を開けると、対面式のキッチンスペースがある。そして、カウンターに寄せるようにテーブルとそのテーブルの下にきっちりと押し込められた椅子が二脚。八畳ほどのその部屋はリビングダイニングなのだろう、部屋の奥へ行くとカーペットが敷かれ、テレビにソファー、ローテーブルと揃っている。社会人の俺なんかよりよっぽど良い部屋に暮らしている。良いところのお嬢様なのだろうか。

二か所ある窓の片方にはテレビが置いてあり、その反対の壁には大きな本棚が置いてある。入れてある本も俺が普段読むマンガ本よりも大きくて分厚く、表紙もしっかりとしたハードカバーの物ばかり。それが大きな本棚をびっちりと埋めている。

「桔梗さんは、何の分野を専攻しているんですか」

菊版と呼ばれるA5版の本やA4版の本の背表紙を眺めてみる。背表紙には絶妙に読めそうで読めない文字が書かれている。

「西洋美術です」

首を傾げたり目を細めれば読めるのではないかと試行錯誤する俺を彼女は楽しそうに笑って答えを教えてくれた。西洋美術とは、フレスコ画とかそういうあれだよな。思ったことをそのまま問いかけると、そうですね、とにこりと微笑んでくれる。きっと他にも色々深い話があるのだろうが、どうせ聞いてもちんぷんかんぷんだろうから聞くのはやめた。本棚に並ぶ本を何となく一冊手に取ってみると、手にずしりと重みが掛かった。

本を戻し当初の目的を果たすべく再びリュックサックから機械と工具を取り出す。そして、彼女に盗聴器を取り外した場合のメリット、デメリット、外さない場合のメリット、デメリットを説明する。盗聴器を取り外した場合、盗聴されることは無くなるが、それを仕掛けた人間、おそらくストーカーに気付かれた時、何をされるか分からないという事だ。そして、外さなければしばらく盗聴器を仕掛けた犯人を泳がせ、特定する事が出来る、しかし、盗聴は続くということ。それらを説明し、外すかそのまま残すかを尋ねた。もちろん彼女は外す事を希望した。それはそうである。誰だって自身の生活音を聞かれ続けるなんて嫌である。ましてや、それを知ってしまったのであれば尚更の事だ。彼女の了承を得て、俺は盗聴器を取り外すための作業へ移る。出していた妨害電波を止め、先ほど取り出した機械のスイッチを入れる。この機械は盗聴器が発する電波を拾い場所を特定する物だ。これで盗聴器が録音式で無ければ見つけることは容易いだろう。まあ、録音式であれば最初に出した妨害電波も意味が無いのだけれど。妨害電波発生装置もだけれど、盗聴器探知機に盗聴器も全て簡単にネット通販などで手に入ってしまう。なんとも嫌な時代だな。

俺は人差し指を口に当て、静かにするよう彼女に向かってジェスチャーをし、盗聴器探知機を持って部屋中を歩き回る。大体怪しいのはコンセント周りや固定電話機、アパートやマンションであればポスト。他にも短期間のだけであれば家具の隅やぬいぐるみなどに電池式の物を仕掛けられる場合もある。頻繁に盗聴対象の家に訪れる人間が仕掛ける場合録音式を仕掛け定期的に取り替える事もあるし、現代ではスマートフォンのアプリでも盗聴は可能だ。スマートフォンのアプリは桔梗さんに身に覚えのない物は消してもらう事にして、それ以外は今日の内になんとか取り外したい。

うろうろする内にいくつかの盗聴器を見つけることが出来た。盗聴器探知機ですぐに見つけられた物は、セオリー通りにコンセント周りに仕掛けられた物の他に家具の後ろや隙間に隠された物で、これだけで七個も見つけられた。後は電波を飛ばさないタイプの盗聴器を目視で探す。彼女の部屋の中は非常にシンプルで見えない場所に盗聴器を隠すとしても限られた場所になる。しかも、今は電波を飛ばすタイプの盗聴器を一通り探したばかりで、その周囲も確認済みだ。録音式などの盗聴器を隠す場所は更に限定されているはずだ。俺は先程盗聴器を取り外した所も一応確認しつつ、他に隠しやすそうな場所を探していく。結果、ソファーの隙間、食器棚の奥、寝室のベッドの下の三ヶ所に仕掛けられた物を見つけられた。出来れば普段、頻繁に使用している鞄の中も調べておきたいのだが、それは彼女に丁寧に探してもらう方が良いだろう。俺としても女性の鞄は漁りたくはない。

これで一通りは見つける事が出来たはずだ。盗撮用の隠しカメラの類いも無かったし、これでとりあえずは安心だろう。

「盗聴については、これで大丈夫だと思います。後は、ストーカーからの直接的な被害です」

俺はしばらくの間、彼女の送り迎えに彼女の護衛などをすることにした。とは言え、俺の体はたった一つ。二十四時間ずっと彼女に張り付いている訳にはいかない。そこで提案したのが、大学、バイト先などへの送迎に、送迎時以外の彼女の部屋の張り込み、などである。そして、これらの活動中に一刻も早くストーカーを見つけ出し、警察に突き出す事だ。

今日はもう外へは出ないという事なので、俺は桔梗さんと簡単なストーカー対策や今後の事などを細かく打合せしてから帰る事にする。護衛は明日から行う事になる。今日は帰ってじっくり準備をする事にしよう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る