第14話「女王の法廷」





1


洸とミナが夢の最深層から浮上してきたとき、二人を待っていたのは巨大な法廷だった。


古典的なヨーロッパ風の建築様式で建てられた荘厳な法廷。天井は高く、ステンドグラスから神々しい光が差し込んでいる。しかし、その光はなぜか冷たく、威圧的だった。


「何ここ?」ミナが困惑する。


洸も状況を把握しきれずにいた。ミナを救出して現実に戻るはずだったのに、なぜ別の夢の空間に引き込まれたのか。


「被告人、新田洸」


荘厳な声が法廷に響いた。


洸が見上げると、高い裁判官席に一人の女性が座っていた。


30代半ばと思われる美しい女性だが、その美貌は氷のように冷たく、威厳に満ちている。黒いローブを身にまとい、頭には金の冠を載せていた。


「私は夢の世界の女王、藤原麗子」女性が威厳ある声で名乗る。「この法廷で、お前の罪を裁く」


洸は戦慄した。夢の世界に女王が存在するなど、聞いたことがなかった。


「罪って何のことですか?」洸が問う。


「愛する者を危険にさらした罪」女王麗子が冷酷に答える。「Dream Dwellerと契約し、無関係な少女を巻き込んだ罪だ」


洸は言葉を失った。確かにミナを危険にさらしたのは事実だった。


法廷を見回すと、陪審員席には見知らぬ人々が座っていた。老若男女様々な人々だが、全員が洸を冷たい目で見つめている。


「陪審員の皆さん」女王麗子が陪審員に語りかける。「被告人の罪は明らかですか?」


「有罪です」陪審員たちが一斉に答える。


「その通り」女王麗子が満足そうに頷く。「自分の欲望のために他者を危険にさらす行為は、断じて許されない」


洸は抗議しようとした。


「でも、俺は」


「黙れ」女王麗子の一声で、洸の声が出なくなった。


夢の世界では、女王の権力が絶対的だった。洸は言葉を発することができない。


「夢の力を悪用した者に弁護の権利はない」女王麗子が宣言する。「即刻、死刑に処する」


ミナが洸の前に立った。


「待って!」ミナが叫ぶ。「洸くんは私を救ってくれました」


「君は被害者だ」女王麗子がミナを見下ろす。「加害者を庇う必要はない」


「加害者じゃありません」ミナが主張する。「洸くんは私のために命を懸けてくれた」


しかし、女王麗子は聞く耳を持たなかった。





2


「執行人、準備せよ」女王麗子が命令する。


法廷の奥から、黒い仮面をつけた巨大な執行人が現れた。その手には巨大な斧が握られている。


洸は恐怖した。このまま夢の中で殺されれば、現実でも死んでしまうかもしれない。


しかし、その時、洸の心に声が響いた。


それは女王麗子の心の声だった。夢の世界での契約により、洸は他者の深層心理を感じ取ることができるようになっていた。


*私は正しい。私の判決は絶対に正しい*


女王麗子の心の奥に、深い孤独があることを洸は感じ取った。


*現実では誰も私の正義を理解してくれなかった*


洸は集中し、女王麗子の過去の記憶を覗き見た。


藤原麗子は優秀な弁護士だった。正義感が強く、常に弱者のために戦っていた。しかし、ある事件で大企業の不正を告発した結果、逆に名誉毁損で訴えられた。


証拠は隠蔽され、証人は買収され、麗子は裁判に敗北した。法曹界から追放され、社会的にも抹殺された。


*現実の司法は腐敗している。真の正義は夢の中にしかない*


麗子はDream Dwellerと契約し、夢の世界で絶対的な権力を得たのだった。


「あなたも被害者だったんですね」洸が同情を込めて言う。


女王麗子の表情が一瞬揺らいだ。


「何を言っている?」


「現実で不正義に苦しんだから、夢の中で完璧な正義を求めているんでしょう?」


洸の言葉に、法廷がざわめいた。


「黙れ」女王麗子が激怒する。「私の過去など関係ない」


しかし、洸は続けた。


「でも、それは本当の正義じゃない」洸が主張する。「一方的に決めつけて、相手の言い分も聞かない。それは正義とは言えません」


女王麗子の顔が歪んだ。


「私の正義を否定するのか?」


「否定はしません」洸が答える。「でも、完璧な正義なんて存在しないんです」


洸の言葉に、陪審員たちがざわめき始めた。





3


「正義は人によって違う」洸が続ける。「あなたが正しいと思うことも、他の人には間違って見えるかもしれない」


「屁理屈だ」女王麗子が叫ぶ。「絶対的な正義は存在する」


「それなら教えてください」洸が挑む。「なぜ俺が死刑になるんですか?具体的な理由を」


女王麗子が言いよどんだ。


「お前は...愛する者を危険にさらした」


「でも、ミナさんは自分の意志で俺を助けようとしました」洸が反論する。「俺が強制したわけじゃない」


「それでも...」


「それでも何ですか?」洸が畳み掛ける。「あなたの正義では、愛する人のために戦うことも罪になるんですか?」


女王麗子の表情に困惑が浮かんだ。


法廷の雰囲気が変わり始めた。陪審員たちも洸の言葉に聞き入っている。


「俺は確かに間違いを犯した」洸が認める。「でも、それは愛する人を守りたいという気持ちからだった」


「愛?」女王麗子が冷笑する。「愛などという曖昧なもので罪が許されるとでも?」


「許されるとは言いません」洸が答える。「でも、罪を犯した理由は重要じゃないですか?」


洸の言葉に、女王麗子の過去の記憶が蘇った。


彼女も愛する人を守ろうとして戦ったのだ。不正を告発したのは、恋人が会社の不正によって命を失ったからだった。


*私も愛のために戦った*


女王麗子の心が揺らいだ。


しかし、次の瞬間、彼女は頭を振った。


「同情など不要だ」女王麗子が冷酷に宣言する。「私の正義に感情は入らない」


女王麗子が手を上げると、執行人が斧を振り上げた。





4


「待って!」ミナが再び洸の前に立った。


「君は下がっていろ」女王麗子がミナに命令する。


「嫌です」ミナが毅然と答える。「あなたの正義が正しいなら、なぜ私の意見を聞かないんですか?」


女王麗子が動揺した。


「君は被害者だから...」


「被害者だからこそ、発言する権利があります」ミナが主張する。「私は洸くんを告発してません」


法廷がざわめいた。確かに、被害者が加害者を告発していないのに、第三者が勝手に裁判を始めるのはおかしい。


「私は洸くんに感謝してます」ミナが続ける。「彼は私を救ってくれました」


「それは...」女王麗子が言いかける。


「それは何ですか?」ミナが問い詰める。「被害者である私の気持ちを、あなたが勝手に決めるんですか?」


女王麗子の表情に動揺が広がった。


「私は...正義を...」


「あなたの正義は、当事者の気持ちを無視するんですね」ミナが冷静に指摘する。「それって本当に正義なんですか?」


洸は感動した。ミナは女王の矛盾を的確に突いている。


陪審員たちも困惑し始めた。彼らは女王の権力によって「有罪」と言わされていたが、本心では疑問を感じていたのだ。


「私は...」女王麗子が困惑する。


その時、法廷の一角に亀裂が走った。女王の権威が揺らぐと、夢の世界も不安定になるのだった。


「私の正義は間違っていない」女王麗子が必死に主張する。「絶対に間違っていない」


しかし、彼女の声には確信がなくなっていた。


洸は機会を見て、ミナの手を取った。


「今だ。逃げよう」


二人は法廷から駆け出した。





5


「待て!」女王麗子が叫ぶ。


しかし、権威が揺らいだ女王の命令は、以前ほどの力を持たなかった。


洸とミナは法廷の扉に向かって走った。扉は重く、簡単には開かない。


「開かない」ミナが焦る。


後ろから執行人の足音が近づいてくる。


洸は扉に向かって叫んだ。


「この扉を開けるのは、真実を求める心だ」


洸の言葉に反応して、扉が少し開いた。


「真実?」女王麗子の声が響く。「真実など存在しない」


「存在します」洸が振り返る。「完璧な真実じゃなくても、誠実に向き合う心があれば」


扉がさらに開いた。


洸とミナは扉の向こうに飛び込んだ。


法廷が崩れ始めた。女王の絶対的権力が揺らぐと、彼女が作り上げた世界も崩壊し始めるのだった。


「私の正義は...」女王麗子の声が遠ざかっていく。


洸とミナは暗闇の中を落下していく。


しかし、今度は恐怖ではなく、希望を感じていた。




6


気がつくと、洸とミナは見慣れた場所にいた。


大学のキャンパスだった。しかし、夢の世界の大学は現実とは少し違っていた。


「ここは?」ミナが尋ねる。


「夢の中の大学」洸が答える。「でも、女王の支配から逃れることができた」


二人は安堵した。しかし、完全に安全というわけではない。


「女王はまだ諦めないでしょうね」ミナが心配する。


「たぶん」洸が頷く。「でも、彼女の権力は絶対的じゃないことが分かった」


洸は女王麗子のことを考えていた。彼女も Dream Dweller の被害者の一人だった。現実で正義を実現できなかった彼女は、夢の中で歪んだ正義を追求していた。


「あの人も救われるべきなのかもしれない」洸が呟く。


「でも、今は私たちが生き延びることが先決よ」ミナが言う。


確かにその通りだった。女王を説得するのは後回しにして、まずは現実世界に戻る方法を考えなければならない。


「Dream Dweller はどこにいるんだろう」洸が疑問に思う。


「きっと近くにいる」ミナが答える。「私たちを見守ってるはず」


その時、大学の時計台から鐘の音が響いた。


12回の鐘の音。夢の中でも時間は流れているのだった。


「急ごう」洸がミナの手を取る。「現実世界の俺たちの身体が心配だ」


二人は時計台に向かって走った。


しかし、彼らが知らないところで、女王麗子は新たな策略を練り始めていた。


「逃げられると思うな」女王の声が風に乗って響く。「私の正義から逃れることはできない」


夢の世界での追跡劇は、まだ始まったばかりだった。


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