6
レベリウスがアンセム老人のもとで働いていたとき、アンセム老人には先に弟子入りしていた男がいた。
その男はキューベスといった。
キューベスは別の町から来た男で、アンセム老人の言いつけや用事を嫌な顔一つせず、真面目に黙々と仕事をこなしていた。アンセム老人も、キューベスの仕事の確実さを頼りにしていたようで、レベリウスとは扱いが違っていた。
ところが、ある日突然、キューベスはアンセム老人によって鍛冶屋を追い出された。実に突然のことで、レベリウスも全く納得がいかず、
「なぜ、キューベスを追い出したのか」
と、アンセム老人に詰め寄りさえしたのだが、アンセム老人は結局何も答えないまま、息を引き取った。
アンセム老人が亡くなり、葬儀らしい葬儀もできないまま、アンセム老人は町の外れにある墓場に葬られることになった。
「あのアレッドが殺された場所か」
孫六が思い出すと、レベリウスは頷いた。
アンセム老人の遺品を整理していたレベリウスは、ある手紙を見つけた。それは、工房の中にあって、人目につかない場所にあった。
「それがこれなんだ」
と、レベリウスは懐から出してきた。蜜蝋で封をしているものだった。
「ずっと持ち歩いていたのか」
「いつ、キューベスに会っても渡せるようにしたかったんだ」
「殊勝な心掛けよの。それは本人に渡してやりなさい」
「でも、キューベスは。……」
「奴は必ず来る。何せお前を逆恨みしているんだ。それに、我らの動向くらいは把握しておるだろうよ」
「親方。……、そこの親父さんはどうするね」
「突き出すわけにはいくまいな、何せ後ろかついてきただけなのだからな。……、これにこりて、欲をかくでないぞ」
鍛冶屋の親父はなども頭を下げながら、工房を出て行った。
事の真相にだいぶ近づいていた孫六は、キューベスが来るのを待ちかまえていた。
だが、待ち構えていたところで、キューベスが来る気配はない。
「こうなれば根比べしかない」
と、孫六は待ち続けた。当然、ミヒューも。
その間、孫六は三振りほど刀を打ったから、相当に待っている。
「やっぱり、もう来ないんだ」
レベリウスは悲嘆に暮れているが、
「そやつは必ず来る。お前がこの町にいると分かればすっ飛んでくるであろうよ」
孫六はそう自信たっぷりに言った。
キューベスがアーデンの町に入ったのはそれから数日経ってからで、キューベスの顔は、悪魔が取りついたように明らかに険しいものであった。
「どうしました?」
声をかけられたキューベスが振り向く。
「随分と顔色悪いようだな。ひとつ診てさしあげよう」
「あなたは?」
「私はこの町で呪医をしている、トルキアという者です。ここではなんですから、診療所の方へどうぞ」
トルキアの診療所は、珍しく患者がいなかった。
「今日は珍しく暇でね。まあ、呪医が忙しいというのはあまり褒められたものじゃないが」
キューベスの診察を始めたトルキアは、問診をしながらキューベスの体を触診する。
「体の調子自体は悪くないようだが」
トルキアはさらに問診を続けた。
「精神の状態があまりよろしくないのかな?例えば。……」
トルキアは一呼吸置く。キューベスが目を見開く。
「心配事があるとか」
「あ、いや。心配事はべつに」
「となると。……」
「それよりも、この町にレベリウスという人はいますか?」
「レベリウスになにか?」
「私は、昔の友人でして、久しぶりに会いたいと思っています」
「今頃だと、レベリウスは工房にいるはずだ。その」
とトルキアはある方向を指さして、
「通りをまっすぐ行ったところが、職人街だ。そこへ行けば、工房はすぐに分かるだろう」
ありがとうございました、とキューベスは軽く頭を下げ、銀貨一枚を渡すと、そそくさと診療所を出た。
職人街に着くと、製材所や資材を売っている店、あるいは貴金属を扱っている店などが並んでいる。その中で一番奥にあるのが、レベリウスの工房である。
キューベスが工房をのぞくと、レベリウスと見慣れない老人が仕事をしている。そしてそれを傍らで見ている流浪の民の女がいる。
「あの女。……」
キューベスが睨みながら中を見ていると、
―― どうかしたか?
と、だしぬけに声をかけられたので、驚いて振り返ると、先ほどまでいたはずの老人がいた。
「お前さんが、キューベスというのかね」
「あ、ああ」
「儂は、この町で鍛冶屋をやっている孫六というものだ。……、お前さんの目的は分かっている。レベリウスであろう」
キューベスが逃げようとするのへ、孫六は足をかけて倒した。
キューベスが気が付いたのは、工房の中だった。
「お前さん、レベリウスに恨みがあったようだな。レベリウスからあらましを聞いている。その上で、レベリウスから渡したいものがあるらしい」
レベリウスがアンセム老の遺書ともいうべき手紙をキューべスに差し出した。
「読んでくれ。そこに、アンセムの爺さんがなんで、あんたを追い出したのかが書かれてある」
「中身を読んだのか?」
いや、とレベリウスは頭を振った。
キューベスは手紙の蜜蝋を外した。
アンセム老の手紙の内容はこうだ。
キューベスの仕事への姿勢は、確かに揺るがないもので、鍛冶師としての腕も着実にあげている。
だが、キューベスには決定的に欠けているものがあった。それは、「客に対する姿勢」というものだ。客が何を求め、どういうものをつくるのか。つまり、客が求めているものを、キューベスは蔑ろにしている。
それは、自分の腕を過信することであり、鍛冶師として身を立てていくにあたって、絶対に乗り越えなければならない壁だ。
だが、キューベスはある日、とある客と面倒を起こした。それは、客が求めていたものを勝手に変えてしまったことだった。その客は怒ってしまって、二度とこちらに来ることはなかった。
キューベスは己の腕を過信しすぎている。鍛冶師は客がいて成り立つ商売だ、それをはき違えてしまったら、それは鍛冶師として廃業を余儀なくすることになるだろう。
もし、この手紙をキューベスが読んでいるのなら、私がお前を追い出したのは、その目で、世界を見てきてほしい。その上で、鍛冶師をやるなら、それでいい。
キューベスは全身をふるわせながら、手紙を握りしめている。
「思い出したことがある。アンセムの爺さんは、とにかく客のことを考えろ、とよく言っていた」
レベリウスの言葉で、キューベスの目に涙が浮かんだ。
「一つ、教えてもらえまいか」
「……、はい」
「お前さんが、そこにいるミヒューさんの兄を殺したのか。もしそうだとしたら、なぜだ」
「……、酒場で言い合いになったんだ」
「言い合い?」
キューベスは、たまたま横の席になったミヒューの兄と酒を組みかわしているうちに意気投合した。ところが、ミヒューの兄が、
―― 人の恨みほどつまらない物はない。人の恨みは、大抵は己の不見識からくるものだ。
と言われたことに腹を立てた。そして見かけたあの日、後ろから襲った、と告白した。
「そんなことで、兄を殺したのですか」
「すまない。……、すまない。あとは、アレッドにその場をうまく丸めてもらった」
ミヒューが崩れ落ちる。そして孫六は、
「そして都合が悪くなった時、アレッドを殺したのか」
と問い詰めた。キューベスは町を出たあと、転々としていく中で身につけた投げナイフの腕を使ってアレッドを殺した、といった。
ミヒューが叫びながら剣を抜くが、それを孫六に止められる。
「このような奴のために、そのような上等なものを汚すでない。あんたは、手を出してはいかん」
ミヒューは崩れるような声で泣き続けていた。
キューベスはレコリンドの町に護送されることになった。後は町の態度ということになる。
「お世話になりました」
ミヒューは、孫六とレベリウスに礼を言うと、アーデンの町を出て行った。
「つまらんことで、人は己を粗末にしてしまう。何ともいえんな」
孫六は工房に戻っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます