ポケベルと深夜の学校
――昼休み、廊下の一番奥。
公衆電話の前には、どこからともなく集まった生徒たちが、長い列を作っていた。
列の先頭、ブレザーの下にパーカーを重ね着した男子が、
「まだ終わんないの?次、俺なんだけど!」
「早くしてくれよ、パン売り切れちゃうって!」
とイラついた声を上げる。
腰パンのズボンにチェーンのついた長財布をケツポケに入れて、
受話器を片手に、もう片方の手で信じられない速さで数字ボタンを叩く。
「……4649、4649……あ、やべ、間違えた。0906になった……絶対怒られる」
電話の横には「一人三分まで」の貼り紙。でも、誰も気にしていない。
女子たちも負けてない。
日サロで焼いた肌に金メッシュのロング髪、スカートは膝上ギリギリ、
ラルフローレンのカーディガンは紺かベージュ。プリクラ帳を広げながら、
「昨日、うち“0833”だけ来たんだけど、なんかムカつく」
「それ“おやすみ”でしょ。私なんか“114106”来たよ」
「えっ、それって“愛してる”じゃん。もう十三日目?」
「まだ十日」
会話の端々にも、ポケベルの数字が飛び交う。
みんな、家に電話するわけじゃない。
彼氏、彼女、友達……誰かのポケベルに、今日も数字暗号を送り合っている。
「パン買うか、メッセージ送るか、どっちかしか選べないなんて、
うちの学校、本当にどうかしてる」
カオリンは、小銭を握りしめて最後尾へ。
財布の残高を気にしながら、ポケベルを親指で撫でる。
「ねぇ、今日誰に“
「いつもの人。昨日返事なかったから、また送っとく」
「返事こないと、番号消されるって噂あるよ」
「…てか、あんたまだ数字ベル?遅れてる~」
「うっさいな、まだ新しいの買ってもらえないんだって」
「私、もう文字ベルだよ。普通に“おはよ”とか打てるし」
教室の窓からは購買部のパン争奪戦が見える。
トイレでは男子がタバコを吸い、
壁には意味のない落書きと「禁煙」の張り紙。
体育館からは謎の叫び声。
屋上は鍵が閉まっているはずなのに、なぜかみんな抜け道を知っている。
どこか雑然として、何もかもが曖昧で、
だけど“生きてる”感じだけはちゃんと漂っている、1995年。
カオリンは、ため息をつきながら数字を押す。
“724106”――何してる?
返事は、まだ来ない。
でも、それが普通。
「ねぇ、早く代わってよ、カオリン。私、“
「はいはい、急いでるんだから」
昼休みも後半。
カオリンは教室の窓際、自分の席にだらしなく座り、
壁にもたれて売れ残りのピーナッツバターサンドをぽそぽそ齧る。
隣の席じゃ、クラスメイトのミサキが――
これ見よがしに、あんバターサンドを豪快に割って食べていた。
カオリンはその手元をじっと見つめる。
「……どしたの、カオリン?そんな顔して」
「……それ、あんバターでしょ。うちのピーナツと交換してくんない?」
ミサキは悪そうな笑みを浮かべて、サンドをちらつかせる。
「え~、どうしよっかな。じゃあさ、200円でどう?」
「倍以上するじゃん!てか、原価いくらだよ!」
「世の中そんなもん。お金ないなら、ブルセラでもやったら?」
「やだよ……でもマジで金ないわ。文字打てるベル欲しいのに」
カオリンは頭を抱えて、小声でぼやく。
「てかさ、誰か心霊現象とかで困ってるやつ、知らない?」
するとミサキがピクリと反応し、周りの女子も机を寄せてくる。
「なになに?また面白い話してんの?」
「この学校もさ、怪談いくつかあるじゃん」
カオリンはため息をついて、あんバターを恨めしそうに見つめたまま答える。
「金になるか分かんないけど、放課後、見に行ってみる?」
「金ないならバイトすれば?」
別の友人が鞄から『FromA』のバイト雑誌を取り出し、机の上にパサッと放り投げる。
「うち、楽して稼ぎたいの」
カオリンは机に突っ伏す。
「じゃあ、ブルセラかエンコーだね」
「やめなよ、それより怪談の方がまだマシじゃん」
教室はくだらない悪ノリとパンの甘い匂いで溢れている。
カオリンはもう一度ピーナッツバターサンドを見て、深いため息をついた。
* * *
夕方――校舎の窓ガラスがオレンジ色に染まり、昇降口の床も長く影を落としている。
部活帰りのか細い声と、どこかの教室で響くピアノの音だけが廊下にこだまして、
人の気配は一気に薄くなっていく時間。
カオリンとミサキ、それに数人の女子が、校舎のあちこちを回っていた。
「ねえ、もう帰ろうよ。夕方の学校って妙に静かで、逆に落ち着かないんだけど」
ミサキが窓の外を気にしながらつぶやく。
「大丈夫。どうせ全部、ただの噂でしょ」
音楽室、理科準備室、体育倉庫――どこも“怪談の舞台”と言われている場所ばかり。
けれど、カオリンの目には、ただ掃除の終わったガランとした空間が広がるばかり。
「この鏡、前の卒業生が割ったんだって。夜中に映ると――」
「はい、何も出ません」
「ここのトイレ、夜入ると『お母さん』って声が返ってくるんだよ」
「昼間は静かだね」
「理科準備室、誰も入れないのに、勝手に器具が動いてるってさ」
「どこもピカピカ。先生の仕業だよ」
ため息混じりに「つまんないな」と呟きつつ、
昇降口へ向かうカオリン。
「今日は幽霊ゼロか。楽勝じゃん」
その時――
「カオリン、ちょっと!」
ミサキが、誰かを伴って駆け寄ってくる。
制服のリボンを不安げに弄る、後輩の女子。
「この子、ちょっと困ってるみたい」
カオリンが顔を上げる。
「……付き合って、明日で十三日目なんです」
後輩は声を震わせて言う。
「……鳴らないポケベルの噂、知ってますか?」
「うん、聞いたことある。
十三日目の夜中に、相手から音も鳴らずにメッセージが届くってやつでしょ?」
「それが、明日なんです……」
「ポケベル、見せて」
後輩が鞄の奥を探る指先も、どこかぎこちない。
カオリンの視線がじっと鞄の口を追う中、
後輩が、ポケベルをそっと取り出す。
──その瞬間、
カオリンは一瞬、目を疑った。
後輩の手の中、ポケベルの本体に絡みつくように、
女の手首が“生々しく”巻き付いている。
くすんだ爪、はがれかけたパールピンクのネイル、
手首の端はざっくりと切り落とされ、皮膚の断面がまだ赤く湿っている。
細くて華奢な指先が、ポケベルのボタンに食い込むように押し当てられて、
どす黒い血がわずかに滲んでいる。
手首の内側には、薄く赤い痣のようなものが帯状に残っていた。
ボタンのすき間に、長い髪が一本、ぴたりと貼りついている。
一瞬だけ、カオリンの鼻腔に、
古い鉄サビと湿った埃の混ざったような、
生臭い匂いがよぎる――
「……マジでヤバいやつ、来ちゃったかも」
教室の夕陽がポケベルを照らして、
女の切断面がじわ、と影を落とした。
「……本物かもね。面白いじゃん」
ミサキや他の女子が固唾を呑んで見守る中、
カオリンは淡々と提案する。
「じゃあ、成功報酬五千円。どう?」
後輩は慌てて頷き、
カオリンはニヤリと笑う。
「じゃあ決まり。」
「……あ、ありがとうございます……」
「迎えに行くから、夜の十時くらいにスリーエフ来て」
「……スリーエフ、学校近くのコンビニですよね」
「じゃ、ウーロン捕まえてくる」
そう言い残して、夕焼け色に染まる廊下を
カオリンは早足で歩き出した。
* * *
夕暮れの商店街、松本酒店。
ガラガラと戸を開けると、酒屋の店主――皺だらけの爺さんが、
競馬新聞に赤鉛筆を突き立てながら「やっぱり河内か……うーん」と唸ってる。
「こんにちは」
「ああ、神社んとこの娘さんか。ウスラ馬鹿でも迎えに来たのかい?」
店長がくしゃくしゃに笑う。
「やめてや、店長……」
ビールケースを担いでウーロンが奥から出てくる。
「いた!ウーロン、今晩ちょっと付き合ってよ」
「はぁ?なんでわしがお前みたいなチンチクリンと夜のデートせなあかんねん」
「そういうのじゃないって。ねぇ、頼むよ、ラーメン奢るから!」
「お前なぁ、わし、いつもお前んとこで飯食わしてもろてるからって、
何でも言うこと聞く思うなよ?」
「じゃあ、たまには恩返ししてよ。毎回ごちそうしてるでしょ」
「……ど厚かましいわ……鬱陶しい……」
カオリンが袖をぐいぐい引っ張るのをぶんっと振り払って、
「ほな、店長、わし先あがりますわ」
と店主に頭を下げ、外へ出るウーロン。
「あ、ちょっと待ってよウーロン!」
カオリンが慌てて後を追う。
神社の参道、夕焼け色の石段をカオリンとウーロンが並んで登る。
石の隙間から伸びる雑草に西陽がきらきらして、
カオリンはローファーのつま先で小石を蹴っ飛ばす。
「ねえウーロン、本当にお願いだってば。今回だけ手伝ってよ」
「……ほんま、なんでわしがお前の頼み聞かなあかんねん」
ウーロンはあからさまに面倒くさそうな顔をするが、歩調は崩さない。
「だって、どうせ今日も夕飯うちで食べてくでしょ?」
「お前んとこじゃなくて、わしはお前の姉ちゃん目当てや。カオリンはついでや」
「……でもさ、お姉ちゃんと仲良くしてるのはいいけど、たまにはカオリンにも優しくしてよ」
「贅沢言うなや。離れの部屋、好き放題散らかして、食いもんは人の分まで取るし」
「それは、あれだよ。女子高生はお腹空くんだってば」
「知らんがな。第一、わしは夜遊びとか趣味ちゃうねん」
カオリンは歩みを止め、石段に座り込む。
「ねぇ、ほんと困ってるの。お願いだよ」
ウーロンはしばらく無言で立ち止まり、
「……ほんま、鬱陶しいやっちゃな」
とだけ呟くと、すたすたと先に歩き出す。
カオリンは慌てて立ち上がり、
「ちょっと、無視しないでよ!」
と追いかける。
そんなふうにやり取りしながら神社の奥、カオリンの家に到着。
家に戻ると、もう夕飯の支度は終わっていた。
台所ではカオリンの母が「カオリ、おかえり。手洗ってね」と笑顔で振り返る。
居間の座卓では、神主の叔父が新聞を広げながら「遅かったな」とぼそっと言い、
その隣で叔父の妻が「二人とも、すぐ座りなさい。冷めるわよ」と煮物の皿を並べている。
テーブルの端では、ウーロンの恋人である従兄弟の姉ちゃんが、静かに食器を揃えている。
ウーロンが「お邪魔しまーす」と入ると、
姉ちゃんがちらっと見て「今日も来るんだ」とだけ言う。
「ええやん別に、顔見な一日終わらんのやから」
「はいはい、あとで手伝ってもらうからね」
カオリンは離れに荷物を放り込み、「ただいま」とだけ言って自分の席につく。
そのまま、自然に夕飯が始まる。
カオリンは唐揚げを頬張りながら、姉ちゃんの方へ身を乗り出す。
「ちょっとお姉ちゃん聞いてよ、ウーロンが冷たいんだよ。
今日用事があって、深夜に学校行かなきゃいけないんだけど、
一人で行けって言うんだよ。
夜に女子高生一人でだよ?ありえなくない?」
不満全開でぶつけるカオリンの言葉に、
ウーロンは顔をしかめて、
「お、お前、そうやってチクるのは汚いぞ」と動揺しながら睨む。
姉ちゃんはしばらくカオリンをじっと見て、ふっと頷くと、
ウーロンに視線を向けて「ついていきな」ときっぱり一言。
ウーロンは固まったまま、「……あ、はい」と小さな声で答えるしかない。
カオリンはニヤニヤと満足げな顔。
姉ちゃんはさらにカオリンに向き直り、
「カオリンも、あんまり自分から危ないことに首を突っ込むのは感心しないよ」
と優しくたしなめる。
カオリンは唐揚げをもごもご噛みながら、
「いやあ、その、うん」とバツの悪い顔になる。
「おい、あんまり危ないことはするなよ」
と叔父が新聞を置きながら釘を刺し、
「大丈夫なのか?」と姉ちゃんに視線を送る。
「ウーロンがいれば大丈夫でしょ」と姉ちゃんは軽く流す。
一同が一瞬だけ静かになり、それでその話は自然と終わった
* * *
夜のコンビニ「スリーエフ」前。
蛍光灯の下、コンビニのガラスにカオリンとウーロンの影が映る。
カオリンが「来てる?」と周りを見渡すと、
店の端っこ、街灯の下で後輩女子と、その彼氏――大学生が並んで立っていた。
「こんばんは」
後輩女子が小声で挨拶し、
カオリンは「大丈夫、緊張しなくていいから」と声をかけて、
二人で何やらヒソヒソ打ち合わせを始める。
ウーロンは駐車場の端でうんこ座り。
その横を気にしながら、大学生がソワソワと「ぼ、僕、なんか飲み物買ってきます」
と気を遣って立ち上がる。
カオリンが振り返り、「あたしオレンジね、ハイシーのやつ!」
大学生が頷くと、カオリンはさらに、
「ウーロンは烏龍茶でいいよね?」と当然のように続ける。
「烏龍茶好きちゃう言うてるやろ……」
ウーロンがむすっと吐き捨てる。
大学生がちょっと焦って「じゃ、何飲みますか?」とウーロンに確認。
「ほな、アンバサで」ウーロンが丁寧に言うと、
カオリンは「その顔でアンバサとか……」と吹き出して茶化す。
そうこうしているうちに、0時の時報が近づく。
カオリンが「じゃ、始めようか」と言い、
コンビニ外の灰皿の上に後輩女子と大学生のポケベルを並べて置く。
カオリンの目にだけは、
両方のポケベルに、また“あの”女の白い手が絡みつくように見えた。
静かな夜、しばしの沈黙――
次の瞬間、音もなくポケベルの画面がぱっと光る。
「おおぉ……」と一同息を呑む。
画面には“1052167”
ウーロンが眉をひそめて「これ、どない意味や?」
カオリンが「“どこにいるの?”だよ」と即答。
また二分後、画面が再び光る。
“4949[ 1-3”
「なんやこれ、さっぱりや……」とウーロンが匙を投げる。
カオリンが「あー、これ“至急至急学校1-3”じゃない?学校の教室、1年3組かな」
後輩が「そうです、1-3は私のクラスです」と顔を上げた。
さらに“
けれど音もバイブも一切鳴らない――画面だけが不気味に光る。
カオリンはポケベルをしばらく睨みつけ、
微妙に指先を震わせながら、それをウーロンの前に差し出す。
「ウーロン、これ持って。あたし無理」
「は?なんでわしが――」
「いいから、早く!」
ウーロンが不審そうに受け取ると、
カオリンはさっと手を引っ込めて、ウーロンの袖をぐいっとつかむ。
「行くよ、ウーロン!」
「……なんやねん、わけわからん……」
そうぼやきつつも、ウーロンは仕方なくポケベルを持ったまま、
カオリンに引っ張られて深夜の学校へと向かう。
深夜の学校。
門を軽々と乗り越え、グラウンドに降り立つ。
草の匂いと泥の湿った臭いが夜風に混ざる。
カオリンとウーロンは、靴音を消して校舎の影をすり抜ける。
校舎のドアは固く閉ざされている。
「しゃーないな」とウーロンが呟き、二人でグラウンドを抜けて校舎脇を回り込み、
目指す1-3の教室の窓までそろそろと歩く。
カオリンが窓を覗き込んだ瞬間、
肺が絞られるほどの悪臭と湿った土の匂いが、
鼻から脳天まで突き抜ける。
教室の中は――
びっしり、ぎっちぎち。
壁際まで霊、霊、霊。
どれも見たことのない、古びた学生服やセーラー服。
顔が半分溶けてる女、頭に穴が空いた男、
青白くむくんだ顔もいれば、内臓が腹から垂れてるのもいる。
まだ人間の形を留めてるやつもいるが、全員、眼球だけがどす黒く塗りつぶされている。
吐きそうな生臭さ、耳元で掻きむしるような呻き声、
血と泥と腐った玉ねぎの混じった匂い――
全部がカオリンの頭の中に流れ込んでくる。
カオリンは顔を真っ青にして、窓から後ずさる。
「おう、カオリン、大丈夫か?」
ウーロンが怪訝な顔で覗き込む。
その瞬間――
教室の霊たちが、一斉にカオリンたちの方へ窓ガラスをすり抜けて襲いかかる。
「ひぃぃぃっ! ウーロン、ファイティングポーズ!」
「またかいな……ワシのファイティングポーズ、そんな安うないで」
ウーロンは面倒くさそうに肩を回しつつ、渋々構える。
カオリンは慌てて校舎の壁沿いに逃げるが、
霊の大群がウーロンをどろりと飲み込んでいく。
「うわああウーロン!!」
カオリンが叫ぶ。
次の瞬間――
霊の群れの真ん中から、
ウーロンがのんきな顔でぬっと顔を出す。
「おう、なんや?」
その頭突きの動きで、真横にいた霊が、
頭蓋骨ごとパックリ割れ、中から黒い脳みそと腐った肉片をぶち撒けて
ビチャッと地面に崩れ落ちる。
「ウーロンの周り、霊が大量にいるよぅ!!」
カオリンは泣き出しそうな声で尻もちをつく。
「え、どこやねん……?」
ウーロンが空中をがしっと掴む真似をするたび、
霊がまるでゴリラにラリアットされたみたいに吹っ飛び、
誰かの肋骨が、誰かの胃袋が、内臓ごと校庭に飛び散っていく。
黒い目玉の霊たちは次々に殴り飛ばされ、
脳みそと腸をグランドに撒き散らし、
あたりは地獄のスプラッター映画そのもの。
カオリンの目には、安っぽいB級ホラーのような、
血と臓物のカーニバル――
しかしウーロン本人は、ただ蚊を払うみたいに
「どこや?見えへんぞ」と手を振るばかりだった。
闇に沈んだ校舎裏――
カオリンの絶叫が夜風を裂く。
「ウーロン!右にパンチ!」
ウーロンはため息をつきながら、指示通り拳を振り抜く。だが空を切る。
「違う、ウーロン、そっち左!」
「お前、右て言うたやんけ……」
「私から見て右!ほら、そっち!」
「そんなん分かるか!」
ウーロンは面倒そうに眉をしかめ、だが構えたまま、
「よく分からんから適当に暴れとったらええんやろ?」と呟く。
そこから――
ファイティングポーズ、リズムを刻む足。
無造作に振るわれる拳に当たった霊たちは、
顔ごと削り取られ、歯と舌が宙を舞い、
喉からちぎれた声帯と腐った血が地面にぶち撒けられる。
片腕のない霊、内臓が尻から垂れ下がったままの霊、
上半身だけのものも、ウーロンの拳でぶち抜かれ、
白い肋骨がむき出しになり、腐肉がぶつぶつとちぎれてグラウンドを転がる。
目の周りだけ異様に黒い霊たちが、
千切られ、踏み潰され、頭から脳漿を噴き出しながら地面に落ちていく。
どいつもこいつも、歯をむきだしにして叫ぶが、
その叫びは腐った気泡と血の塊しか生まない。
3分も経たないうちに校庭は血と肉の海。
霊たちの肢体がグランドにこびりつき、
腸がちぎれて鉄錆びの臭いが立ち込める。
そのままウーロンはしゃがみこみ、腕をぐるぐる回して休憩に入る。
「ウーロン、なに休んでるの!まだいるってば、見えないの!?」
「アホか、ボクシングは1R3分や。今は1分休憩中や」
腕をぐるぐる回しながら、余裕の鼻歌。
そんなこんなで4ラウンド分、全力で暴れ続けると、
地面に転がる肉片たちが、ベチャベチャと音を立てて這い寄り、どろりと合体し始める。
血肉と臓物が絡み合い、3メートルを超える“巨大な人型肉塊”に変わる。
生焼けの筋肉がうねり、
折れた腕や千切れた足が何本も合体し、
その全身から膿と血が流れ続ける。
「ウーロンやばいよ!なんか合体してヤバい感じのヤバいやつになってるよ!」
カオリンが涙目で叫ぶ。
「何がどうヤバいねん……どこや?」
「ウーロンから2メーター先くらい!3メーターはある化け物!」
「ほな、そこやな……」
ウーロンは構え直し、
肉塊の懐にステップを踏み込んで潜り、
迷いなくアッパーカットを叩き込む。
――ドギャッ!!
幸か不幸か、そのアッパーは直撃で化け物の股間を突き抜け、
下半身が爆裂。
黄色い脂肪と腸と、腐った精巣の残骸が、
どろどろとウーロンに降りかかる。
千切れた足の骨が校庭に突き刺さり、
空中に赤黒い血が霧のように撒き散らされる。
肉片まみれのウーロンが、アッパーのポーズをキメたまま振り向く。
「どや?」
と、今日いちばんの満面の笑み。
脳みそと内臓まみれのその顔に、カオリンは胃液をこみ上げながら、
そっと親指を立てて、「グッド……」とだけ返した。
グラウンドの夜風だけが残り、
ウーロンにボコられた霊たちは肉片も影もなく、消え去っていた。
「もう終いか?」
カオリンは青い顔のまま、あたりを見回して小さく頷いた。
「うん……もう他に気配はないかな」
「ポケベル見せて」
カオリンが手を伸ばすと、
ウーロンはズボンのポケットから依頼者と大学生の2台のポケベルを取り出し、
カオリンの前に突き出す。
女の白い手首はもうどこにも絡みついていない。
それを確認してカオリンは、心底ほっとしたように息を吐く。
「終わったっぽいね……」
「ほな、行こか」
二人は黙って校門に向かう。
校庭を歩きながら、ウーロンがふと尋ねる。
「お前ほんまに霊とか見えとるんか?」
「見たくないけどね……」
カオリンはぐったりした声で答え、顔をしかめる。
「どうやった?わしのパンチ、今日も綺麗に決まってたやろ?」
ウーロンは鼻高々。
「脳みそ破裂してぶっ飛んでたよ。あんたの周り、臓物で地面埋まってたし」
カオリンは顔をしかめて呆れたように返す。
「ほうかほうか……」
ウーロンはにやにやしながら、妙に満足げに歩く。
――コンビニに戻ると、
さっきまでいた依頼者の後輩女子と、その大学生の彼氏は跡形もなく消えていた。
カオリンは周りをきょろきょろ見回し、
外のゴミ箱を掃除しているスリーエフの店員に詰め寄る。
「ねぇ、ここに居たカップル知らない?どこ行った?」
店員は面倒くさそうに、
「さっき、二人が帰ってこないからホテル行こうって消えましたよ」と答える。
カオリンの額に青筋が浮かぶ。
「あのアマァァァ!依頼料五千円払ってから消えろよ!」
その時、不意に肩にがっしり腕が回される。
「ほお、依頼料なあ……詳しく聞こか?」
ウーロンが煙草をくわえたまま、
にやりと笑ってカオリンの耳元でささやく。
カオリンは一瞬ぎょっとして肩をすくめる。
そのまま二人、並んでスリーエフの自動ドアをくぐる。
明るい店内に、ウーロンの煙草の匂いと、
カオリンのため息がふわりと溶けて消えていく。
平成の夜は、何もなかった顔で、
遠くの交差点を静かに照らしていた。
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