第3話旅立ち

よくしゃべるたんぽぽが、綿毛になった。ふわっと空気を含んで、今にも上昇気流に乗って飛びたちそうになっている。


「さぁ、あなたたち、子孫繁栄して、たくさんの花畑をつくるのよ」


 たんぽぽのお母さんが、子供たちにそう呼びかけても、なかなか綿毛たちは飛び立てずにいた。もう、子猫も届かないくらい高い高いところに巣を張った蜘蛛の子は、自分が親離れした日を懐かしく思い出していた。そして、おしゃべりなたんぽぽの子とお別れになると察して、少ししんみりした。しんみりしても、虫たちをしゃぶるスピードが、少し減っただけだけども。


「ねぇ、蜘蛛の子さん!」


 急に話しかけられて、蜘蛛の子は咳き込んだ。羽虫の足の小さな産毛が気管に入ったようだ。しばらくむせて、苦しんだのち、蜘蛛の子はさきほどのしんみりとした気持ちはどこへやら、忌々しそうに綿毛を見た。


「なんだい、綿毛さん」


「蜘蛛の子さんも、一緒に旅に出ようよ!」


 思いもよらないお誘いに、蜘蛛の子は目を白黒させた。


「私の綿毛に蜘蛛の子さんが掴まっていれば、きっと一緒に飛べるよ!」


 綿毛は、さも名案のように言ってのけた。


「いや、わたしは、ここで暮らすことに不満はないから……」


 「風に乗って、旅する機会なんて、そうそうあるもんじゃぁないと思うの。それに、蜘蛛の子さんが一緒だったら、何があっても大丈夫な気がするんだ!」


 蜘蛛の子の種類によっては、凧のように糸をのばして、静電気の力で、何百キロも旅をする者もいる。だから、綿毛の提案は見当違いな者でも、突飛なことでもなかった。でも。ここには、ようやく顔見知りになれたたんぽぽさん、しじみ蝶さん、子猫がいる。十分にご飯を食べることもできる。なんの不自由もない。旅に出る必要性を感じなかった。


「風に乗って、一人旅。いいじゃぁないの。新しい刺激があるわよ」


「蜘蛛の子さんは、それでいいの?刺激のない、子猫もいるガーデンで小虫ばかり食べているような生活で本当にいいの?」


綿毛の言葉は、蜘蛛の子の胸を深く貫いた。そう。最近、小虫ばかりで、グルメな蜘蛛の子は飽き飽きしていた。もっと、もっと美味しい虫があるはずだ。密かにコレクションしている、きれいな虫のまだ見たこともないような羽もあるはずだ。見たことのない景色を、このおしゃべりな綿毛と共に見に行くっていうのも、なかなか面白いかもしれない。


「本気で、本気で綿毛は私のことを誘っているの?」


「うん。本気の本気の大真面目に誘ってる!」


 糸を垂らして、蜘蛛の子は、おしゃべりな綿毛のもとに降りて行った。たんぽぽの茎が、わずかに揺れる。


「わかった。じゃぁ、行こう」


「風が強くなってきた!もう飛んじゃいそう!お母さん!元気でね!」


 綿毛の子は焦って早口になって叫んだ。蜘蛛の子は、綿毛の種の上にしっかり捕まり、自分も凧のような糸を伸ばした。


「うちの子を!よろしくおねがいいたします!」


 たんぽぽのお母さんが叫んでいる。強い春の風が迫っていた。


「「1、2の3!」」


 風はいとも簡単に、彼らと綿毛の兄弟たちを攫って行った。

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