たんぽぽ
紗那
第1話たんぽぽと蜘蛛の子と
「犯人は、お前だ――!」
朝から賑やかだなぁと見上げると、蜘蛛の子が怒っていた。
「なんっかい私の巣を、この、素敵で、きれいで、計算されたこの美しい芸術品を、壊せば気が済むのよ――!」
蜘蛛の子は、巣に顔から直撃して顔が蜘蛛の巣だらけになった猫に、お怒りでぷんぷんしつついた。
「まぁ、朝露でめだっていたし、丁度よかったんじゃない?」
「親の脛を齧っている身でそんな呑気なことを言うなっ!」
蜘蛛の子は話しながら器用に風に糸をなびかせ始めた。糸がくっついたところにスルスルと落ちていく。そして、糸をぴんっと張った。
「君の巣は見えにくいし、本当にねちっこいよね。ぼくの顔がベトベトだよ」
文句を言いつつ毛繕いする子猫。嘘をつけ。この春に生まれた子猫が、彼女の巣を壊したのはもう私の兄弟たちより多いくらいだ。もはや偶然とは思えない。蜘蛛の子の反応が楽しくてやってる愉快犯だ。
毛繕いを終えた子猫は、今度は私たちにちょっかいを出してきた。前足で猫パンチ。揺れる揺れる!わたしたちは、たんぽぽであって、サンドバッグではない。下で、わたしたちのお母さんが、
「やめなさい!ミツバチさんに頼んでちっくんしますよ!」
と叫んでいる。揺られてぐわんぐわんになった状態で、考える。いや、母さん。ミツバチさんのあれ、命懸けだから。そんな簡単に頼めるものじゃないから。どうせならスズメバチさんに……
「やだ!スズメバチなんて大っ嫌い!」
おっと、考えたことが声に出ていたらしい。子猫が、スズメバチさんにちっくんされることを想像したのか、背中を弓なりにして、毛を膨らませた。
一方こちらはようやく揺れがおさまって、ほっと安堵する。
「きみは、たまに思考が過激になるよね……」
もう基礎の網張を終えて、ねばねばの糸を張り巡らしている子供の蜘蛛に言われる。子供の蜘蛛とは、私たちが太陽を体全体で、人間の感覚でいうと、花びら一枚一枚が、光を受けるようになって以来の付き合いだ。あと1週間もしたら、私たちは綿毛になって母さんの元から旅立つことになる。それまでは、子供の蜘蛛のいうとおり、親の脛齧りだ。光合成と深く深く根を張ったお母さんから、ありがたく栄養をいただいている。
それにしても過激だなんて。まったく子供の蜘蛛ったら酷い言い方をする。私は平和主義なんだから。スズメバチさんは、たまに虫も食べるけど、私たちの旅の荷造りの準備をしてくれる、優しい心の持ち主なんだから。
そよ風のような笑い声と共に、しじみ蝶さんが舞い降りてきた。
「ほら、花粉をたくさん持ってきたから、蜜と交換してくださる?」
「わぁ、ありがとうございます!」
周囲の姉妹たちが、わぁっとはなやいだ声をあげた。兄弟たちは、自分の花粉を運んでもらえるように準備を始める。しじみ蝶さんは、花開いた時からのお友達だ。美味しそうに蜜を飲んでいる間、子供の蜘蛛に釘を刺す。
「このしじみ蝶さんを食べたら、ただじゃおかないんだから」
「ただじゃおかない?そこにいるだけのあなたになにができるのさ?」
立派な巣を張り終わった子供の蜘蛛が、満足そうに巣の真ん中で風に揺れている。
「綿毛になったら、あなたの巣にずっと張り付いて、ここに巣があるわよ!て叫び続けてあげる」
そう、私が主張すると、ふふふ、としじみ蝶さんが笑う。
「その前に、僕が巣を破ってあげる!」
子猫が、ドヤ顔で言い切った。
「おのれ、やっぱりわざと破ってたんだな?!わざとだったんだな?!」
騒ぎ立てる蜘蛛の子供を尻目に、子猫はキリッとした顔をして、
「世の中何が起きるかわからないよね!じゃぁ僕はパトロールしてくるよ。ばいばい」
あっさりどこかへ行ってしまった。
「あんの子猫、いつかどこかで痛い目にあわせてやる……」
蜘蛛の子供は、牙をカチカチ鳴らして怒った。でも、蜘蛛の子供の牙では、せいぜい子猫の毛を切るのが精々だろう。
蜘蛛の子供の今のごはんは、もっぱら小虫、羽虫で、その食欲は底を知らない。でも、そろそろしじみ蝶さんあたりも対象になりそうだ。
「しじみ蝶さん、こんなに敵が多いのに、しじみ蝶さんは怖くないの?なんでそんなに優雅に空を舞うことができるの?」
ふと、そう私が疑問を口にしたら、蜜を吸っていたしじみ蝶さんは、その口をとめて、うーん。と考え込んだ。
「栄養を蓄えて、産卵したら、もう次の世代が私の思いを、私が母の思いを引き継いでいるように、引き継いでくれるから、何も怖くないのよ。」
そう聞いて、そんなものかな?とちょっと納得。 私も、いまはお母さんの一部で、生かされているけれど、綿毛になったら、新しい土地に風に乗って旅に出て、降り立ったところにお母さんのように根を張って、今度は私が、送りだす側になる。どんな世界が待っているかわからないけれど、期待に心が弾んだ。
その日の夜、閉じられた蕾の中で、うとうとしながらこう考える。
――もし、土がないところに落ちたらどうしよう。
茎を切られたり、葉っぱをちぎられたりするのは全然怖くない。根っこがあれば、いつでも再生できるから。でも、土がないところに落ちたら……
「そしたら、近くを通る生き物にくっつけばいいのよ」
お母さんの優しい声がした。
「お母さん、起きてたの?」
「お母さんとあなたたちは今、一心同体。大丈夫よ。古からの知恵が私たちをまもってくれるわ」
古からの知恵。子孫を絶やさないようにと、今までも守り継がれてきている生き残るために神さまが、教えてくれた知識。全ての生き物に、おのおの古からの知恵というプレゼントがあって、わたしたちはそれで生かされている。蜘蛛の子供にも、子猫にも、しじみ蝶さんにも、ミツバチさんにも、スズメバチさんにも。気が遠くなるほどの年月を経てなお色褪せない、プレゼントを思うと、あたたかい懐に抱かれているようだ。
「安心してお眠り。私の可愛い子」
お母さんの優しい声が、そう囁いたのを聞きながら眠りについた。
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