「路地裏の店」(3)

 翌朝。自宅のベッドでぱちりと目を覚ます。


 昨日、遅くに眠ったからか、時計を見るとほぼ十一時を指していた。

 なんで遅くなったんだっけ?と少し考えて、すぐにあの不思議な喫茶店の存在を思い出した。

 夢だったのか、それとも現実だったのか。確かめたいような、そうでないような。

 相反する思いに頭を悩ませた末に、私は軽く身支度を整えてから家を出た。


 自宅は、少し高台に建てられたアパートだ。周囲には大きな庭のある古い家も多い。

 なんでも、武家屋敷町だった頃の名残らしい。

 恐らく、そんな土地を買い取り、潰して建てられたのだろう。比較的新しいアパートは、三十路女が一人暮らしするには十分だ。


 家を出て、まっすぐ昨日の公園へと続く道を歩く。

 途中から坂になっており、これさえなければ駅までの道がもっと楽になるのに、と独り言ちる。

 途中、寺を横目に坂を下りきると、大通りを渡り昨日の公園に着いた。

 記憶をたどりながら、昨夜のようにベンチのところまで進み、住宅街の路地の方へと足を運んだ。


 けれど、そこにあったのは白っぽい漆喰の壁に河原の屋根。どう見てもただの古い一軒家だ。

 玄関前に昨日の看板などどこにもなく。昨日のあの、骸骨と顔のない店員がいた喫茶店とはとても思えない。

 もしかして本当に夢だったのだろうか。そう思い始めたころ、その家の勝手口がガチャリと開いた。


「おや」

 中から顔をのぞかせたのは、顔はないけど、昨日ののっぺらぼうだった。

 相変わらず、目も口も鼻も何もないその顔でにこりと穏やかに笑う気配だけがする。


 突然の遭遇に体を固まらせていると、彼は無言で手招いた。

 ちょっとためらいはしたものの、恐る恐る敷地に足を踏み入れ彼の元へと向かう。

 彼は口元に手を当てて内緒話でもするかのようにそっと囁いた。

「この店、黄昏時から丑三つ時までしかやってないんです。なにせ、妖怪の店なので」

「あ……、そうなんですね」

「はい。でも、せっかく来てくださったので。よろしければ、どうぞ」

 そう言って、彼は一歩下がり勝手口からそっと中へと招き入れてくれた。


 あの日見た、カウンター奥。珠暖簾の向こう側の部屋だろう。

 L型の大きなキッチンに、冷蔵庫。それから食器棚。たったそれだけの、飲食店にしては小さなキッチンスペース。

 その部屋には、挽いたばかりの豆の香りが漂っている。


 珠暖簾をくぐり、昨日のカフェスペースへと出れば、記憶と相違ない光景が広がっていた。

 そのはずなのに、昼の光に照らされた室内はどこか違って見える。日に焼けて窓辺だけ変色した木の床、どこか懐かしさを感じる渋い色味の壁紙、レトロな白熱球風の照明。

 太陽光のおかげで昨夜よりも明るいはずなのに、なぜだが妙に据わりが悪い。

 ここは、夜の姿こそが本当の姿なのだと。なぜかそう感じてしまう。


「ここ、あなたのお店なんですね」

「ええ、ジロウ。ああ、昨日の骸骨の彼ですけれど。彼はアルバイトで来てくれてるんです」

「妖怪が、アルバイト……」

 なんとも不思議な言葉の組み合わせである。それが少し面白くて、思わず笑みがこぼれた。

 のっぺらぼう。いや、マスターと呼んだ方がいいだろうか。彼が手際よくフィルターに満たした豆の上に湯を落とし、私の前に昨日と同じカップに入ったコーヒーを出してくれた。


 深みのある、苦みの強いコーヒーに舌鼓を打つ。

 昔ながらの歯車仕掛けの掛け時計の、カチコチと時を刻む音が、妙に重たく聞こえてくる。店の雰囲気と相まって、ここだけ外の時間に取り残されたようだ。

 


「ごめんくにゃさーい!ミケネコ商店でーす!」

「おや、もうそんな時間ですか。少々失礼しますね」

 女とも男ともつかない。どちらかと言うと子供の声に近い大人の声。そんな不思議な声が、先ほど自分も入ってきた勝手口の外から聞こえる。

 マスターが勝手口を開けると、そこからもふもふとした二足歩行の猫が顔をのぞかせた。


 白と茶とこげ茶の毛をしたいわゆる三毛猫というやつだ。その猫が、二部式の着物に腰エプロンを付けた姿で大きな箱を抱えている。

 可愛い三角の耳がぴくりと動き、こちらと目が合ったかと思うとぴょんっと真上に飛び跳ねた。


「にゃ、にゃんでぇ。人間がいるなら早く言えよぅ。驚いたじゃにゃーかよぅ。にしても、この店に人間にゃんて珍しいこともあるもんだにゃぁ」

「ええ、昨日初めて来てくださった方なんです。営業時間をお伝えし忘れてしまってこの時間にお越しになられたので、お詫びにコーヒーを御馳走しているんです」

「にゃるほどにゃぁ」

 ひょいひょいと器用に二足歩行で近づいてくると、かわゆいおててを差し出して来た。


「オイラは猫又のミケタだにゃ。江戸の頃の飼い主に付けてもらったにゃまえでにゃ。気に入ってるから、ずっとそれをにゃのってんだ」

「あ、初めまして。人間の、佐藤美咲です」

 そう自己紹介をし、もしかしてマスターにも名前があるのだろうかと彼を窺うと、それに気づいたマスターはポンっと拳で手のひらを打つ。

「ああ、そういえば自己紹介もまだでしたね。私はタナカと名乗っています。玄関に表札もあったでしょう?」

「え、表札とかあったんですか?……そういえば、確認してなかったかも」

「ありますよ。なにせ、これでもかれこれ八十年はここで生活してますので。名前が無かったら郵便屋さんが困るでしょう?」

「は、八十年……」


 妖怪だから、そりゃ人間よりも長生きだとは思っていたけど。妙に現実的な数字に驚き唖然としていると、マスターは顔はないが穏やかな顔で頷いた。

「ええ。佐藤さんが常連になってくださるなら……、あなたが彼岸へ渡るまで。もう八十年ほどここに居を構えることにします」

 思ってもみなかった言葉にぽかんとし。それからぷっと吹き出した。

 

「なんですか、それ。そんなこと言われたら、常連にならないわけにはいかないですね」

「おや、それは嬉しい」

 ミケタもかわいいおててでお口を覆ってクスクスと笑いをこぼしている。


 明らかに普通じゃないのに、怖くない。非日常なはずなのに、どこか懐かしい。

 そんなこの空間を、たった二日とはいえ気に入ってしまったのだ。

「……また、来ますね。今度は営業時間内に」

「ええ、ここでお待ちしております」

 マスターの返事に、不思議と胸の奥が少しだけ温かくなった。

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