「路地裏の店」(2)

 ふと目を覚ますと、柔らかな革張りのソファに寝かされていた。

 どこか懐かしいような、祖父母と住んでいた実家を思わせる、年季の入った古い家具の匂いだ。

 自分の体の上に、男の人の大きなジャケットがかけられていることに気が付き、同時に先ほど気を失う前に見た骸骨とのっぺらぼうの姿を思い出して慌てて体を起こした。


 良く磨かれて艶々とした木製カウンターに並ぶ、それぞれ違うデザインの椅子が四脚。入り口横には二人がけのテーブルセットは、こちらも机と椅子とで意匠が違うのに不思議とマッチして見えた。それから今自分の寝かされていた四人がけのソファー席。

 それらが、十五畳ほどの空間にこじんまりと配置されていた。


 さきほど見たものは夢か、はたまた非日常を求めるあまり見てしまった幻覚か。

 暖色系のあわい光に照らされた落ち着いた店内を見ているうちに、そんなことを考え始めていた。


「お目覚めかい、お嬢ちさん」


 自分の向かいの席からかけられた老人の声にびくりと体が跳ね上がる。

 バッ!と勢いよくそちらを向くと、一体いつからそこにいたのか。着物を上品に着こなしたおじいさんが静かにコーヒーカップを傾けている。

 しかし、その人も姿がおかしい。頭が異様に長いのだ。

 具体的にいうと、後頭部が後ろにぐっと伸びている。一般人の三倍はあるのではないだろうか。


 思わず頬をつねってみたが、痛みが夢じゃないぞと主張する。

 その様子に、おじいさんはニヤリと口の端を吊り上げて笑った。

「夢じゃぁないさ」

 こんなに特徴的な姿をしているのに、妙に気配が薄い老人。あぁ、なんだったか。こんな妖怪を昔本で見たことがある気がする。

 まるで何もかも見透かしているような老人の、優しそうなのにどこか恐ろしい顔から目が話せない。


「ここは現世と幽世の狭間にある喫茶、……なぁんてな。大げさに言やぁそうなるが、気にしなさんな。ここにいる連中もそう特別じゃぁない。ただちょいと、お嬢さんが今まで見ていた世界から半分ずれた場所に生きる普通の妖怪さ」

 老人の言葉をうまく飲み込めずに呆気にとられたままの自分に、気を失う前最後に聞いた男の声がかかる。


「驚かせてごめんね。人間のお客さんって珍しから」

 ゆっくりさきほどのカウンター席の方へ顔を向けると、その奥にある木製の珠暖簾の奥からのっぺらぼうが半分だけ顔を出してこちらを窺っていた。

「コーヒー、好き?良かったら一杯どうかな?」

 その声には私への気遣いが滲んでいる。小さく頷くと、顔がないのにほっとした様子が伝わってくる。不思議な感覚だ。


 いそいそと私の前にカップを置きにきたのっぺらぼう。私の勘違いでなければ、気絶する前はジャケットを羽織っていたような気がする。と、いうことは。

「あの、これ。あなたのですか?」

「ん?あぁ、そうだよ。さすがに春先とはいえ、夜は冷えるからね。寒くなかった?」

「いえ。おかげで温かったです」

 おずおずと手渡すと、やはりぱっと表情を明るくさせているように見える。顔はないけど。


 出されたカップからは、深煎り豆の香ばしい匂いがふわりと立ち上る。口に含むと、酸味が少なく苦みの強いコーヒーだ。酸味が苦手な私が好きな味。

 カップも、どっしりとした重みのある分厚いカップ。

 白地に青い蔦模様がレトロで可愛い。かなり好きな方かもしれない。


 思っていたよりも、普通。むしろ、好みドンピシャ。


 普通過ぎて、逆におかしい気さえしてくる。でも、嫌じゃない。不思議な安堵が胸の奥にしみこんでくる。


「あの、ここって。現世と幽世の狭間って、どういうことなんですか?」

 コーヒーでもてなしを受け、彼らが言葉の通じないバケモノではないという不思議な安心感が芽生えたおかげで落ち着いて話せている気がする。

 私の言葉に、のっぺらぼうが顎に手を当て、うーんと悩んで見せる。

 顔がないのに随分表情豊かな人だ。


「現世って言うのが人間の生きている世界で、幽世が幽霊や私たちみたいな妖怪の生きている世界。ってことはなんとなく理解できるかい?」

 その言葉にこくりと素直にうなずくと、彼も同じように頷いて見せた。

「うん。現世も幽世も同じ場所にあるんだけど。イラストを描くときのレイヤーってわかるかな?まぁ、層の事なんだけど。それがね、違うの。だから、普通は人と妖が出会うことはないんだけど、層が違うだけで同じ世界で生きているから、やっぱり半分重なっちゃうことがあるんだよ」

「それが、重なってる場所がここ。ってことですか?」

「そう。層だけに。なんちゃって」


 急に挟まれた親父ギャグにぽかんとしていると、のっぺらぼうは恥ずかしそうに頬を掻いた。

「あれ?面白くない?うーん。人間の笑いのツボってすぐに変わるからなぁ。ゲンシンさんには大うけだったんだけど。若い人間の女性って難しいね」

 会話を重ねるごとに、どんどん彼のことを怖いと思えなくなっている自分がいる。

 顔がないのに、自分よりもいくつか年上のおちゃめな男性に見えてくるのだから不思議なものだ。


「幽世の方が現世よりも層が上にあるから、妖や幽霊は現世のことを知覚できる。でも、層が下にある現世の人間は、いわゆる「霊感」があったり、波長が合った時、死にかけて魂が幽世に近くなった時しか私たち幽世の存在を知覚できない。君は、よっぽど疲れていたんだねぇ」

 あんまり無理しちゃだめだよ、と。のっぺらぼうに優しく頭を撫でられて、不覚にも心をぎゅっと掴まれてしまったようだ。


「…………また来ようかな」

 思わずつぶやいた言葉に、マスターらしいのっぺらぼうが嬉しそうな声で笑った。


「歓迎するよ。人間のお嬢さん」

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