第5話 SNSの小さな火花

 夜、佐藤徹の娘・青木瑠璃は、大学から帰宅したあと、居間のテーブルにノートパソコンを広げていた。彼女はメディア学部に通う大学三年生で、SNSを通じて「人の温かさ」を発信する活動に興味を持っていた。


 カチカチと打つキーボードの音がリビングに響く。横では父・徹がテレビをぼんやり眺めていた。報道番組の中で、街頭インタビューが繰り返されている。


「お父さん、今日のバス、また“ありがとう”って言ったでしょ?」


 瑠璃がふいに声をかけると、徹は少し照れたように笑って頷いた。


「まあ、いつものことだよ。山根さんも“行ってらっしゃい”って言ってくれるし」


「……やっぱり。今日ね、たまたまその場面を見てたの。後ろの高校生の子が、めっちゃうれしそうな顔してたよ」


 徹は、少し意外そうに眉を上げた。


「そうだったのか」


 瑠璃はうなずくと、Twitterの下書きに目を戻し、数行の文章を推敲し始めた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

バスを降りるとき、おじさんが運転手さんに「ありがとうございます」って言ってて、

運転手さんが「行ってらっしゃい」って返してた。

朝からすごく元気出た。こういうの、もっと広がればいいのに。

#ありがとうはタダ #行ってらっしゃいの魔法

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 投稿ボタンをクリックすると、数分もしないうちに「いいね」が付き始めた。ひとつ、ふたつ。やがて数十件に、そして数百件へと膨らんでいった。


 コメント欄には、


「こういうのって、じんわりくるよね」

「自分も明日から挨拶してみようかな」

「うちのバスでもたまに見る。素敵な文化だと思う」


 といった声が寄せられていた。


 瑠璃は、どこか嬉しそうに笑いながら父をちらりと見た。


「お父さん、気づいてないかもしれないけど、それ、ちょっとした社会貢献だよ」


「そんな大げさなもんじゃないよ。俺が気持ちよくなりたいだけさ」


 それでも、どこか誇らしげな顔をしているのが、瑠璃にはすぐに分かった。


 小さな「ありがとう」が、誰かの心に火を灯す。SNSという風に乗って、それは思わぬところにまで届いていく。


 その夜、徹の何気ない習慣は、思いがけず「やさしいバトン」として広まり始めていた。


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