相互視点版

『交錯する始まり』


『ーー翔斗視点ーー』


 春の風は、まだ冷たさを残していた。

 翔斗は、緊張を押し殺すように体育館の入り口に立っていた。新入生歓迎の練習試合――まさか入部して間もない自分が、いきなりコートに立つことになるなんて思ってもみなかった。


 祖父が口にしていた言葉が頭をよぎる。

 「迷うな。お前の『間』を信じろ」

 意味がよく分からないまま受け流していたが、いま翔斗は、その一言に縋るように呼吸を整えていた。


 コートに視線を向けた瞬間、彼は目を奪われる。

 ――あの選手。

 背番号1。金鋼鉄高校の絶対的エース、神聖怜央。

 鋭い眼差しは、まるで獲物を狩る獅子のようだった。スパイク一振りで空気を震わせるその存在感は、観客席のざわめきを一瞬で呑み込む。


 胸の奥が高鳴った。

 怖いはずなのに、なぜか身体は熱を帯びていく。

 「勝ちたい」――理屈ではなく、ただその感情が心を支配していった。



『ーー怜央視点ーー』


 練習試合。

 怜央にとっては、単なる通過点にすぎなかった。勝って当然。エースとしての責務を果たす、それだけ。


 仲間は皆、自分を信じてボールを託してくる。その重圧もまた、もはや慣れたものだ。

 ――俺が決めれば勝てる。俺が止まれば勝てる。

 それが当たり前の環境に、怜央はいつしか孤独を覚えていた。


 だが、その日。

 コートの向かいに立つ一人の新入生に目が止まった。


 まだ線の細い身体。だが、妙に落ち着いた目をしている。周囲に呑まれず、何かを待つように立っていた。

 「……誰だ、あいつ」

 名前も知らない。だが直感だけが告げていた。

 ――この男、ただの新入生じゃない。


 怜央の胸の奥に、わずかなざわめきが生まれた。

 それは久しく忘れていた感覚。自分に向かってくる“挑戦者”の気配だった。



『ーー翔斗視点ーー』


 ボールが上がる。

 翔斗は、海輝のトスを正確に見極め、一瞬の「間」を突いてスパイクを放つ。

 ――抜けた!


 しかし次の瞬間、鋭い影が飛び込んできた。

 怜央のブロック。

 轟音と共に、ボールは無残にも叩き落とされた。


 「なっ……」

 まるで全てを見透かされたようだった。

 だが、怜央の眼は一瞬だけ揺らいだ。驚いている――そう確かに感じられた。


 その瞬間、翔斗は悟った。

 「届かなくても、俺は戦える」


『ーー怜央視点ーー』


 ……今の一撃。

 あの新入生、翔斗と呼ばれていたか。

 力は未熟、技術もまだ粗い。だが、タイミングの取り方だけは異常に研ぎ澄まされている。


 まるで呼吸を読むように、こちらの「隙」を狙ってくる。

 ブロックで止めはしたが、ほんの一瞬でも反応が遅れれば抜かれていた。


 怜央は笑った。

 「面白いじゃないか」

 久しく感じなかった熱が胸の奥に宿る。


『ーー翔斗視点ーー』


 試合は結局、金鋼鉄高校が圧倒した。

 しかし翔斗の心には、敗北感よりも高揚感が残っていた。

 「また戦いたい」――自然とそう思えた。


 コートを去る怜央の背中を見つめながら、翔斗は拳を握りしめた。

 まだ遠い。けれど、必ず追いついてみせる。


『ーー怜央視点ーー』


 控え室へ戻る途中、怜央はふと振り返った。

 コートに残る翔斗の姿が目に入る。

 敗北の悔しさに沈むどころか、燃えるような瞳でこちらを見据えていた。


 「……やはり、ただ者じゃないな」

 怜央の心に刻まれたのは、勝利の余韻ではなく、未知の挑戦者への期待だった。


 こうして二人の道は交錯した。

 一方は、まだ何者でもない新入生。

 一方は、孤高の覇者。

 その出会いは、互いの運命を大きく揺るがす始まりに過ぎなかった。



『ーー翔斗視点ーー』


体育館に差し込む午後の光が、埃を舞い上げ、黄金色の粒となって空中に漂っていた。

バレーボールを打ち込むたび、乾いた音が鳴り響き、心臓の鼓動と重なる。


練習は厳しい。けれど不思議と、苦しさの奥に「快楽」が潜んでいる。

翔斗にとって、それは獲物を追い詰める獣の昂りに似ていた。


「翔斗、もう一本だ!」

海輝の声が響く。彼のトスは正確無比。翔斗が空へ跳び、体を弓なりにし、力を解き放った瞬間――ボールは床へと突き刺さった。


観客がいなくても、試合でもない練習でも、翔斗は「勝つこと」を意識していた。勝つことで自分を証明し、存在を支配する。

その奥底に燃えるのは、あの日の記憶だ。練習試合で出会ったあの男。神聖怜央。


彼の視線は冷たく、同時に聖域に触れるような気高さを帯びていた。あの男を打ち倒すことが、翔斗にとって絶対的な使命であり、存在理由だった。


「怜央……次は、必ず。」

呟きは体育館の天井へと吸い込まれていった。


『ーー怜央視点ーー』


放課後の静寂に包まれた金鋼鉄高校の体育館。

怜央はひとり、壁に向かってサーブを打ち続けていた。


彼にとってバレーボールは「信仰」に近い。

一球ごとに魂を削り、己を浄化するように。

だからこそ彼の仲間たちは、その背中に祈るようなまなざしを向けるのだ。


「怜央、もう休んだほうが……」

後輩の声に、怜央は首を横に振った。疲労で腕が震えても、彼は止まらない。止まることは、己の信念を裏切ることと同義だからだ。


彼の脳裏には、ひとりの選手の姿が焼き付いていた。

羽立翔斗。


荒々しくも獰猛で、相手を飲み込む覇気を纏う男。

その存在は怜央にとって「穢れ」と同時に「光」でもあった。

打ち倒さねばならない。だが、同時に――彼と交わることでこそ、自分はさらに高みへ昇れる。


怜央は祈るように、両手を組む。

「翔斗……次に相まみえる時こそ、真の審判だ。」


二人は異なる場所で練習を重ねながら、互いを強く意識していた。

翔斗にとって怜央は「覇者として討ち倒すべき宿命の獲物」。

怜央にとって翔斗は「己を浄化するために必要な試練の影」。


場所は違えど、時間は重なり、思考は交差していく。

互いにその名を呼び、互いに姿を求め、互いの存在が己を形づくる。


体育館の光と闇の中で、それぞれの影が伸びていった。

やがて交差するその瞬間が、近づきつつあることを――二人はまだ知らなかった。

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