コロッケ

 昼休み、滝村が私の教室にやってきた。


「今、いい?」

「いいよ」


 滝村は私を渡り廊下へ連れ出すと、背中を手摺りに預けた。


「あのさぁ、アイツどうしたの?」


 滝村からのストレートな問いに、私は質問で返す。


「どうしたとは……」

「頬杖ついてボーッとしたり、机に突っ伏したりするのを延々繰り返してる。またゲームでもしてたのかって聞いたけど無視すんだよ。普段から愛想のあるヤツじゃないけど、そんな風に人の話をスルーするヤツじゃないからさ、何か変だなって」


 いつもと同じように見えて違う春ちゃんの態度の原因が私にあると思ったのか、滝村は言った。


「痴話喧嘩とかなら早く仲直りしてくれよ。でないと落ち着かねぇ」


 滝村は滝村なりに、春ちゃんのことを心配しているのだ。

 春ちゃんに優しい友達がいて良かったな。

 だからこそ誤解させていることに申し訳なさを感じて、「ごめんね、滝村」と私は謝った。


「やっぱケンカしてた? だったら早く仲直りした方がいいって」


 滝村の細い目が少しだけ大きくなる。


「違うよ、私、春ちゃんとケンカしてない。というより、私とはケンカもしてくれないんだ」

「何で? 付き合ってんでしょ?」


 滝村の悪気の無い言葉が、私の心に刺さる。


「私、春ちゃんと付き合ってないよ」


 付き合ってない。 

 十文字にも満たない癖に、とてつもなく重たいおもりが胸の中にどすんと落ちてきたような錯覚に捕らわれる。

 

「嘘でしょ。だってあんなにいつも一緒にいるのに」

「春ちゃんは私のことを見てないよ」


 私は滝村の隣に立ち、同じように手摺りにもたれる。

 今日は空がとても青くて、キレイだ。校舎と校舎の隙間から覗く空を見て、私は眩しさに目を細めた。


「みんな私と春ちゃんは付き合ってると思ってるけど、全然違うんだよね。残念ながら」

「……そうなんだ。何かごめん」


 滝村はポケットに両手を入れて、下を向いた。

 悪いことをしてしまったな。

 滝村に気を遣わせるつもりじゃなかったのに。

 

「でも、春ちゃんの様子がおかしい理由は心当たりあるから、後でそれとなく言っとく。滝村くんが心配してたよって」


 こちらへの気遣いは不要とばかりに、笑ってみせる。


「ん、頼む。じゃ、そういうことで」


 滝村も同じように笑ったところで、五時間目の始業チャイムが鳴った。


 放課後、春ちゃんのクラスに行くと、鞄と共に春ちゃんの姿は消えていた。滝村いわく、授業が終わると同時に教室から出て行ったのだという。私は滝村にさよならを告げると、教室から離れた。


 いつも待ち合わせをしている渡り廊下にも、春ちゃんの姿はなかった。

 そこにいるのがあまりにも当たり前になっていたので、何だか落ち着かない。

 普段春ちゃんが見ているように、私も渡り廊下からグラウンドを眺めてみた。


 陸上部やバスケ部がウォーミングアップをしている周りで、バレーボール部がランニングをしていた。史ちゃん先輩も一緒に走っている。ショートカットが本当に似合う。


 今朝の出来事を反芻してみる。

 はにかんだ顔の史ちゃん先輩。

 そこから視線を外さずに、睨むように見続けていた春ちゃん。

 声の届かない私。

 渡り廊下に冷たい風が吹きつける。


 こんな寒い場所から、春ちゃんはずっと見ていたんだな。


 私はグラウンドから目を逸らすと、そのまま校舎に戻り、学校を出た。


 家に帰ると、リビングに春ちゃんがいた。

 まるで自分の家にいるかのように自然に馴染んでいる。

 キッチンから現れた母が「おかえり」と言い、「春希くんのとこからほら、こんなにたくさんミカンもらったのよ。あんた、ミカン好きでしょ」と、テーブルの上に置かれたカゴいっぱいのミカンを指差した。


 春ちゃんは何も言わなかったけれど、恐らく史ちゃん先輩の家から届いたのだろう。私は今以上踏み込まないよう二階の自分の部屋へ行こうとしたが、春ちゃんに呼び止められた。


「何」


 春ちゃんは玄関へ目を遣った。


 ついて来て。

 そう言いたいらしい。


 春ちゃんは深い緑色のマフラーを締め直すと、私の母に「お邪魔しました」と挨拶した。私は「ちょっと待ってて」と告げると部屋で制服を脱ぎ、手近にあった服を身に付け、ダッフルコートを素早く羽織った。


 靴を履いて玄関を出ると、家から少し離れたところで春ちゃんが私を待っていた。


 前を行く春ちゃんの背中を見ていると、何だか胸がぎゅうとなる。

 お互い無言で歩き続けているうち、商店街に出た。

 迷いなく真っ直ぐに、春ちゃんは歩く。


 足取りはしっかりしているのに気配がとてつもなく頼りない。

 このままずぶずぶと地面に沈んでしまうんじゃないかと、私は心配になった。

 

 花屋さん、八百屋さん、金物屋さん、お漬物屋さん……。

 色々な匂いが右から左から漂ってくる。

 不意に油の匂いが鼻をつく。

 覚えのあるこの匂いの正体は、お肉屋さんのコロッケだ。


 中学生の頃、春ちゃんと二人で学校の帰りによく買い食いをしていた。

 五十円のコロッケを「はんぶんこね」と言って私に渡してくれたが、春ちゃんは優しいから、大きい方をいつも分けてくれたことを私は知っている。

 揚げたてはほくほくしていて、熱くて、とても美味しかった。


 私がお肉屋さんの前で立ち止まっていると、春ちゃんが後ろを振り向いた。

 目が合う。

 視線はそのまま水平移動して、お肉屋さんへ。

 春ちゃんはすたすたとお肉屋さんへ向かうと、両手にコロッケをひとつずつ持って戻ってきた。


「ん」


 私は差し出されたコロッケを受け取る。

 茶色い紙袋に油がじんわりと滲む。


「ありがとう」


 そう言って私がかじるのを見届けてから、春ちゃんはまた前に立って歩き出した。


 縦に並んで熱々のコロッケを口に入れながら歩く。

 タマネギの甘さがじんわりと舌に馴染むが、幼い頃に食べた時より塩も胡椒も強くなった気がする。

 私の口が変わったのか、お店の味付けが変わったのか。

 分からないまま食べ続け、最後の一口を放り込んだ。

 口の中がじゃがいもの味でいっぱいになる。


 春ちゃん、ひとつはやっぱり多いよ。

 はんぶんこがいいよ。

 

 コロッケの包み紙をぱたぱたと四角く折る私とは反対に、ぐしゃぐしゃと雑に丸める春ちゃんの手が、何だか少しだけ悲しかった。



 

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