「星を継ぐ者」
兎 美香
第1章: 星の消えた村
ルミナリスの辺境、灰色の雲が垂れ込める空の下に、エルドという小さな村があった。かつては星の光に祝福され、夜空には無数の輝きが瞬いていた。村人たちは星に祈りを捧げ、その光が豊穣と健康をもたらすと信じていた。しかし、十年前、星々は一つまた一つと消え、今ではたった一つの星が、弱々しく空に浮かぶだけだった。
星の光が失われた村は、「星の病」に蝕まれていた。病は人の心と体をむしばみ、希望を奪った。発熱と咳が続き、やがて体は灰のように脆くなり、命を落とす。村の広場はかつての笑い声に代わり、静寂とすすり泣きに満ちていた。
アレンは、村はずれの粗末な小屋で、母と二人で暮らしていた。15歳の少年は、痩せた体に継ぎはぎの服をまとい、毎日山へ薪を集めに出かけた。市場で薪を売り、得たわずかな銭でパンと薬草を買う。それが彼の日課だった。母は星の病に侵され、ベッドに横たわりながらも、いつもアレンに笑顔を見せた。
「アレン、星はまだ消えちゃいないよ。いつか、きっと戻るから。」
母の声は弱々しかったが、その言葉には不思議な力が宿っていた。アレンは頷き、薪を背負って山へ向かうたび、空を見上げた。だが、灰色の雲と、かすかに瞬く一つの星しか見えない。それでも、母の言葉を信じたくて、アレンは心の中で祈った。「星が戻れば、母さんも元気になるよね。」
その夜、異変が起きた。村の広場に集まった村人たちが、空を指さしてざわめいていた。アレンは薪を下ろし、広場へ駆けつけた。空に浮かぶ最後の星が、突然、眩い光を放ち始めたのだ。まるで心臓が脈打つように、輝きは強くなり、やがて星は流星となって村の西の森へ落ちていった。
「星が…落ちた?」
村人たちの間に動揺が広がった。誰かが「災いの前触れだ」と叫び、別の誰かが「神の怒りだ」と震えた。アレンの胸は、なぜか高鳴っていた。母の言葉が脳裏に響いた。「星が呼んでいるよ、アレン。」
家に戻ると、母はベッドで咳き込んでいた。アレンは水を差し出し、そっと手を握った。「母さん、星が落ちたんだ。森に…何かあるかもしれない。」母は弱々しく微笑み、言った。「アレン、行ってごらん。星はきっと、お前を待ってる。」
「でも、母さんを一人に…」
「大丈夫。私にはお前の笑顔が薬だよ。行って、星を見つけておいで。」
母の言葉に、アレンの目から涙がこぼれた。彼は母の手を握りしめ、頷いた。「わかった。僕、行ってくる。」
夜が更けるのを待ち、アレンは粗末なマントを羽織り、森へ向かった。月明かりのない道は暗く、木々のざわめきが不気味に響いた。だが、星の落ちた場所には、かすかな光が地面を照らしていた。アレンは息を呑んだ。そこには、拳ほどの大きさの石が、青白い輝きを放ちながら地面に突き刺さっていた。
「これが…星?」
アレンは恐る恐る手を伸ばした。石に触れた瞬間、熱い光が彼の胸に流れ込み、全身が震えた。頭の中に、荘厳な声が響いた。
「星を継ぐ者よ。ルミナリスの光を取り戻せ。さもなくば、世界は闇に沈む。」
アレンはその場に膝をついた。心臓が激しく鼓動し、恐怖が全身を包んだ。「星を継ぐ者? 僕が? そんな…僕、ただの村の少年なのに…。」彼は石を握りしめ、目を閉じた。母の咳、村人たちの絶望的な顔、灰色の空が脳裏に浮かんだ。「でも、もし僕が何もしなかったら…母さんも、みんなも…。」
どれだけ時間が過ぎたのか、アレンは立ち上がり、石をマントに包んだ。「僕にできるかわからない。でも、試してみるよ。」彼は森を抜け、村へ戻った。空はまだ暗く、星の光は消えていた。
翌朝、アレンは幼馴染のリナに相談した。リナは、赤毛をポニーテールに結び、いつも元気な笑顔でアレンを迎えた。「アレン! どうしたの? なんか顔、めっちゃ真剣じゃん!」
アレンは星の石を見せ、昨夜の出来事を話した。リナは目を輝かせ、拳を握った。「すっごい! アレン、星を継ぐ者ってこと? それ、めっちゃカッコいいじゃん! 私も行く! 星を取り戻そうよ!」
「リナ、危ないかもしれないよ。僕、怖いんだ…。」
「怖がってても何も変わらないよ! アレンが行くなら、私も一緒! 約束したじゃん、ずっとそばにいるって。」リナの笑顔は、まるで朝陽のようだった。アレンの心に、かすかな勇気が灯った。「…ありがとう、リナ。じゃあ、一緒に。」
二人は旅の準備を始めた。干し肉、布の包帯、母がくれた小さな護符。アレンは母に別れを告げに行った。母はベッドから手を伸ばし、アレンの頬を撫でた。「お前は私の誇りだ。アレン、星を取り戻して。そして、帰ってきなさい。」
「うん、絶対帰るよ。母さん、待ってて。」アレンは涙をこらえ、母の手を握った。リナが外で待つ中、彼は小屋を出た。振り返ると、母が窓から小さく手を振っていた。その姿が、アレンの胸に深く刻まれた。
村の長老に旅立ちを告げると、長老は厳しい顔で言った。「星を継ぐ者は、試練の果てに命を失う。過去の継ぐ者も皆、帰らなかった。少年、それでも行くのか?」
アレンの心は揺れた。母を残して旅に出るのは、彼女を一人にするということだ。だが、リナがそっと肩に手を置いた。「アレン、怖いのは私も一緒。でも、星を取り戻さなきゃ、みんなが死んじゃうよ。」
アレンは深呼吸し、長老を見た。「行きます。僕、星を取り戻します。」
長老は静かに頷き、村の出口まで見送った。村人たちが集まり、祈るように二人を見守った。アレンとリナは、星の石が示すかすかな光を頼りに、森の奥へ歩き始めた。道の先には、どんな試練が待っているのか。まだ何も知らないアレンの胸には、恐怖と希望が混じり合っていた。
だが、彼の背後で、母の祈りが風に乗って届いていた。「アレン、星の光が、お前を守ってくれるよ…。」
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