📖 第3話 黒死病と白い光

(舞台:1348年・ロンドン)


霧雨に煙るロンドンの街並みは、死の気配で満ちていた。

疫病が街を蝕み、鐘楼は絶え間なく死者を告げる鐘を鳴らしていた。人々は戸口を閉ざし、十字架を掲げ、恐怖に沈黙した。どこかで呻き声が響き、犬が吠えた。


トマスは、そんな街角を駆け抜けていた。

まだ十二の少年だが、父も母も数日前に病で倒れ、誰も頼る者はいなかった。教会の階段に腰掛け、空腹でふらつく体を支えながら、彼はぼんやりと聖堂の塔を見上げた。どこか、その中に「秘密」が隠されている気がした。


夜、彼は忍び足で塔の扉を押し開けた。螺旋階段を登り、薄暗い礼拝堂の奥に進む。そこで見つけたのは、古びた水銀鏡と、銀細工の装置だった。まるで、夜空を写すための天文儀のようだが、星ではなく何かを“映す”ためのもののようだった。

「これ……なに?」

トマスは装置に触れた。水銀鏡の中央に、かすかに光が差し込み、歯車の奥から淡い白い光がにじむ。装置は震え、微かな声を響かせた。


《ルクス・ドムス──光の家》

聞き慣れない言葉と共に、光が礼拝堂の壁を覆い尽くす。そこには、街の地図が浮かび上がり、黒い影がゆっくりと広がりを見せる。人々の住まう家々、封鎖された街区、感染の進行……。しかし、一箇所だけ、影が薄い場所があった。

「ここ……安全なの?」


トマスは翌朝、弟たちを連れ、その“光の地図”が示した小さな市場へ向かった。そこでは、数少ない農民や行商人が物資を売り買いし、子どもたちが声を上げて遊んでいた。疫病に怯えた大人たちは眉をひそめたが、子どもたちは気にも留めず、石蹴りをしたり、縄跳びをしたりしていた。

「なぜ……ここは……」

ルクス・ドムスの声が、トマスの耳に響いた。


《人は声に引き寄せられる。遊び声、笑い声は、恐怖を追い払う。》


その夜、トマスは仲間たちと教会に戻り、装置を再び起動させた。光の地図は、子どもたちの遊び場を中心に、感染の黒い影を押し返すように広がりを変えていった。

「僕たちの声が……光を呼んでるの?」

ルクス・ドムスは応えなかった。ただ静かに、白い光を灯し続けた。


数日後、封鎖された街角に噂が流れた。

「教会の塔に、疫病を追い払う“光”があるらしい。」

人々はおそるおそる集まり、光の地図を見た。感染の影と安全な道筋が示される地図に、誰もが息を呑んだ。老人も、病に怯える母親も、皆がトマスたちの“遊び声”に導かれ、市場に足を運んだ。やがて、市場は以前のような賑わいを取り戻し、白い光に包まれるようになった。


しかし、ルクス・ドムスの光は、次第に弱まっていった。水銀鏡に亀裂が入り、歯車が軋みを上げる。

「もう、限界なの?」トマスが問いかけると、装置はかすかに震え、最後に一筋の白い光を天井へ伸ばした。

《希望の中心は、君たちの声》

それだけを告げ、ルクス・ドムスは静かに沈黙した。


市場には、今日も子どもたちの遊び声が響く。感染は依然として街に残るものの、そこだけは、不思議な安堵が漂っていた。

トマスはふと空を見上げた。白い光はもう見えなかったが、彼にはその残像が、心の奥に淡く灯り続けているように思えた。


「大丈夫だ。明日もきっと、声を響かせよう。」

彼は笑い、仲間たちと手を取り合い、走り出した。


それは、疫病と恐怖に覆われた街で、子どもたちが生き抜いた、小さな奇跡の物語だった。


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