悪霊との対峙
四人の吐く息が白く見え始め、まるで冷凍庫の中にいるような寒気が肌を刺す。
「な、なんだこの寒さ……」
湊がガチガチと歯を鳴らしながら呟く。彼の手に持ったビデオカメラの液晶画面には、常温を示すはずの温度計が氷点下を指していた。
「さっきよりはっきり視える……みんな、みんな絶望したような顔で立ってる……」
泰河が震えながら四隅を順番に指さした。
陽菜乃は泰河の肩に手を置いて支えながら、自分のお守り袋を強く握りしめた。銀の鈴が小刻みに震え、チリンチリンと不安げな音を立てている。
「どんな様子? 詳しく教えて」
「み、みんな……すごく悲しそうな顔してる。でも同時に、すごく怒ってるような……恨んでるような……」
泰河の声がかすれる。
「特に、こたつの向こう側にいる老人の人が……その人が一番強い感情を発してる」
翔也が険しい表情で室内を見回した。彼の顔は普段の陽気さを完全に失っている。
「間違いない。こいつらが真澄を襲ったんだ。でも普通の浮遊霊じゃない。怨念が集積して、もっと危険な存在に変質してる」
翔也の声は怒りを含んでいる。
そのとき、湊が震え声で指摘した。
「あ、あの……壁を見て……」
四人が振り返ると、薄汚れた壁に赤黒い文字が浮かび上がっていた。まるで血で書かれたような、ドロドロとした文字が次々と現れる。
『一人じゃない』
『一人じゃない』
『一人じゃない』
同じ言葉が壁一面に書き連ねられていく。その様子は、まるで狂気に取り憑かれた人間が同じ言葉を延々と書き続けているかのようだった。
「これって……」
陽菜乃が息を呑む。
「ああ」
翔也が重々しく頷いた。
「こいつらの怨念の核心部分だ。孤独への恐怖と怒り。それが凝縮されてる」
突然、翔也の目が見開かれた。まるでなにかの映像を見ているかのように、虚空を見つめている。
「視える……過去の記憶が流れ込んでくる……」
「翔也先輩、なにが見えるんですか?」
陽菜乃が尋ねる。
「この部屋の住人……林という名前の老人だ……真冬の夜、こたつにもぐり込んだまま……そのまま一人で……」
翔也の話に、泰河がさらに震えあがった。
「も、もしかして……」
「孤独死だ」
翔也は静かに答えた。
「発見されたのは三カ月後の春。近所の人が異臭に気づいて……」
湊のビデオカメラがブルブルと震えている。
「そ、それで終わりじゃなかったんですね……」
「ああ。この老人の死後、同じ団地で立て続けに孤独死が発生した」
翔也の霊視が続く。
「二階の主婦、一階の中年男性……みんな誰にも看取られることなく、一人でこの世を去った」
陽菜乃のお守り袋の鈴が、まるで悲しみを表現するかのように小さく鳴った。
「それで……その人たちの魂が集まって……?」
陽菜乃が聞くと、翔也は頷いた。
「怨念が混じり合い、より強大な悪霊に変質した。『一人で死ぬ恐怖』『誰からも忘れられる絶望』その感情が合体して、今度は『仲間を求める』怨念に変わったんだ」
「仲間って……まさか」
泰河の声が裏返る。
「そうだ。こいつらは『同じ境遇の仲間』を作ろうとしてる。つまり、俺たちを……」
部屋の四隅から低い呻き声が聞こえ始めた。
『さびしい……』
『ひとりは……いやだ……』
『いっしょに……いよう……』
複数の声が重なり合い、まるで合唱のように響く。しかし、その美しさの裏には、深い怨念と狂気が潜んでいた。
「うう……近づいてくる……みんな、こっちに向かって……」
泰河がへたり込んだ。
陽菜乃は慌ててお守り袋を取り出し、浄霊の準備を始めた。
「急いで浄霊します! みんな、あたしの後ろに」
銀の鈴を握りしめ、いつもの浄霊の詠唱を始める。
「迷える魂よ、安らかに眠れ。この世への執着を捨て、光の世界へ……」
お守り袋が淡い光を放ち始めた。しかし、悪霊たちの動きは止まらない。それどころか、より激しく蠢き始める。
『だめだ……』
『いかせない……』
『ひとりにしない……』
「陽菜乃! 普通の浄霊じゃダメだ! こいつらの怨念は深すぎる!」
翔也が叫ぶ。
確かに、いつもなら効果のある浄霊がまったく通用していない。お守り袋の光も、悪霊たちの前では心もとなく震えているだけだった。
そのとき、泰河が恐怖で声にならない悲鳴を上げた。彼の首筋に、見えない手で締め付けられたような赤い痣が浮かび上がっている。
「た、泰河!」
陽菜乃が駆け寄ろうとした瞬間、彼女の足首にも冷たい感触が這い上がってきた。まるで氷のように冷たい手が、足を掴んでいる。
「みんな……離れて……僕の腕にも……なにかが……」
湊が震え声で言った。
四人とも、見えない手に掴まれ始めていた。悪霊たちの攻撃が本格的に始まったのだ。
『いっしょに……』
『ここに……いよう……』
『さびしくない……』
声が次第にささやき声に変わり、まるで子守唄のように甘く響く。しかし、その優しさは偽りの慰めでしかない。
「くそ……こいつら、俺たちを『仲間』にするつもりだ……同じように死なせて、仲間に加えようとしてる」
翔也が歯ぎしりしながら、見えない手を振り払おうともがいている。
陽菜乃の胸に、重い責任感が押し寄せてきた。普通の浄霊では救えない。ということは……。
『もうすぐ……』
『らくになる……』
『ひとりじゃない……』
悪霊たちの声がより優しく、より甘美に響く。泰河の首の痣がより濃くなり、彼の呼吸が苦しそうになってきた。
「泰河! しっかりして!」
陽菜乃が必死に声をかけるが、泰河の意識が朦朧としてきている。湊も腕をなにかに引っ張られているのか、カメラを落としそうになっていた。
お守り袋の鈴が激しく鳴り響く。まるで陽菜乃になにかを訴えかけるように。
陽菜乃の心の中に葛藤が渦巻いた。浄霊は魂を救済し、安らかな眠りに導く方法。除霊は、強制的に排除……あるいは魂そのものを消滅させてしまう。
「陽菜乃! 迷ってる場合じゃない! こいつらはもう救済の対象じゃない! 完全に悪霊化してる!」
翔也は叫んだあと、激しく咳き込んだ。その首にも泰河のように痣が浮き出ている。泰河の呼吸もより浅くなる。このままでは本当に危険だった。
陽菜乃はお守り袋を両手で強く握りしめた。銀の鈴が手の中で熱くなる。
「ごめんなさい……」
小さくつぶやいた。それは、目の前の悪霊たちに向けた言葉でもあり、今まで『救済』にこだわってきた自分自身に向けた言葉でもあった。
「みんなを守るために……ごめんなさい」
陽菜乃が除霊の詠唱を始めた瞬間、部屋の空気が一変した。お守り袋から発せられる光が、今までとはまったく異なる性質のものに変わる。
それは温かい救済の光ではなく、冷たく鋭い、すべてを切り裂く光だった。
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