夜の探索開始
午後十一時。十二月の夜気は肌を刺すように冷たく、吐く息が白く宙に舞った。大学の正門前で待ち合わせた四人は、それぞれ防寒着に身を包み、懐中電灯やカメラなどの調査道具を手にしていた。
「うー、寒い……それに怖い……」
泰河が震え声で呟く。彼の震えが寒さによるものなのか恐怖によるものなのか、もはや本人にも区別がついていないようだった。
「大丈夫? 泰河」
「だ、大丈夫! 男だから!」
陽菜乃の心配そうな声に、泰河が無理やり胸を張る。泰河の声は明らかに上ずっていて、全く説得力がなかった。
「機材の準備はできたよ」
遼が大きなリュックサックを背負いながら言う。中には騒音計、録音機器、電磁波測定器などの科学機器が詰め込まれている。
「遼、いつも本当に頼もしいなぁ」
湊が目を輝かせる。
「これで現象の正体を科学的に解明できるだろ?」
「もし解明されなかったらどうするんですか……」
泰河の弱々しい声に、三人が振り返る。
「その時はその時よ。でも、きっと、なにか意味があるはず」
陽菜乃が首元のお守り袋に軽く触れる。銀の鈴が小さく鳴って、夜の静寂に溶けていった。
「それじゃあ、警備員さんに見つからないよう気をつけて行こう」
遼の合図で、四人は大学構内へと足を向けた。
正門から旧校舎までは徒歩で約十分。普段ならなんでもない道のりだが、夜の闇に包まれた大学構内は昼間とはまるで違う表情を見せていた。街灯の明かりが作り出す影は長く伸び、風に揺れる木々の枝が不気味な形を描いている。
「ねえ、なんか変な音しない?」
泰河が立ち止まって辺りを見回す。
「変な音?」
「ほら……カサカサって……」
「それは落ち葉の音でしょ」
陽菜乃が冷静に指摘すると、泰河は恥ずかしそうに俯いた。
「そ、そうか……でも、なんか普通じゃない気がして……」
「泰河の霊感が反応してるのかもしれないね」
遼が真面目な表情で分析する。
「この大学には長い歴史があるから、様々な想いが残っていても不思議じゃないし」
「うわあ、そんなこと言わないでよ遼先輩!」
泰河が両手で耳を塞ぐ。そのとき、風が吹いて木の枝がざわめいた。
「ひっ! 今、なんか飛んだ!」
「カラスよ。ほら、あそこの街灯にとまってる」
陽菜乃が指差した先に、確かに一羽のカラスが街灯にとまっているのが見えた。カラスはじっとこちらを見つめている。
「なんか見られてる……」
「カラスは夜行性じゃないから、珍しいね」
湊がのんびりと観察していると、カラスは羽ばたいて飛び去っていった。
泰河が胸を撫で下ろす。四人が歩きを再開してしばらくすると、また別の場所でカラスの鳴き声が響いた。
「また来た……」
「気にしすぎよ、泰河」
そうは言うものの、陽菜乃も少し気になっていた。お守り袋の鈴が、微かに震えているような気がするのだ。
旧校舎が見えてきた。昭和時代に建てられた古い建物は、現在は使われておらず、夜の闇の中でひときわ不気味な存在感を放っている。
建物を見上げた途端、泰河の顔が青ざめた。
「どうしたの?」
「な、なんか……三階の窓のところに……」
泰河が指差した方向を見ると、三階の一室だけ、微かに明かりが見えるような気がする。
「電気がついてる?」
「でも使われてない建物だよ?」
湊が首をかしげる。遼が電磁波測定器を取り出して、建物の方向に向けた。
「特に異常な電磁波は検出されないね。でも確かに光は見えるな」
コツコツと足音が響き、建物の入り口近くで警備員のおじさんが見回りをしているのが見えた。
「やば、隠れよう」
四人は慌てて植え込みの陰に身を潜める。警備員は懐中電灯で建物の周囲を照らしながら、ゆっくりと歩いている。
しばらくして警備員の姿が見えなくなると、四人は再び動き出した。
「よし、今のうちに」
旧校舎の裏口から侵入する計画だった。裏口の鍵は古くて、少し力を入れれば開くことができた。四人は足音を立てないよう注意しながら、建物内部に入っていく。懐中電灯の明かりが、古い廊下を照らし出した。
廊下には長年の埃が積もり、かび臭い匂いが漂っている。壁には古いポスターが貼られたままになっており、時代の流れを感じさせる。
「……なんか空気が重い」
泰河が息苦しそうに呟いた。
「大丈夫?」
「うん……でも、なんか嫌な感じが……」
陽菜乃のお守り袋の鈴が、また小さく鳴った。今度は確実に、なにかに反応している。
「三階に上がろう」
遼が階段を指差す。
古い木造の階段は、一歩踏み出すたびにきしむ音を立てる。
二階を通り過ぎ、三階に到着した。廊下は一階と同じような造りだが、より静寂が深く感じられる。
「資料によると、このフロアのどこかに例の教室があるはず」
湊が懐中電灯で資料を照らしながら確認する。
「でも、昼間は見つからないんでしょ?」
「そう。夜にだけ現れるって書いてある」
四人は慎重に廊下を歩き始めた。左右に並ぶ教室のドアには、それぞれ教室番号が書かれた札がかかっている。
「三〇一、三〇二、三〇三……」
湊が一つずつ確認していく。各教室のドアを開けて中を覗いてみるが、どれも普通の古い教室だった。机と椅子が重ねて置かれ、黒板には薄っすらと昔の文字の跡が残っている。
「特に変わったところはないね」
「でも時間はまだ十一時半。もう少し待ってみる?」
陽菜乃の提案に、泰河が震え声で反対する。
「え? まだ待つの? もう十分じゃない?」
不意に、廊下の奥から小さな光が見えた。
「あれ、あそこに明かりが……」
湊が指差した方向を見ると、確かに廊下の一番奥に、微かな光を放つ場所がある。
「あの教室、さっき通ったときはなかったよね?」
「うん、確実に。あそこは行き止まりだったはずだ」
「うそ……まさか……」
泰河の顔が真っ青になる。
「行ってみよう」
遼が測定器を構えながら歩き出す。陽菜乃と湊がそれに続き、泰河は恐る恐る最後についてくる。
光に近づくにつれて、それが確実に教室からのものだとわかってきた。しかし、その教室は確かに昼間の見取り図にはなかった場所にある。
「これが……例の教室?」
湊がささやく。教室の扉にはなんの表示もなく、ただ古い木製のドアがそこにあるだけだった。扉の隙間から漏れる光は、他の教室とは明らかに違う質感を持っている。
「中に入る?」
陽菜乃が振り返ると、泰河が激しく首を振った。
「調査なんてどうでもいい! もう帰ろう!」
泰河の声に合わせるように、扉がゆっくりと開き始めた。誰かが内側から開けているわけではない。扉が自然に、音もなく開いていく。
「うわああああ!」
泰河が陽菜乃の後ろに隠れた。
教室の中は薄暗く、電気はついていない。光源が見当たらないのに灯りが見えるという、不可解な状況。
「これは……音響測定器の数値が……異常だ」
「どんな風に?」
「ほとんどゼロに近い。まるで音を吸収しているような……」
湊と遼のやり取りを横目に、陽菜乃が一歩前に出ようとしたとき、泰河が彼女の腕を掴んだ。
「だめだよ陽菜乃! 入っちゃだめだ!」
「でも……」
「お願い! 本当に危険な気がするんだ!」
泰河の必死の訴えに、陽菜乃は立ち止まった。確かに、お守り袋の鈴の震えが尋常ではない。まるで警告しているかのように。
「みんなで一緒に入ろう。一人だけだと危険だけど、四人一緒なら……」
「そうだね。お互いを見失わないよう、手をつないで入ろう」
湊と遼の提案に、陽菜乃は頷いた。泰河だけは嫌がっていたが、最終的には仲間を見捨てることはできないと観念したようだった。
「絶対に手を離しちゃだめよ」
陽菜乃が念を押す。
「なにがあっても、一緒にいよう」
四人は手をつなぎ、教室の入り口に立った。陽菜乃のお守り袋の鈴が、最後の警告でもするかのように大きく震える。
そして、彼らは足を踏み入れた。
無音の世界へと。
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