消失と追跡、迷い込んだ先は
「乗らないほうがいいよね……?」
泰河の震え声が、静寂を破った。古い電車はゆっくりとホームに滑り込んできて、きしみ音を立てながら停車する。ドアが開いたが、中は真っ暗でなにも見えない。
「でも、ほかに選択肢がないのも事実よ。このホームにいても、なにも解決しない」
千沙が冷静に状況を分析するも、その声には先ほどまでの自信が失われていた。
陽菜乃は電車を見つめながら、胸のお守り袋を握りしめた。銀の鈴が重く冷たい。こんな感触は今まで一度もなかった。
「あたしたち、本当にループしてるのかな」
「そんなわけないでしょ。きっと、似たような構造の駅が複数あるだけよ。錯覚みたいなもの」
千沙が即座に否定する。
でも、その声には確信がない。三人とも薄々気づいていた。これは普通の現象ではない、と。
電車に乗るか、このまま駅に留まるか。陽菜乃が迷っていると、泰河が意外な提案をした。
「ねえ、……階段の先を調べてみない? 改札じゃなかったけど、もっと上に行けば出口があるかもしれない」
「あ、そうね。構内構造が複雑なだけかもしれないし」
三人は再び階段に向かった。今度は、さっき見つけた別の階段を上がってみる。コンクリートの手すりは湿っていて、触ると指に薄緑色の苔のようなものが付いた。
「うわ、気持ち悪……」
泰河が手を振って苔を払い落とす。
階段は思ったより長く続いていた。上がっても上がっても、まだ先がある。蛍光灯の明滅する間隔も、だんだん長くなってきている。暗闇の時間が長くなるたび、三人は足を止めざるを得なくなった。
千沙が息を切らしながら呟く。
「おかしいわね……こんなに長い階段があるわけない」
「でも、引き返すのも……」
陽菜乃が振り返ると、下方は完全な暗闇に包まれていた。
「もう、どこまで上がってきたかもわからない」
そのとき、ようやく階段の終わりが見えた。
「やっと……」
三人がたどり着いたのは、小さな踊り場だった。そこには一つのドアがある。古い木製のドアで、ペンキが剥げてボロボロになっている。
「出口?」
泰河が恐る恐る近づく。
ドアノブに手をかけると、重い感触がした。錆びついているのか、なかなか回らない。力を込めて回すと、なんとか開けることができた。
ドアの向こうに広がっていたのは――。
「街……?」
陽菜乃が息を呑んだ。そこは確かに住宅街だった。しかし、見たことのない風景だった。古い木造住宅が立ち並んでいるが、どの家にも明かりが点いていない。街灯もなく、月明かりだけが薄っすらと道を照らしている。
「ここ、どこ?」
千沙が辺りを見回す。
三人は恐る恐るドアから出た。外の空気は妙に重く、湿っていた。そして気づいたのは、音がまったくないということだった。虫の鳴き声も、風の音も、なにも聞こえない。
「スマホの電波は……」
泰河がスマホを確認する。
「やっぱり圏外だ」
陽菜乃も同じだった。GPSも機能していない。現在地を特定することができない。
「とりあえず、歩いてみましょう。誰か住んでいる家があれば、助けを求められるかもしれない」
三人は細い住宅街の道を歩き始めた。古い家々が両側に立ち並んでいるが、どれも人が住んでいる気配がない。窓はすべて暗く、まるで廃墟のようだった。
「なんか……」
泰河が汗を拭いながら呟く。
「全部、同じ家に見えない?」
言われてみれば、そうだった。木造の二階建て、同じような間取り、同じような外観。まるでコピーアンドペーストしたような家が、延々と続いている。
「気のせいよ」
千沙が答えるが、その声には自信がない。
歩いても歩いても、風景が変わらない。同じような家、同じような道、同じような電信柱。まるで巨大な迷路の中にいるようだった。
そして、ついに千沙の冷静さが限界に達した。
「おかしい!」
彼女が立ち止まって叫んだ。
「こんなこと、あり得ない! 論理的に考えて、こんな現象は……」
「千沙先輩、もしかして、これは普通の現象じゃないのかもしれない」
陽菜乃が静かに声をかける。
「なにを言ってるの? 超常現象なんて――」
「でも、現実に起きてるじゃないですか」
陽菜乃の言葉に、千沙は言葉を失った。確かに、今起きていることを論理的に説明することはできない。
そのとき、遠くに明るい光が見えた。
「千沙先輩、陽菜乃! あそこ!」
泰河が指差す。
三人が駆け寄ってみると、それは小さな商店だった。コンビニのような店だが、看板の文字がぼやけて読めない。でも、中は明るく照らされていて、人がいる気配がした。
「入ってみましょう」
千沙が真っ先にドアに近づいた。
自動ドアは正常に動いた。店内に入ると、普通のコンビニのような商品が並んでいる。しかし、どの商品のラベルも文字がにじんでいて、なにが書いてあるか読めない。
そして、レジの奥から店員が現れた。
中年の男性だったが、その顔は――。
「わ……わあああああ!」
泰河が悲鳴を上げた。
店員の顔には、目も鼻も口もなかった。のっぺらぼうのような、平坦な肌があるだけだった。それなのに、なぜかその店員は三人を「見て」いるような気がした。
「いらっしゃいませ」
声だけは普通に聞こえた。口がないのに、どこから声が出ているのかわからない。
「に、逃げ……逃げよう!」
泰河が陽菜乃の手を引っ張る。三人は店から飛び出した。
外に出ると、さっきまで住宅街だった場所が、いつの間にか駅のホームに変わっていた。同じ薄汚れたコンクリート、同じ明滅する蛍光灯、同じ『4:44』の時刻表示。
「また……戻ってきた」
陽菜乃が呟いた。どれだけ歩いても、階段を上がっても、結局この場所に戻ってきてしまう。
千沙は膝をついて、頭を抱えた。
「わからない……なにもわからない……」
いつも冷静で論理的だった千沙が、初めて弱音を吐いた。
そのとき、線路の向こうから、また古い電車がやってきた。しかし、今度の電車は違っていた。
車両の窓から、明るい光が漏れている。普通の電車の光だった。
近づいてくるにつれて、その正体が明らかになった。窓に映っているのは、明かりではないのを、泰河と千沙は見た。
――それは無数の顔だった。
窓という窓に、人の顔がぎっしりと張り付いている。男性も女性も、子どもも老人も、全員がこちらを見つめている。そして、全員が同じ表情をしていた。
――笑っている。
不気味に、不自然に、口角を上げて笑っていた。
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