未接続の通話履歴
「うわああああああ!」
泰河が絶叫した。無数の笑顔を張り付けた電車は、まるで巨大な化け物のようにゆっくりとホームに近づいてくる。窓の中の顔たちは、全員が同じタイミングで瞬きをした。
「あれに……乗れって言うの?」
千沙は膝から崩れ落ちそうになりながら、震え声でつぶやいた。いつもの冷静さは完全に失われている。
陽菜乃は電車を見つめながら、不思議な感覚を覚えていた。薄っすらと放つ光が車両の中に広がっている。その光はいくつもの意識を持っていて、感情が陽菜乃の中に流れ込んでくる。
「待って……この光……」
陽菜乃は気づいた。この光は最初に一緒に電車から降りたサラリーマンや女子高生たちだと。
「消えたんじゃない……あの電車に……取り込まれたんだ」
陽菜乃が呟く。
「え?」
千沙が顔を上げる。
「あの人たちは、あたしたちと同じように、かつてこの駅に迷い込んだ人たちなのかもしれない。そして、あの電車に乗って……」
「じゃあ、俺たちも乗ったら……」
泰河の顔が真っ青になる。
そのとき、陽菜乃の胸で銀の鈴が鳴った。風もないのに、はっきりと澄んだ音を立てた。
「あれ? 鈴が……光ってる」
陽菜乃が胸のお守り袋を見ると、銀の鈴が微かに光っている。今まで見たことのない現象だった。
「もしかして……」
陽菜乃はゆっくりと電車に近づいた。
「陽菜乃! 危ないってばよ! 視えないくせに突っ込んでくのやめて!」
「泰河の言うとおりよ! あの顔が見えないの!?」
泰河と千沙が制止しようとするが、陽菜乃は歩き続けた。
「大丈夫……あたしには光しか見えてないの」
電車のドアの前に立つと、中の光が一斉に陽菜乃を取り囲んだ。
「お疲れさま」
陽菜乃が小さく呟いた。そして、お守り袋から銀の鈴を取り出し、ゆっくりと鳴らした。
チリン……。
澄んだ音が、静寂の中に響く。
すると、電車の中の顔たちが、一つずつ消えていった。最初に消えたのは、サラリーマンの男性。次に女子高生。彼らの顔が消える瞬間、まるで「ありがとう」と言っているような、そんな表情を見せた。
「消えてる……」
千沙が息を呑む。
全ての顔が消えると、電車は普通の電車に戻った。古びてはいるが、窓にはなにも張り付いていない。ただの、普通の車両だった。
「乗りましょう」
陽菜乃が振り返って言った。
「え? でも……」
泰河が躊躇する。
「大丈夫。もう普通の電車よ」
陽菜乃は確信していた。
「きっと、帰れる。急いで」
三人は恐る恐る電車に乗り込んだ。車内は薄暗いが、先ほどまでの異様な雰囲気はない。座席に座ると、ドアが閉まり、電車がゆっくりと動き出した。
「本当に……帰れるのかな」
泰河が不安そうにつぶやく。
「帰れるわ」
千沙が答えた。先ほどまでの動揺は嘘のように、彼女の声には確信があった。
「あの人たちは、この駅に囚われていたのね。陽菜乃が解放してくれた。きっと、この駅自体が一種の霊的な空間だったのよ」
千沙は普段の冷静さを取り戻していた。
「論理的に説明できない現象だけれど、それでも現実に起こった。アタシたちはそれを目撃したの」
電車は闇の中を走り続けた。やがて、窓の外に見慣れた景色が見えてきた。
「あ……あそこ、知ってる場所」
陽菜乃が顔を上げる。
普通の住宅街、普通の街灯、普通の夜景。現実の世界に戻ってきたのだった。
電車は次の駅で停車した。電光掲示板には、見慣れた駅名が表示されている。
「上町駅……」
泰河が安堵のため息をついた。
「やっと帰ってきた」
三人は電車から降りた。ホームは普通のホームで、時刻表示も正常だった。そしてなにより、スマホの画面に「圏外」ではなく、きちんと電波の表示が出ていた。
「そうだ、通話履歴……」
千沙がスマホを確認する。
「四十四分四十四秒で通話終了になってる。でも、未接続のまま」
「四十四分四十四秒?」
陽菜乃が眉をひそめる。
「四時四十四分と関係あるのかな」
「わからないけれど……とにかく、アタシたちは帰ってきた。それが一番大切なことよ」
千沙がスマホをしまった。
改札を出て、駅前の道路に立つと、普通の夜の風景が広がっていた。車の音、人の話し声、ネオンサインの光。当たり前の現実が、これほど安心できるものだとは思わなかった。
泰河が口を開く。
「あのさ……今日のこと、誰かに話しても信じてもらえないよね」
「当然よ。アタシだって、体験するまでは信じなかったもの」
千沙が苦笑いを浮かべる。
「でも、確かに起こったことなんですよね」
陽菜乃がお守り袋を握りしめる。
「あの人たちも、本当にいたんですよね」
三人は静かに歩き続けた。
「ねえ、千沙先輩。結局、あの都市伝説って本当だったってことになるの?」
泰河が思い出したように言った。
「条件付きでね」
千沙が答える。
「夜の電車で、音楽を聞いていて、通話を試みたとき。そして、きっと霊感のある人が一緒にいたときだけ」
「霊感のある人?」
「陽菜乃よ。彼女がいなかったら、私たちは帰ってこれなかったかもしれない」
陽菜乃は首を振った。
「あたし一人じゃ無理だったと思う。千沙先輩の冷静さも、泰河の勇気も必要だった」
「俺の勇気? 俺、ずっと怖がってただけじゃん」
「でも、最後まで一緒にいてくれた。それが一番大切なことよ」
三人は駅前のコンビニで温かいコーヒーを買い、ベンチに座って夜空を見上げた。
「千沙先輩、明日から、どうします? サークルの活動、続けるんですか?」
「もちろんよ。今日の経験で、都市伝説の研究がより重要だってわかったもの。きちんと記録して、後輩たちに伝えなければ」
千沙が即答する。
「でも、信じてもらえるかな」
「信じてもらう必要はないの。大切なのは、もし同じような状況に遭遇した人がいた時、対処法を知っていること」
陽菜乃の言葉に千沙がうなずく。
「そうね。アタシたちの経験が、誰かの役に立てばいい」
コーヒーを飲み終えると、三人はそれぞれの家に向かった。別れ際、千沙が振り返った。
「今日は……遅くまでありがとう。二人とも」
「こちらこそ。千沙先輩、また一緒に調査しましょうね」
「今度はもう少し安全な都市伝説にしようよ」
泰河が苦笑いを浮かべる。
家に帰った陽菜乃は、お守り袋を机の上に置いて、今日の出来事を思い返した。銀の鈴は、もう普通の鈴に戻っている。でも、確かに今日、あの場所で光った。
都市伝説は、時として真実を含んでいる。
そして、その真実と向き合うためには、仲間が必要だということも。
陽菜乃は日記を開いて、今日の出来事を書き始めた。後日、これをサークルの記録として正式に残すつもりだった。
都市伝説研究サークル『カレイドスコープ』の、新たな一ページが始まろうとしていた。
そして、窓の外では、いつものように電車が走り続けている。
普通の電車が、普通の駅へと向かって。
もしかしたら、どこかで誰かが、あの『虚無駅』に迷い込んでいるかもしれない。
そんなとき、今日の記録が、きっと役に立つだろう。
陽菜乃はそう信じて、ペンを走らせ続けた。
夜が更けていく中で、彼女の部屋の明かりだけが、温かく灯り続けていた。
-☆-★- To be continued -★-☆-
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