『四限後のトンネル』
噂の発端
「うっわ、マジで暑すぎる……」
「お疲れさま」
「陽菜乃は涼しい顔してるけど、暑くないの?」
「別に。慣れたし」
実際のところ、陽菜乃も相当暑いのだが、汗だくで入ってきた泰河を見ていると、なんとなく涼しいふりをしたくなってしまう。陽菜乃なりの意地なのかもしれない。
「あー、もう無理。死ぬ」
泰河は机に突っ伏すと、大げさに息を荒らげた。彼の額には汗が浮かび、前髪が湿って額に貼り付いている。四限目の民俗学概論から直行してきたのだが、教室から部室まで歩くだけでこの有様である。
「死なないから大丈夫」
「根拠は?」
「今まで死んでないから」
「それ根拠になってないでしょ」
いつものような他愛もない掛け合いが始まったとき、部室のドアが再び開いた。
「お疲れさまでーす」
晴音が顔を出す。晴音もまた汗ばんでいるが、泰河ほど派手ではない。手には大きなペットボトルと、コンビニの袋を抱えている。
「晴音、なに買ってきたの?」
「アイス。みんなのぶんも」
「晴音は天使か」
泰河も顔を上げ、感動的な表情を浮かべた。
「天使じゃないけど……でも、喜んでもらえて良かった」
三人がアイスを分け合っていると、またしてもドアが開く音がした。今度は上級生たちだった。
「よっ、お疲れさま!」
「あ、アイス食べてる。ずるい」
悠斗がすかさず晴音に詰め寄る。
「す、すみません。先輩のは……」
「冗談だって。でも一口ちょうだい」
「はい!」
晴音は慌てたように自分のアイスを悠斗に差し出した。その様子を見て、陽菜乃は小さく笑みを浮かべる。晴音の人見知りも、最近はだいぶ改善されてきている。
「それにしても、今日は特に暑いな」
真澄がハンカチで額の汗を拭いながら言う。
「マジで。四限の教室、地獄だったんですよ……B棟の二階。あそこのエアコン、完全に死んでますね」
「あー、あの辺りね。確かにあそこは暑い。でも、B棟って地下に涼しい通路があるじゃない? あそこ通れば少しはマシなのに」
「Bトンネル?」
湊が首をかしげる。
「そうそう。B棟と図書館を繋いでる地下通路。夏場は結構重宝するのよ」
「あー、あのトンネル。でも最近、あそこで変な噂があるらしいよ」
遼が眼鏡を直しながら言った。
「変な噂?」
陽菜乃が振り返る。
「なんでも、四限が終わって、四時過ぎにあのトンネルを通った学生が、そのまま行方不明になるっていう話」
「行方不明って……まさか」
陽菜乃の表情が少し真剣になった。
「学食で隣の席にいた人たちが話してた。なんでも、友だちの友だちが実際に行方不明になったとか」
「友だちの友だちねえ。典型的な都市伝説のパターンじゃん」
悠斗が苦笑いを浮かべる。
「でも、一応調べてみる価値はあるんじゃないですか?」
「調べるって、なにを?」
「実際に失踪者がいるのか、とか。噂の出所とか」
「陽菜乃らしいね。確かに、我々のサークルとしては見過ごせない案件かもしれない」
提案する陽菜乃に、真澄が微笑む。
「えー、でも暑いし面倒くさいですよ」
「泰河は来なくて良いよ」
不満たらたらな泰河に、陽菜乃があっさりと言い放つ。
「ちょっと待てよ。なんで俺だけ仲間はずれなんだよ」
「怖がるから」
「怖がらないし」
「嘘つき」
「嘘じゃない!」
泰河の声が裏返る。その様子を見て、部室にいた全員が笑い出した。
「でも本当に調べるなら、ちゃんとした情報収集からじゃないですか?」
晴音が控えめに口を開く。
「そうだね。まずは事実確認から。実際に失踪者がいるのかどうか、それを確かめないと始まらない」
真澄がそう答えると、千沙が頷いた。
「アタシに任せて」
「え?」
「学生相談室に知り合いがいるの。そこで聞けば、もし本当に行方不明者が出てるなら、なんらかの情報があるはず」
「おお、さすが千沙」
悠斗が手を叩く。
「でも、個人情報とかで教えてもらえないんじゃ……」
湊が心配そうに言う。
「大丈夫。その辺は上手くやるから」
千沙は既にスマホを取り出していた。
「今から?」
「思い立ったら吉日よ」
千沙は手際よく電話をかけ始める。部室は一瞬静かになり、千沙の電話の声だけが響いた。
「……そうですか。ありがとうございます。また後でお邪魔します」
千沙が電話を切る。部室の全員が彼女を見つめた。
「どうだった?」
真澄が尋ねる。
「……実際にいるって」
千沙の表情が急に深刻になった。
「え?」
「行方不明者。過去一ヶ月で二人」
部室の空気が一変した。さっきまでの和やかな雰囲気が消え、緊張感が漂い始める。
「マジで?」
悠斗の声も、いつもより低い。
「詳しい話は直接聞かないとダメだけど、確実に二人の学生が、Bトンネル周辺で最後に目撃された後、行方不明になってる。ただ、警察は『家出』として処理してるらしい。特に事件性は認めていないって」
「でも、二人とも同じ場所で、同じ時間帯に消えてるんだろ? 普通に考えて、偶然じゃないよね」
遼が冷静に分析する。
「じゃあ、やっぱり調べる?」
泰河が恐る恐る尋ねる。
「そうだね。これは正式なサークル活動として取り組もう。ただし、いつものように安全第一で」
真澄が立ち上がる。
「賛成」
千沙が手を挙げると、遼、湊、悠斗も次々と手を挙げた。
「じゃあ、決まりですね」
陽菜乃が微笑む。
「ちょっと待てよ! 俺の意見は?」
泰河が慌てたように立ち上がる。
「どうせ反対でしょ?」
「そりゃそうだけど……でも、陽菜乃が行くなら俺も行く」
「無理しなくて良いって」
「無理じゃない! 陽菜乃一人じゃ心配だし、それに……俺も、この大学の学生だから。他人事じゃないし」
陽菜乃は少し驚いたような顔をしたあと、にっこりと笑った。
「ありがと、泰河」
「べ、別に礼を言われるようなことじゃ……」
「ワタシも一緒に行きます」
晴音が手を挙げる。
「晴音も?」
「記録係として。カメラとか、録音機器とか、ワタシが一番詳しいですし」
「そうね。心強い」
千沙がうなずく。
「じゃあ、調査チームは陽菜乃、泰河、晴音の三人で決まりだね? 僕たちは情報収集とサポートに回るよ」
真澄がそう言ってくれたことも心強い。
「もし少しでも危険を感じたら、すぐに撤退するように」
「わかりました」
パン、と手を打った千沙が立ちあがった。
「それじゃあ、明日から本格的に調査開始ね。まず学生相談室で詳しい話を聞いて、それから現場確認」
「はい」
陽菜乃がうなずく。彼女の首元で、銀の鈴が小さく光って見えた。今回の件は、前の都市伝説とは明らかに性質が違う。実際に人が消えている。それも、リアルタイムで。
陽菜乃の首元で、銀の鈴がひっそりと揺れていた。
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