異変の兆し
翌日の午後三時半。陽菜乃、泰河、晴音の三人は、B棟の地下入口前に集合していた。
「それで、千沙先輩からの情報はどうだった?」
「うん……失踪したのは二人。一人目は三年生の
陽菜乃がメモを確認しながら答える。
「もう一人は?」
「一年生の
「でも出てくる姿は映ってない、と」
泰河が青ざめた顔で確認すると、陽菜乃はそれに頷いて答えた。
「そういうこと。どちらも最後の目撃情報はこのトンネル。そして時刻は午後四時台」
陽菜乃は地下への階段を見下ろした。コンクリート製の無機質な階段が、薄暗い地下へと続いている。昼間でも照明が必要な場所だった。
「で、どうする?いきなり四時に突入?」
泰河が恐る恐る尋ねる。
「まずは下見よ。今の時間帯なら安全でしょ」
三人は階段を降り始めた。地下に入ると、外の暑さが嘘のように涼しくなる。確かに夏場には重宝しそうな場所だった。
「意外と明るいね」
晴音がカメラのファインダーを覗きながら言う。
「蛍光灯が等間隔で設置されてるからね」
陽菜乃が答える。トンネルは思っていたよりも広く、大人が三人並んで歩けるほどの幅がある。天井も十分な高さがあり、圧迫感はない。
「これなら普通に便利な通路だよね? なんで変な噂が立つのかな?」
泰河が辺りを見回す。
「それを調べに来たんでしょ」
陽菜乃が歩きながら答える。
トンネルの長さは約二百メートル。B棟と図書館を最短距離で結んでいる。途中にいくつかの分岐があり、それぞれ別の建物へと続いているようだった。
「分岐が多いね。迷子になりそう」
晴音が録音機器のレベルを確認しながら言う。
「案内板があるから大丈夫よ」
陽菜乃が壁に設置された案内板を指差す。確かに、各分岐には行き先が明記されている。
「でも、もし案内板が見えなくなったら?」
泰河が心配そうに言う。
「大丈夫。今は昼間だし、なにも起こらない」
陽菜乃がなだめるように言う。しかし、彼女自身も胸元のお守り袋を無意識に握っていた。
三人がトンネルの中程まで来たとき、陽菜乃が立ち止まり、泰河が振り返った。
「陽菜乃? どうした?」
「なんか……変な感じがする。うまく説明できないけど、この辺りだけ空気が違うような」
陽菜乃は辺りを見回した。特に変わったものは見当たらない。普通のコンクリート製のトンネルだった。
「でも確かに、この辺りだけ少し冷えてる気がする」
泰河が腕をさすりながら言う。晴音は温度計を取り出して確認してみた。
「本当だ。他の場所より二度くらい低い」
「地下だからじゃない?」
「でも、さっき通った場所はもっと暖かかった」
陽菜乃が足元を見ると、床に小さなシミのようなものがあることに気づいた。
「これ、なんだろう?」
「どれ?」
泰河と晴音が近づく。
「この黒っぽいシミ」
よく見ると、コンクリートの床に不規則な形の染みがいくつかついている。古いもののようで、完全には落ちていない。
「工事の時の汚れじゃない?」
泰河の推測に、晴音は染みをカメラで撮影しながら答えた。
「でも、変な形してる。まるで……」
「まるで?」
「人の形みたい」
三人は顔を見合わせた。確かに、染みをよく見ると、人が倒れたような形に見えなくもない。
「うわうわうわ……ゾッとした! 鳥肌がヤバい!」
「偶然よ。人間は意味のないものにも意味を見出しがちだから」
陽菜乃が首を振る。
「そうだよね」
泰河がほっとしたような顔をする。
三人はトンネルの出口まで歩き、図書館側から振り返った。
「やっぱり普通のトンネルだね」
晴音が機材をしまいながら言い、時計を確認する。
「午後三時四十五分。そろそろ四時になるよ」
「もう?」
泰河が慌てたように時計を見る。
「今日は様子見だけにしようか。四時になったらどうなるか、遠くから観察する」
「それが良いね」
陽菜乃の提案に晴音が同意する。
三人は図書館の入口付近に移動し、トンネルの出口を見張ることにした。
そして午後四時ちょうど。
「あ」
泰河が突然声を上げた。
「どうしたの?」
「なんか……気配が変わった」
陽菜乃も胸元のお守り袋に手をやる。確かに、銀の鈴が微かに震えているような気がする。
「本当? 音は特に変化ないけど……」
晴音が録音機器のレベルメーターを見ながらメモを取る。
「でも確実になにかが変わった……トンネルの中に、なにかいる。人じゃないなにかが……」
泰河の顔が青ざめている。
陽菜乃は銀の鈴の震えが強くなっているのを感じていた。間違いない。トンネルの中に、異常な存在がいる。
「すごい……本当になにかいるんだ」
晴音が興奮したような声を出す。
「興奮してる場合じゃないってばよ……」
泰河が情けない声を出す。
その時、トンネルの中から足音が聞こえてきた。
「誰か来る」
陽菜乃が身を乗り出してトンネルを見つめた。
足音は徐々に近づいてくる。そして、トンネルの出口から一人の男子学生が姿を現した。
「あ、普通の人だった……今の人、大丈夫だったみたいね」
陽菜乃が安堵する。
「でも、さっきの気配は本物だった。絶対になにかいる」
泰河が強く主張する。
「あたしも感じた。でも、直接的な害はないみたい」
三人は三十分ほど観察を続けたが、それ以上の異常は起こらなかった。午後四時半を過ぎると、泰河の感じていた異様な気配も消えたという。
「とりあえず、今日はここまでにしましょ。午後四時台に、確実になにかがトンネル内に現れる。でも、それが直接的に人を襲うわけではないみたい」
「じゃあ、なんで人が消えるんだよ?」
「それがこれから調べることよ」
三人は図書館を後にした。夕日が西に傾き、キャンパスに長い影を落とし始めている。
「今日は昼間の調査だったけど、失踪事件が起きるのは夕方以降でしょ?もう少し遅い時間帯の調査も必要よね」
「やっぱりそうなるよね……」
泰河が項垂れる。
「明日も調査するの?」
晴音が尋ねる。
「もちろん。でも、今度はもう少し準備を整えてから。それに真澄先輩たちにも報告しなきゃ」
「そうだな」
三人は部室に向かって歩き始めた。陽菜乃の胸元で、銀の鈴が夕風に揺れている。今日の調査で、彼女は確信していた。このトンネルには、間違いなく超常的な存在がいる。そして、それが失踪事件の鍵を握っている。
問題は、それがどのような存在で、なぜ人を消すのか、ということだった。今度は、もう少し踏み込んだ調査が必要になるだろう。
「陽菜乃、どうかした?」
泰河が心配そうに声をかける。
「ううん、なんでもない。ただ、明日が楽しみってだけよ」
「楽しみって……普通の人は心霊調査を楽しみにしないよ」
泰河が苦笑いを浮かべる。
「あたしは普通じゃないから」
「それは確かに」
三人の笑い声が、夕暮れのキャンパスに響いた。しかし、その背後で、Bトンネルの地下深くでは、なにかが静かに動き始めているのだった。明日の午後四時を、じっと待ちながら。
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