異変の兆し

 翌日の午後三時半。陽菜乃、泰河、晴音の三人は、B棟の地下入口前に集合していた。


「それで、千沙先輩からの情報はどうだった?」


「うん……失踪したのは二人。一人目は三年生の相良健太さがらけんた。先月の二十二日、午後四時頃にこのトンネルで友人に目撃された後、行方不明」


 陽菜乃がメモを確認しながら答える。


「もう一人は?」


「一年生の山本小奈美やまもとこなみ。今月の五日、やっぱり午後四時頃。こっちは防犯カメラにトンネルに入っていく姿が映ってた」


「でも出てくる姿は映ってない、と」


 泰河が青ざめた顔で確認すると、陽菜乃はそれに頷いて答えた。


「そういうこと。どちらも最後の目撃情報はこのトンネル。そして時刻は午後四時台」


 陽菜乃は地下への階段を見下ろした。コンクリート製の無機質な階段が、薄暗い地下へと続いている。昼間でも照明が必要な場所だった。


「で、どうする?いきなり四時に突入?」


 泰河が恐る恐る尋ねる。


「まずは下見よ。今の時間帯なら安全でしょ」


 三人は階段を降り始めた。地下に入ると、外の暑さが嘘のように涼しくなる。確かに夏場には重宝しそうな場所だった。


「意外と明るいね」


 晴音がカメラのファインダーを覗きながら言う。


「蛍光灯が等間隔で設置されてるからね」


 陽菜乃が答える。トンネルは思っていたよりも広く、大人が三人並んで歩けるほどの幅がある。天井も十分な高さがあり、圧迫感はない。


「これなら普通に便利な通路だよね? なんで変な噂が立つのかな?」


 泰河が辺りを見回す。


「それを調べに来たんでしょ」


 陽菜乃が歩きながら答える。

 トンネルの長さは約二百メートル。B棟と図書館を最短距離で結んでいる。途中にいくつかの分岐があり、それぞれ別の建物へと続いているようだった。


「分岐が多いね。迷子になりそう」


 晴音が録音機器のレベルを確認しながら言う。


「案内板があるから大丈夫よ」


 陽菜乃が壁に設置された案内板を指差す。確かに、各分岐には行き先が明記されている。


「でも、もし案内板が見えなくなったら?」


 泰河が心配そうに言う。


「大丈夫。今は昼間だし、なにも起こらない」


 陽菜乃がなだめるように言う。しかし、彼女自身も胸元のお守り袋を無意識に握っていた。

 三人がトンネルの中程まで来たとき、陽菜乃が立ち止まり、泰河が振り返った。


「陽菜乃? どうした?」


「なんか……変な感じがする。うまく説明できないけど、この辺りだけ空気が違うような」


 陽菜乃は辺りを見回した。特に変わったものは見当たらない。普通のコンクリート製のトンネルだった。


「でも確かに、この辺りだけ少し冷えてる気がする」


 泰河が腕をさすりながら言う。晴音は温度計を取り出して確認してみた。


「本当だ。他の場所より二度くらい低い」


「地下だからじゃない?」


「でも、さっき通った場所はもっと暖かかった」


 陽菜乃が足元を見ると、床に小さなシミのようなものがあることに気づいた。


「これ、なんだろう?」


「どれ?」


 泰河と晴音が近づく。


「この黒っぽいシミ」


 よく見ると、コンクリートの床に不規則な形の染みがいくつかついている。古いもののようで、完全には落ちていない。


「工事の時の汚れじゃない?」


 泰河の推測に、晴音は染みをカメラで撮影しながら答えた。


「でも、変な形してる。まるで……」


「まるで?」


「人の形みたい」


 三人は顔を見合わせた。確かに、染みをよく見ると、人が倒れたような形に見えなくもない。


「うわうわうわ……ゾッとした! 鳥肌がヤバい!」


「偶然よ。人間は意味のないものにも意味を見出しがちだから」


 陽菜乃が首を振る。


「そうだよね」


 泰河がほっとしたような顔をする。

 三人はトンネルの出口まで歩き、図書館側から振り返った。


「やっぱり普通のトンネルだね」


 晴音が機材をしまいながら言い、時計を確認する。


「午後三時四十五分。そろそろ四時になるよ」


「もう?」


 泰河が慌てたように時計を見る。


「今日は様子見だけにしようか。四時になったらどうなるか、遠くから観察する」


「それが良いね」


 陽菜乃の提案に晴音が同意する。

 三人は図書館の入口付近に移動し、トンネルの出口を見張ることにした。

 そして午後四時ちょうど。


「あ」


 泰河が突然声を上げた。


「どうしたの?」


「なんか……気配が変わった」


 陽菜乃も胸元のお守り袋に手をやる。確かに、銀の鈴が微かに震えているような気がする。


「本当? 音は特に変化ないけど……」


 晴音が録音機器のレベルメーターを見ながらメモを取る。


「でも確実になにかが変わった……トンネルの中に、なにかいる。人じゃないなにかが……」


 泰河の顔が青ざめている。

 陽菜乃は銀の鈴の震えが強くなっているのを感じていた。間違いない。トンネルの中に、異常な存在がいる。


「すごい……本当になにかいるんだ」


 晴音が興奮したような声を出す。


「興奮してる場合じゃないってばよ……」


 泰河が情けない声を出す。

 その時、トンネルの中から足音が聞こえてきた。


「誰か来る」


 陽菜乃が身を乗り出してトンネルを見つめた。

 足音は徐々に近づいてくる。そして、トンネルの出口から一人の男子学生が姿を現した。


「あ、普通の人だった……今の人、大丈夫だったみたいね」


 陽菜乃が安堵する。


「でも、さっきの気配は本物だった。絶対になにかいる」


 泰河が強く主張する。


「あたしも感じた。でも、直接的な害はないみたい」


 三人は三十分ほど観察を続けたが、それ以上の異常は起こらなかった。午後四時半を過ぎると、泰河の感じていた異様な気配も消えたという。


「とりあえず、今日はここまでにしましょ。午後四時台に、確実になにかがトンネル内に現れる。でも、それが直接的に人を襲うわけではないみたい」


「じゃあ、なんで人が消えるんだよ?」


「それがこれから調べることよ」


 三人は図書館を後にした。夕日が西に傾き、キャンパスに長い影を落とし始めている。


「今日は昼間の調査だったけど、失踪事件が起きるのは夕方以降でしょ?もう少し遅い時間帯の調査も必要よね」


「やっぱりそうなるよね……」


 泰河が項垂れる。


「明日も調査するの?」


 晴音が尋ねる。


「もちろん。でも、今度はもう少し準備を整えてから。それに真澄先輩たちにも報告しなきゃ」


「そうだな」


 三人は部室に向かって歩き始めた。陽菜乃の胸元で、銀の鈴が夕風に揺れている。今日の調査で、彼女は確信していた。このトンネルには、間違いなく超常的な存在がいる。そして、それが失踪事件の鍵を握っている。


 問題は、それがどのような存在で、なぜ人を消すのか、ということだった。今度は、もう少し踏み込んだ調査が必要になるだろう。


「陽菜乃、どうかした?」


 泰河が心配そうに声をかける。


「ううん、なんでもない。ただ、明日が楽しみってだけよ」


「楽しみって……普通の人は心霊調査を楽しみにしないよ」


 泰河が苦笑いを浮かべる。


「あたしは普通じゃないから」


「それは確かに」


 三人の笑い声が、夕暮れのキャンパスに響いた。しかし、その背後で、Bトンネルの地下深くでは、なにかが静かに動き始めているのだった。明日の午後四時を、じっと待ちながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る