『七限目の授業』
時空の異常
十月中旬の午後、大学の古い建物の一角にある都市伝説研究サークル『カレイドスコープ』の部室は、いつものように賑やかな雰囲気に包まれていた。
「うわあああああ! なにこの化け物!」
突然響いた絶叫に、部室にいた全員が振り返る。声の主は一年生の
「泰河、また大袈裟なリアクションしてる」
同じく一年生の
「大袈裟って言うけど、見ろよこの絵! 鬼の顔が三つもあるんだぞ! しかも血まみれの牙が――」
「それは三面鬼王という室町時代の伝承よ」
紅葉が落ち着いた声で説明すると、泰河はさらに青ざめて震え上がった。
「室町時代から続く化け物って、もしかして今でも——」
「いるわけないでしょ」
陽菜乃がきっぱりと否定すると、部室の奥から穏やかな笑い声が聞こえてきた。
「でも、否定しきれないのが都市伝説の面白いところだよね」
声の主は四年生の
「真澄先輩、またなにかか面白い情報があるんですか?」
一年生の
「うん、実は今朝、興味深いメールが届いてね」
真澄は部室の中央にあるテーブルに歩み寄り、ノートパソコンの画面を皆に見えるよう向けた。
「読んでみるよ。『都市伝説研究サークル カレイドスコープ 御中。経済学部二年の
泰河が恐々とした様子で近づいてくる。陽菜乃も手を止めて真澄の方を向いた。
「『友人の
「精神的な問題じゃないの?」
晴音が首をかしげると、真澄は続きを読み上げた。
「『そして毎日夕方になると、「七限目の授業に出なきゃ」と言って講義棟の三〇二教室に向かうんです。でも、うちの大学に七限目なんてありません。友人を止めようとしても、まるで私が見えていないみたいで』」
「七限目?」
陽菜乃が眉をひそめる。確かに彼らの大学は六限目までしかない。
「『初めは単なる勘違いだと思っていました。でも昨日、こっそり後をつけてみたんです。すると三〇二教室に明かりが灯って、中で本当に授業が行われていたんです。見たことのない老人の教授が、黒板に向かってなにかを書いていて』」
「うそ!」
泰河が声を裏返らせた。
「『怖くなってその場を離れましたが、一時間後に戻ってみると教室は真っ暗でした。友人は「今日も良い授業だった」と満足そうでした。どうか、友人を助けてください』」
真澄がメールを読み終えると、部室は静寂に包まれた。
「これは……」
二年生の
「時間認識の異常と、存在しないはずの授業。興味深い現象ですね」
「興味深いって、遼先輩、これヤバくない?」
泰河がガタガタと震えながら言うと、遼は眼鏡を押し上げた。
「時間認識の歪みは、精神的な影響だけでなく、なんらかの超常現象が関与している可能性もある」
「超常現象って」
陽菜乃が首元のお守り袋に手を触れる。銀の鈴が小さく鳴った。
「時間の流れが歪む場所というのは、各地で報告されているわ~」
紅葉が本を閉じながら言った。
「特に、強い感情や未練を持った霊が関与する場合、時空に異常をきたすことがある。『永劫回帰の呪い』や『時の番人』といった伝承も、そうした現象を説明するものよ~」
「時の番人……」
真澄が興味深そうに呟く。
「都市伝説として扱うには、あまりに具体的すぎる情報だね。調査する価値がありそうだ」
「ちょっと待てよ!」
泰河が慌てて手を振った。
「時間がおかしくなる場所に行くなんて、危険すぎるって! もし俺たちも同じようになったらどうするんだよ!」
「でも、困ってる人がいるんでしょ? それに、もし本当に超常現象なら、あたしの力で何とかできるかもしれない」
彼女の言葉に、部室の空気が少し引き締まった。陽菜乃の持つ浄霊能力は、サークルメンバーも知るところだった。
「そうだね」
遼が頷く。
「真澄先輩、まずは現地調査から始めましょう。科学的なアプローチで検証すれば、真相が見えてくるはずです」
「泰河の霊感も、現場では重要な判断材料になる」
真澄が泰河の肩に手を置くと、泰河は情けない顔をした。
「俺の霊感なんて、ただ怖いものが視えるだけだよ……」
「それでも大切な能力よ」
晴音がカメラを持ち上げながら言った。
「あたしも記録係として同行する。きっと面白い映像が撮れるはず」
「面白いって、晴音は怖くないのかよ?」
「怖いけど、それ以上に興味が勝つのよね」
晴音が苦笑いを浮かべると、陽菜乃も小さく笑った。
「じゃあ決まりだ。調査チームは陽菜乃、泰河、晴音の一年生組と、分析担当で遼が同行」
真澄が指を折りながら確認する。
「今日は木曜日だから、明日の夕方に現地に向かおう。メールの内容が事実なら、明日も七限目の授業が行われるはずだ」
「うう……」
泰河が情けない声を上げたが、誰も止めようとはしなかった。
「ねえ泰河」
陽菜乃が振り返る。
「時間がおかしくなるなんて、タイムマシンみたいでちょっとカッコよくない?」
「カッコいいわけないだろ! 時間が止まったら、俺、永遠に今の年齢のままじゃん! 就職もできないし、結婚もできないし――」
「そんな心配する前に、まずは彼女、作ったらどう?」
「ひ、ひどい!」
陽菜乃と泰河の掛け合いに、部室に久しぶりの笑い声が響いた。ただ、真澄だけは窓の外を見つめながら、微かに眉をひそめていた。
夕日が大学の建物を赤く染める中、講義棟の三〇二教室がある方角に、なにか不穏な影がゆらめいているような気がしてならなかった。
*****
翌日の夕方、調査チームは講義棟の前に集合した。既に多くの学生が帰宅したあとで、建物は静寂に包まれている。
「空気が重いね」
遼が冷静に観察する。
「やっぱりヤバい場所だよ!」
泰河が早速震え上がる。
「まだ、なにも起きてないでしょ」
「でも、でも、なにかがいる! 俺の霊感がビンビン反応してる!」
泰河の言葉に、一同の表情が引き締まった。彼の霊感は、時として科学機器よりも正確だということを皆知っていた。
「とりあえず、中に入りましょう」
遼が先頭に立って講義棟の入り口に向かう。夜間でも一部の入り口は開放されているため、侵入に問題はない。
薄暗い廊下を歩いていると、突然、泰河が立ち止まった。
「ちょっと待って……足音がする」
一同が耳を澄ませると、確かに上の階から足音らしき音が聞こえてきた。しかし、それは普通の足音ではない。まるで時間がゆっくりと流れているかのような、不自然にゆったりとしたリズムだった。
そして、講義棟の三階、三〇二教室の窓に、突然明かりが灯った。
調査が、今始まろうとしていた。
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