見えない力と視える恐怖

 翌日の昼休み。陽菜乃は学食で一人、サラダと照り焼きチキン定食を前に教科書を広げていた。昨夜の出来事は夢だったのかと思うほど、今日は平穏な一日だった。


「あの、宮野さん」


 振り返ると、昨夜会った岸本泰河が恐る恐るといった様子で立っていた。昼間に見る彼は意外と整った顔立ちをしており、清潔感のある白いシャツに黒いカーディガンという服装も好印象だった。けれど、相変わらず少し怯えたような表情をしている。


「岸本くん。昨日はありがとうございました。座ってください」


 陽菜乃は向かいの席を指した。泰河は安堵の表情を浮かべて腰を下ろす。


「実は……昨夜のこと、本当にあったことなのか確認したくて」


「うん、あたしもです。この鈴、今朝からずっと静かなんです」


 陽菜乃は胸元の鈴を指した。泰河は興味深そうにそれを見つめる。


「不思議ですね。俺も昨夜からなにも視えてないんです。いつもなら、大学内でも、その……霊らしきものを見かけることがあるんです。でも昨夜から全然。まるで宮野さんの鈴が、俺の周りを守ってくれてるみたいで」


 泰河の言葉に、陽菜乃は少し驚いた。自分の力がそこまで及んでいるとは思わなかった。


「そうなんですね。あたし自身、この力のことはまだ良くわからないんです。子どものころから、このお守りを持ってて……なんとなく……」


「家族から?」


「祖母からです。『いつか必要になるときが来る』って言われて。でも祖母も詳しくは教えてくれなくて」


 二人が真剣に話し込んでいると、隣のテーブルから声がかけられた。


「面白い話をしているね」


 隣にいたのは、上品な顔立ちの男性だった。黒髪を綺麗に整え、白いシャツに紺のジャケット。年上に見えるが、学生らしい雰囲気も感じられる。


「あの、すみません、どちら様でしょうか?」


 陽菜乃が丁寧に尋ねると、男性は優雅に微笑んだ。


「これは失礼。都市伝説研究サークル『カレイドスコープ』の代表、市倉真澄いちくらますみです。四年生です」


「都市伝説研究サークル?」


 泰河が興味深そうに身を乗り出した。


「その通り。キミたちが話していた『十三段目の階段』の件、実は僕たちのサークルでも以前から注目していたんだ」


 真澄の言葉に、陽菜乃と泰河は驚いて顔を見合わせた。


「十三段目の階段って、有名な話なんですか?」


「うん。文学部棟の脇の階段だろう? 夜中に一人で通ると、十二段しかないはずなのに十三段目が現れる。そして、その段を踏んだものは別の世界に引きずり込まれる……そんな都市伝説だよ」


 真澄は泰河の隣に座りなおすと、興味深そうに二人を見つめた。


「でも、実際に体験した人の証言を聞くのは初めてだよ。特にキミたち二人のような、特殊な能力を持った人たちの証言はね」


 陽菜乃は思わず胸元の鈴を押さえた。真澄はそれを見逃さなかった。


「その鈴、ただのお守りじゃないでしょう?」


「どうして……」


「僕にも少し、そういう感覚があるんだ。キミの鈴からは不思議な力を感じる。そしてキミ」


 真澄は泰河に向き直った。


「キミはタイプ。霊感の強い人特有の雰囲気がある」


 泰河は慌てて手をひらひらと振った。


「い、いえ! 俺はそんな……ただの怖がりで……」


「謙遜しなくてもいいよ」


 穏やかに微笑む真澄は、さらに続ける。


「僕たちのサークル理念は『都市伝説は声なき真実の集合体』なんだ。表面的な怖い話ではなく、その背後にある真実を探ること。そのためには、キミたちのような感性を持った人の協力が不可欠」


「でも、俺たちはただの一年生で……」


 泰河が遠慮がちに言うと、真澄は首を振った。


「経験や年齢は関係ないよ。大切なのは、真実に向き合う勇気と、適切な能力だ。キミたちにはその両方がある」


 そんなとき、食堂の入り口から陽気な声が響いた。


「真澄! こんなところにいたのか!」


 振り返ると、オレンジ色の髪にスクエアメガネをかけた男性が手を振りながら近づいてくる。服装もカジュアルながらセンスが良く、市倉とは対照的な印象だ。


「翔也、もう少し静かに……」


「おっと、失礼失礼! で、この子たちが例の?」


 翔也と呼ばれた男性は、陽菜乃と泰河を興味深そうに見回した。


伊吹翔也いぶきしょうやです。カレイドスコープの副代表やってます! よろしく!」


 翔也の人懐っこい笑顔に、陽菜乃は自然と微笑み返した。対照的に、泰河は少し身を縮こまらせている。


「あれあれ? キミ、もしかして人見知り?」


「いえ、そういうわけでは……」


「大丈夫大丈夫! 俺も最初はシャイボーイだったから! っていうかキミ、昨夜、文学部棟でガタガタ震えてた子だよね?」


 泰河は驚いて翔也を見た。


「え? どうして……」


「実は俺もタイプなんだ。キミの恐怖心、建物から離れてても感じ取れたよ」


 翔也の告白に、泰河は安堵の表情を浮かべた。自分と同じような人がいる、しかも先輩で、こんなに明るく振る舞えるということに希望を感じたのだ。


「でも伊吹さんは、全然怖がってませんよね?」


「慣れだよ、慣れ! 最初はビビリまくりだったけど、このサークルで色々な体験を重ねるうちに、少しずつ慣れてきた。だから大丈夫だよ」


 四人のテーブルに、食堂の奥からさらに人影が近づいてきた。今度は三人組だ。

 一人目は長い黒髪の美しい女性で、知的な雰囲気を漂わせている。二人目は金髪の男性で、まるでモデルのような華やかな外見。そして三人目は、古風な雰囲気の小柄な女性だった。


「真澄センパイ。新人さんの勧誘中?」


 黒髪の女性が涼しげな声で尋ねた。


「三人とも、タイミングが良いね。紹介するよ」


 真澄は立ち上がると、三人を順番に紹介した。


瀬尾千沙せおちさ、三年生。分析担当で、オカルト懐疑主義者なんだ」


 千沙は軽く会釈した。その目が陽菜乃と泰河を値踏みするように見つめている。


香月悠斗かげつゆうと、同じく三年生。渉外とイベント担当」


 悠斗は満面の笑みで手を振った。


「よろしく! キミたちが噂の新人ちゃんたちね!」


「そして三好紅葉みよしもみじ、妖怪民俗学の専門家です」


 紅葉は、古風なロングスカートに手編みのカーディガンという服装で、まるで大正時代から抜け出してきたような雰囲気だった。


「はじめまして~。あなたたち、とても興味深いオーラを放ってますね~。でも、もっと興味深いのは、あなたの能力です。霊が見えないのに除霊ができるなんて、とても珍しいケースですよ~」


 陽菜乃は困惑した。昨夜のことをどこで知ったのだろうか。


「あ、気にしないで~。翔也先輩から聞いたんです~」


 翔也が苦笑いを浮かべながら手を挙げた。


「ごめんごめん、報告は必要だからさ。ところで二人とも、今度うちのサークル見学に来ない?」


 翔也は陽菜乃と泰河の肩を軽く叩いた。


「でも……」


 泰河が躊躇していると、真澄が優しく微笑んだ。


「無理強いはしないよ。ただ、キミたちのような人に出会えることは滅多にない。もしよければ、一度部室を見に来てよ」


 陽菜乃は泰河を見た。泰河も陽菜乃を見返す。二人の間に、無言の会話が交わされた。


「……わかりました。見学だけなら」


「やった! じゃあ、早速、今日の放課後、部室で待ってるから!」


 悠斗が飛び跳ねそうな勢いで喜んだ。


「あ、でも覚悟はしといてね~。うちの部室、ちょっと変わってるから~」


 紅葉の意味深な言葉に、泰河の顔が青ざめた。


「だ、大丈夫ですよね?」


「大丈夫だよ! 死人は出てないから!」


 翔也の冗談に、泰河はさらに青くなった。陽菜乃は慌てて彼をなだめる。


「岸本くん、大丈夫。あたしも一緒です」


 こうして、陽菜乃と泰河は都市伝説研究サークル『カレイドスコープ』との出会いを果たした。

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