『午前四時の影写し』

SNS発の奇妙な噂

「はいはい、今日のSNSパトロールの時間だよー」


 九月下旬の夜、カレイドスコープの部室に香月悠斗かげつゆうとの能天気な声が響いた。窓の外では虫の声が涼しげに鳴いており、ようやく過ごしやすい季節になったことを実感させる。エアコンを止めて窓を開け放った部室は、秋の夜風が心地よく流れていた。


「毎度お疲れさま。最近のSNS発都市伝説、どんなのがある?」


 市倉真澄いちくらますみがコーヒーを淹れながら苦笑する。

 悠斗はスマートフォンを片手に、動画投稿アプリを次々とスクロールしていく。彼の指先が軽やかに画面を滑る様子は、まさにSNSネイティブ世代の代表格だった。


「えーっと、今週はねー……あ、これ面白そう」


 悠斗が画面を見つめながら興味深そうに呟く。


「午前四時の影写し、って知ってる?」


「午前四時の影写し? なんですか? それ、初耳ですけど」


 宮野陽菜乃みやのひなのが首を傾げた。

 ソファに座りながらポテトチップスを食べていた岸本泰河きしもとたいがも、興味深そうに身を乗り出す。


「どんな内容なんです?」


 悠斗が画面を皆に見せながら説明を始める。


「うちの大学の三号館の非常階段で、午前四時ちょうどに写真を撮ると、自分じゃない誰かの影が写るんだって」


「はあ? また典型的な写真系怪談ね。どうせカメラの不具合とか、光の加減とかでしょ」


 瀬尾千沙せおちさが眉をひそめて呆れたように言うと、悠斗は肩をすくめた。


「まあ、普通はそう思うよね? でも、これが結構話題になってるんだよ。『#午前四時の影写し』で検索すると、めっちゃ投稿出てくる」


 宇田川晴音うだがわはるねが興味深そうに録音機器をいじりながら口を開いた。


「どんな写真が投稿されてるんですか? 実際に異常が写ってるとか?」


「それがさ、みんな微妙にぼやけてるんだよね。でも確かに、撮影者以外の人影っぽいのが写ってる」


 悠斗が画面をスクロールしながら続ける。


「それより気になるのが、その後の話なんだ」


「その後?」


 陽菜乃が問いかけると、悠斗は少し真剣な表情をみせた。


「写真を撮った人たちが、酷い眠気に襲われたあと、みんな同じような夢を見てるんだってさ。夢の中で、自分じゃない『もう一人の自分』に出会うって話」


 部室の空気が、少しだけピリッとした。

 真澄がコーヒーカップを置いて、興味深そうに前のめりになる。


「もう一人の自分? それは興味深いね。具体的にはどんな夢なんだい?」


「えーっと……『夢の中で三号館の非常階段にいる。そこに自分と全く同じ姿の人がいるけど、なぜか目を合わせることができない』『後ろ姿しか見えないけど、確実に自分だと分かる。でも声をかけても振り返ってくれない』って感じかな」


 悠斗はスクロールをしながらコメントを読み上げていった。

 それまで興味なさそうに古文書に視線を落としていた三好紅葉みよしもみじが顔を上げた。


「うーん……興味深い現象ですね~。ドッペルゲンガー的な要素もありますし、写真という媒体を通した霊的現象という点でも、検証の価値がありそうです~」


 泰河がポテトチップスの袋をガサガサと音を立てながら、不安そうに呟く。


「なんか嫌な予感がするんだけど……写真に写る謎の影とか、もう一人の自分とか、どう考えても普通じゃないよな」


「泰河はいつも心配しすぎだって。まだ調査もしてないのに」


 陽菜乃は泰河の肩を叩き、いつものように笑った。

 高見遼たかみりょうが資料を整理しながら、冷静に分析を始めた。


「写真系の都市伝説としては、確かに興味深いパターンだね。単純な心霊写真ではなく、撮影後の夢という後日談がセットになっている点が特徴的だ」


「それに、複数の人が同様の体験をしているという点も見逃せない。単なる偶然や思い込みにしては、共通点が多すぎる」


 真澄が指を立てて付け加える。

 翔也は椅子にもたれかかりながら、直感的に呟いた。


「俺の勘だけど、これは本物かもしれないぜ。なんとなく、空気がピリピリしてる」


「翔也先輩も感じるんですか?」


 陽菜乃が振り返ると、翔也が真剣な表情で頷いた。


「ああ、悠斗がこの話を始めてから、部室の雰囲気が変わった。なにかが反応してる」


 千沙が腕を組みながら、現実的な視点で反論する。


「SNSの情報なんて半分以上は作り話よ。バズりたくて、みんなで同じような話を作ってるだけじゃないの?」


「でも、都市伝説というのは、たとえ最初が作り話だったとしても、多くの人が信じることで現実の力を持つことがある。調査してみよう。幸い、舞台は学内だしね」


 真澄が宣言したことで、悠斗が手を叩いて盛り上がる。


「よし! じゃあ今夜……てか朝? 午前四時に三号館に集合だ!」


「ちょっと待って! いきなり全員で行くのは危険じゃない? まずは少人数で様子を見るべきじゃないですか?」


「泰河の言う通りですね。あたしと泰河、それに晴音の三人で先に調査してみよう」


「ひえ……俺も!?」


 自分が入らないように少人数と言ったのに、思惑が外れて泰河は大きく肩を落とした。



****



 午前三時三十分。

 キャンパスは深い静寂に包まれていた。街灯の明かりが所々に灯っているものの、構内はまだ眠りについている。陽菜乃、泰河、晴音の三人は、三号館の前に集合していた。


 三人は三号館の非常階段に向かった。建物の外側に設置された鉄製の階段は、夜の闇の中で不気味な影を作っている。


「SNSの投稿によると、この階段の踊り場から写真を撮るんだって」


 泰河がスマートフォンを確認しながら説明する。

 晴音が時計を確認する。


「時間は四時ちょうど……あと二十分くらいある。それまで、周辺の状況を記録しておこう」


 三人は階段の周りを詳しく観察した。特に変わったところはない、普通の非常階段だ。昼間なら学生たちが普通に使っている、なんの変哲もない設備である。

 午前三時五十五分。


「そろそろ時間だ。あたしが写真を撮る。泰河はなにか視えたら教えて」


「わかった」


 泰河が緊張しながら頷く。

 時計の針が午前四時を指す。


「今だ」


 陽菜乃が非常階段を背景にして自撮りモードにする。画面に映る自分の顔と、背後の階段。なにも異常は見えない。

 シャッター音が静寂を破った。


「撮れたよ」


 陽菜乃が画面を確認しようとした瞬間、泰河が小さく叫んだ。


「うわっ! 陽菜乃、今、階段に——」


「なに? なにが視えた?」


「女の人の影が……陽菜乃の後ろの階段に、誰かが立ってた」


 陽菜乃が慌てて振り返るが、階段には誰もいない。


「もういないの?」


「ああ、写真を撮った瞬間に消えた」


「午前四時ちょうどに、電磁波の数値が一瞬跳ね上がってた。確実になにかが起きてる」


 陽菜乃が撮影した写真を確認すると、画面に映った自分の背後、階段の踊り場に確かに人影のようなものが写っていた。ぼんやりとしているが、明らかに陽菜乃以外の誰かの影だ。


「本当に写ってる。これが噂の『影写し』ね」


「マジかよ……あっ、俺が見たのと同じ位置に写ってる」


 そのとき、陽菜乃の胸元で銀鈴がかすかに鳴った。


「あれ? 反応してる……」


 突然、強い眠気が陽菜乃を襲った。まるで睡眠薬を飲んだかのような、抗いがたい眠気だった。泰河が心配そうに声をかける。


「陽菜乃? 顔色が悪いぞ」


「なんか、すごく眠い……これ、SNSの投稿にあった症状かも」


 陽菜乃がふらつきながら階段の手すりにもたれかかる。


「やばい、これ本物の怪異だ! すぐに部室に行こう」


 三人は急いで三号館を後にした。陽菜乃の眠気は歩いている間もどんどん強くなっていく。まるでなにかに引き込まれるような、不自然な眠気だった。

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