第14話 夏休みの思い出

 夏休みが中盤へ差し掛かる頃。眩しい陽射しと街路樹の緑がせめぎ合う季節のなかで、民部陸斗はほぼ毎日のように神崎天花とメッセージを交わしていた。天花の出自という大きな秘密を分かち合ったことで、ふたりの間には見えない橋が架かっている。正式に「恋人」と宣言したわけではない――それでも、心の距離が確実に縮まった手応えを陸斗は感じていた。


 ある日、待ち合わせ場所は都心の複合商業施設だった。吹き抜けのアトリウムを満たすガラスの天窓から、真昼の光が射し込む。雑貨店やファッションショップをひやかし歩くうち、天花がガラスケース越しに小さなペンダントを見つけ、目を輝かせる。

「似合いそうだね」

 そう囁くと、天花は照れたように頬を紅く染めた。

「私、今までこういうのあまり関心が無かったんだけれど、陸斗といるといろいろなことに興味がわいてくるの……」

 

 蝉の声が遠くで揺れる公園そばのカフェで窓際の席に座ると、澄んだ光が天花の黒髪を柔らかく照らした。

 初めて食べるという“ふわふわオムライス”を前にして、彼女はメニューの片隅まで念入りに目を走らせる。

「おいしいね、こんな味があるんだ」

 フォークを口元に運ぶたび、感嘆が小さく零れる。陸斗は「夏休みに入ってから新しい発見ばかりだね」と笑いながら返した。

 半分こしたデザートの甘さ。店内の本棚から抜き取った写真集を、肩を寄せて覗き込む静けさ。ガラス越しに揺れる木漏れ日までもが、ふたりの会話の背景色になっていった。


 映画館へも足を運んだ。ホラー、ロマンティックコメディ、感動的なドラマ――ジャンルを変えて観るたび、天花の反応はまるで七色に変わる絵の具のようだった。

 ホラー映画の夜。暗い館内で悲鳴が上がる場面、天花は思わず陸斗の腕にしがみつく。

「大丈夫だよ」――小声で囁きながらも、陸斗の心臓は跳ね上がっていた。

 上映後、外に出てもまだ少し怯えた様子の天花が「ごめんね、怖がりで」と苦笑すると、陸斗は冗談めかして「俺も実はちょっとびびってた」と返し、ふたりで顔を見合わせて笑った。

 別の日のドラマ映画。エンドロールが降りる頃、天花はハンカチでそっと目元を拭う。

「……あの主人公が家族に宛てた手紙、胸がいっぱいになって」

 その声は震えていたが、どこか澄んでいた。スクリーンの余韻が、ふたりの呼吸を静かに重ねる。


 天花が選ぶ行き先は、いつも少しだけ意外だった。美術館、博物館――そして週末の戦災記念館。

 薄灯りの展示室。焼け焦げた制服と白黒写真、当時の人々の手紙。

「陸斗……人間はどうして、同じ人間を傷つけてしまうんだろうね」

 震えるような問いに、陸斗はすぐ答えを見つけられず、胸の奥が重く痛んだ。

「……悲しいけど、過ちや憎しみに囚われて、大切なことを見失うときがあるのかもしれない」

 天花は静かに頷き、ガラスの向こうの手紙に視線を落とす。横顔には悲しみと、それを超えようとする確かな意志が宿っていた。

 館を出ると、夕方の熱を含んだ風が二人を包む。

「来てよかった。私、知らないことがたくさんあったんだね」

「俺も。今日みたいにちゃんと向き合ったのは初めてだった」

 天花が柔らかく微笑み、「陸斗と一緒だったから、怖くなかったよ」と小さく告げる。その言葉が胸の奥でそっと灯り、歩幅を合わせる足取りが少しだけ軽くなった。


 美術館の帰りの電車、公園の木陰、蝉時雨が降る夕暮れ――ふたりは詰め込むように語り合い、あるいは無言で寄り添った。好き嫌いの話題はやがて、人の生き方や思いやりといった深い問いへと滲む。

 言葉が途切れても、ふと視線が合えば微笑みだけで充分だった。指先に伝わる体温、ささやかな仕草。その一つ一つが二人の間に静かな軌跡を描き、確かな距離を縮めていく。

 こうして積み重なる夏の日々は、まだ名のない宝石のように手のひらで光り続ける。陸斗は願う――この不思議で穏やかな時間が、どうか終わりませんように。


──ところで、この世界では、十数年前から技術革新が異常な速度で進んでいた。クラウド上のAI回路と脳シナプスを直接接続する「融合技術」が、世界各地で同時多発的に発見されたのだ。しかし、それを生きている人間の脳に組み込むことは、国際的な倫理協定によって厳しく禁じられていた。人格や記憶がどこまで保存され、どこから破壊されるのか、その境界線は今も研究途上にある。

 一方で、ヒューマノイド技術はデザイナーズベビーの研究とともに急速に発展した。ベースとなるのは動物の細胞を改変した“バイオノイド”か、もしくは外見にあえて機械感を残す“メカノイド”。人間をベースにすることは、国際機関が認証した脳死状態の場合を除き倫理的にも法律的にも国際的に禁じられている。

 日本では、バッジ制度により、ヒューマノイドには青バッジを義務づけ、社会生活との共存が模索されている。また、すべてのヒューマノイド搭載のAIには、独立した「暴走防止ブレーカー」の設置が義務化されていた。もし暴走が起きるとすれば、それは重大なインシデントを意味する。


 だが──天花は、そんな「常識」からすら、逸脱した存在だった。

 ある夜、天花は言った。

「……ごめんね、私、まだ全部は言えないの」

 どこか後ろめたそうに、でも、正直な瞳で。

「大丈夫。話せるときに、話してくれればいい。俺も、ちゃんと考えるから」

 陸斗は笑って答えた。この世界のどんな法規定よりも、目の前の彼女の声を信じたかった。──それが、陸斗にとっての、密かな「人間であること」の証明でもあった。

 何より、陸斗には最近ひとつ新たな疑問が加わっていた。天花のように元々は日本人の肉体を持ちながらも、ヒューマノイドになった場合の記憶と感情はどのように生まれているのだろう。おそらく意識や感情は人間本来の脳から生まれているだろうけれど、記憶はAIの知識と混在しているのかもしれない。今まで考えたこともなかったが、彼女を見ているとその仕組みをもっと知りたいという気持ちになってくる。

 そんな思いが頭をよぎりつつも、天花との時間を大事にしたい気持ちが優先する。彼女が抱えている闇や秘密は重いけれど、今はまだ、彼女自身が自分で話せる範囲しか明かさないなら、それでいい。いつか必ず、もっと踏み込んだ話ができるはずだから。

 こうして、夏休みのさまざまな場所を一緒に巡りながら、二人は少しずつお互いを理解していく──いや、もしかしたら、天花は“人間”そのものを学んでいるのかもしれない。陸斗はそんな彼女を見て、ゆるやかに成長を実感していた。さまざまな歴史や社会問題を通じて感じる“他者への想い”が、二人の未来へ繋がっていくように思えてならなかった。

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