第111話:再建
朝のICU。
スチールカーテンで区切られた個室の一角。電子音が規則的に鳴る中、エデンはまだ仰向けにはなれず、体の右側をやや下にした側臥位で横たわっていた。
肺を傷めた左胸には、まだドレーンが留置されており、背部から腰にかけては大判のガーゼと保護シートが幾重にも貼られている。皮膚が剥がれ、浮き、変色し、焼けた組織がまだ癒えていない。
……その壮絶な背中をめがけて、今まさにひとりの医師が突進してきていた。
「熱傷患者さん!! 背中見せて!! ねぇ、見せて!! すぐ! いま!! お願いっ!!」
――ズカズカズカッ!
ICUのスタッフ用スライドドアが勢いよく開き、ピンク色のケーシーに白衣を羽織った人物が猛然と突入してくる。
「ちょ、ちょっと先生、あの、まだ午前の処置……」
制止する看護師の声など耳に入っていない。
「誰が! この! 熱傷を処置したの!? 見て! こっからⅢ度! でもここ! ほらっ! Ⅱ度深達じゃない? ね、ね、凄いよね!?」
もはや独り言か実況か分からない。
彼は皮膚科医――藤田医師。
J-MET基幹病院において熱傷・褥瘡・皮膚壊死の処置をほぼ全て担当しており、看護師の間で密かに“皮膚ガチ勢”と呼ばれている存在だった。
「ちょ、ちょっと背中のパッド、外してもいい!? いま!? ねえ、お願い、写真とか撮らないから、見せるだけ!!」
「どうぞ」と応じる前に、エデンの背部を覆っていた保護パッドがベリリと剥がされた。
「うわあああああああっ……!」
うなった。
患者本人ではない。
医者がうなった。
「こっ、ここっ、ここ見て! 色味! 炭化してないけどタンパク凝固! この部位! 焦げてんのに水疱形成してない、つまり皮膚の真皮深層まで熱が届いてるの、わかる!? これⅢ度だよ! 完全に!」
――目を輝かせている。
ICUの看護師二人が、ものすごく遠巻きに様子を見守っていた。エデン本人はというと、軽く左眉をぴくりと動かしたまま、無言だった。
もう慣れている。こういう人種が、いる。
「……あの」
ひとりの若い声が挙がった。
後ろで控えていた白衣の青年。おそらく研修医だろう。表情はやや引きつっている。
「先生、これは……どれくらいの重症度なんでしょうか」
「いい質問っっっ!!!」
藤田医師が、即座に彼の肩を叩く。バチンという音が響いた。
「今のうちに見ておきたいのがここ! 背部全面、焼傷マップでいえば体表面積の約18%、つまりルール・オブ・ナインで言えば中範囲だけど、全体の重症度で考えるとこれは完全に広範囲熱傷扱い! これ以上の教材はなかなか現場に落ちてないよ〜〜!!」
ICUの外から見守っていた看護師がため息をつく。
「藤田先生、患者は重度の熱傷と血胸でICU管理中です。ご配慮ください」
「はぁい……ごめんなさい、でも興奮が抑えられないの。患者さん、会話大丈夫? あ、目、開いてるね。……どうも、皮膚科です。勝手に盛り上がっててごめんなさいね。広範囲熱傷で、背中、見させてもらいますよ」
エデンはうつ伏せのまま、輸液ラインとドレーンで身動きもとれない。眼球だけをわずかに動かして視線を向けた。騒がしい……けど、どうでもよかった。
「処置と記録のため、研修医も一緒に見させてもらっていいですか? もちろん、処置は私がやりますが……場合によっては
「……どうぞ」
息をするように、淡く応じる声。
その一言に、藤田は拍手せんばかりに感動した。
「ありがとう……君、天使? いやマジで、後世に残すべき背中してる。君の筋肉、解剖学の教科書みたいに整理されてるから、教えやすいったらないよ!」
「……筋肉、……?」
「うん、これ見て。はい、研修医ズ! ここが僧帽筋の浅層。皮膚はⅡ〜Ⅲ度混在、ここが典型的なⅡ度ね! 発赤・水疱形成あって、でもまだ表皮層が分厚くて、軟膏塗布で再生可能域。で、こっち。ここ、こっち、見て見て! Ⅲ度熱傷ゾーン。壊死と炭化、皮膚硬化で感覚消失。神経反応テストでは反応なし。筋層までいってるけど、出血少ないでしょ? 血管まで焼けてるからなの。こういうときの痛みの少なさは、逆に重症の証拠ね」
三人の研修医が、一斉にメモを取り始める。
「えーと、皮膚の色が白くなってて、炭化というよりロウ状……これがⅢ度の?」
「そうそう。で、Ⅱ度のほうはピンク色してるよね? 浸出液が多くて、圧をかけるとじわっと出る。あれ、真皮の深層が残ってる証拠。つまり、自己治癒能力がまだある。でもⅢ度はそれがない。壊死した組織はデブリして再建しなきゃ無理」
「えっ、これって植皮するんですか?」
「良い質問! 今回は面積と損傷深度的に、複数回に分けた植皮が必要になる可能性がある。しかし……この筋肉、ほんと美しいな……」
藤田はガーゼの端を指でめくりながら、心底嬉しそうにつぶやいた。
「これさ、教科書に載せたい。だめ? 写真撮っても?」
「治療目的以外はだめです」
後方で待機していたICU看護師が即答した。
「あ、はい。すみませんでした。わかってますよ。倫理ね、倫理。大事。……でも見て、これ。まるで医療アート。……この筋肉、保存したい」
「聞こえてます」
エデンが冷静に言った。
その一言で、研修医たちは思わず吹き出しそうになる。
「えっ、怒った!? ああー! ごめんなさい、調子に乗りすぎました……いやでも、こういうとき怒れるって、素晴らしい回復力! 全身状態、思った以上にいい!」
藤田はすぐに真面目なモードに切り替え、処置を始めた。消毒剤を用意し、デブリの範囲を判断、軽く脱落組織を取り除く。
「痛いとこあったらすぐ言ってね。ここは神経焼けてるから感覚は少ないはずだけど、でも場所によっては残ってる。無理しなくていいから」
エデンは小さく頷いた。うつ伏せのまま、口を開かずに指で合図する。
「ナイス。じゃあ、ここからは少しガーゼ圧入して、浸出液の吸収と感染予防ね。次回、感染兆候がなければスキンバンクへの申請出すつもり」
研修医の一人が小声で訊いた。
「……ちなみに、患者さんって……どこの部隊の方ですか?」
藤田は笑った。
「J-MET12所属。救急のハンニバル少佐、知ってる?あの人の護衛兵なんだって」
その言葉に、エデンの背筋が、わずかに微動した。
誰にもわからないほどの、わずかな動きだった。
藤田は言いながら、改めてカルテをチラ見し、目を見開いた。
「っていうかさ……これ、搬送中に胸腔ドレーン入れてんの? 信じられない。ありえないよ、普通。……揺れるヘリの中で、圧変もあるし、鉗子の角度ずれたら肺ぶち抜くってのに。誰がやったの、これ。あのハンニバル少佐? マジ? あの人、ほんと迷いなく人の体の中に突っ込むよね」
研修医たちがざわめく。
「すご……それって、可能なんですか? 本当に空中で?」
「普通はやらない! やっちゃダメ! けど、J-METの連中はやるんだよなぁ……戦場医療っていうか、もう次元違う。トリガー大佐が機体の揺れ止めてたって? え、何それ。SF?」
騒ぎながらも、藤田の目は本物の畏敬を浮かべていた。
「こんな症例連れて帰ってこれるって時点で、J-METの医療チームがヤバいの、わかる? 君たち、これ臨床じゃなくて戦場だからね。この患者さんは文字通り、死線の向こう側から戻ってきたんだよ」
その言葉に、研修医たちの表情が引き締まった。
「じゃあ、今日の処置はここまで。あとはガーゼとドレーンの管理、皮膚再建計画は形成チームとも連携していくよー! みんな、忘れないで。この症例は戦傷の熱傷。都市型爆傷の典型、民間じゃ見れない。勉強になったでしょ?」
研修医たちが一斉に「ありがとうございました!」と頭を下げる。
その後ろで、エデンは静かに目を閉じた。
背中は痛む。肺は重い。けれど、生きていた。
そして、彼の傷は今、騒がしい医師たちの手で、確かに繋がれようとしていた。
——再建の始まりだった。
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