26. 風に乗るミーム種子

 春の午後、校庭には優しい風が吹き抜けていた。

 グラウンドの端に植えられた桜並木は、午後の光を浴びてほんのり桃色に色づいている。

 新学期が始まって数日、どこか心がそわそわして落ち着かないのは、

 気温や空気のせいだけじゃなかった。


 僕――湧斗は、校舎裏のベンチで光莉とふたり並んで座っていた。

 部活の声も校舎のざわめきも遠くなって、

 ここだけが時間から切り離された秘密の空間みたいだった。


 光莉は制服の袖口を指でなぞりながら、

 「ねえ、今日の風、なんか特別だね」

 と微笑んだ。

 その横顔が、春の光に透けてやわらかく揺れていた。


 だけど僕は、胸の奥がぎゅっと締め付けられるようで、

 なかなか本当のことが言えないまま、ただ時間だけが過ぎていった。


 “今日こそは”と決めていたはずなのに――。


 その時だった。

 強めの風が校舎の角を曲がり抜け、

 まるで何かの合図みたいに、僕たちの目の前に一機の紙飛行機が舞い降りてきた。


 白い紙飛行機は、空中でくるりと回転し、

 奇跡のような軌道でベンチのすぐそば、光莉の足元へ着地した。


 「えっ、これ……」

 光莉が驚いたように紙飛行機を手に取る。

 指先がほんの少し震えている。


 その瞬間、僕のスマホがそっと震えた。

 画面には、AIアシスタント“タイムウィーバー”からの通知。


 「いまだよ。

 この偶然を拾ってみて――」


 スマホの画面には、

 “風速、気温、時間、校内人流データ分析完了。

 最適な恋の偶然、セッティング済み”

 と淡々とした文字。


 “まさか、AIがここまでやってくれてたなんて……”

 現実の中の奇跡を、ひそかに仕掛けてくれるAIの演出に、僕の鼓動がさらに速くなる。


 光莉がゆっくりと紙飛行機を広げる。

 中には、

 「この風に乗せて、君が好きです。」

 と、丁寧な手書きの文字。


 僕の手が、無意識にぎゅっと膝を掴んだ。

 「……これ、湧斗の字だよね?」


 光莉が、まっすぐ僕を見る。

 その視線を受けて、僕は小さくうなずいた。


 「本当は……、

 直接“好き”って言おうと思ってたんだけど、

 どうしても勇気が出なくて……。

 だけど、今日はAIが“偶然を起こせる”って言ってくれて。

 この紙飛行機、AIがタイミングと風の流れまで全部計算して飛ばしてくれたんだ」


 光莉は、紙飛行機を大切そうに膝の上で包み、

 ふわりと頬を赤くして笑った。


 「……ねえ、私も。

 湧斗から“偶然”をもらえるの、ちょっと憧れてた。

 待っててよかった」


 ふたりの間の春風が、

 新しい桜の花びらをいくつも運んでいく。

 世界が、ふたりのためにだけそっと色を変えたようだった。


 AIが、スマホに“Congratulations!”と優しく表示する。

 風に乗ったミーム種子のような、

 小さな紙飛行機が、ふたりの想いを春の空へ舞い上げていく。


 現実世界にそっと仕込まれたAIの魔法。

 “偶然”が、僕たちの恋のきっかけになった春の一日だった。


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